トップページ > 日本近代史 > 2011年04月12日 > 4UeCv6XD0

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名無しさん@お腹いっぱい。
【A級戦犯】近衛文麿・広田弘毅【大政翼賛会】

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【A級戦犯】近衛文麿・広田弘毅【大政翼賛会】
11 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/04/12(火) 17:47:15.61 ID:4UeCv6XD0
革新官僚と観念右翼は目指す方向が反対。
新体制運動においては三つの考え方があった。
まずは革新右翼で、ナチス的な一党独裁、及び陸軍統制派が目指す高度国防国家を理想とする。
観念右翼は革新右翼とは反政党政治という点で一致するが、ナチス的一党独裁については幕府的で国体に反するとして『無党』を目指す。
陸軍の皇道派が観念右翼に近いが、すでに皇道派は軍部の中での力は失っていた。
もう一つは近衛側近グループで、これも既存の政党に反感を持つ点で一緒だが、より強い組織をつくることで軍部に対抗しようという意図があった。
新体制運動は当初は革新右翼と近衛側近グループに主導されたが、だんだん近衛は観念右翼を気にするようになり、
結局近衛側近グループの安井英二、風見章を閣外に追い、かわって観念右翼の親玉平沼騏一郎、皇道派の柳川平助らを迎えた。
その後近衛側近の有馬頼寧が翼賛会事務局長をひいて近衛側近グループは壊滅した。
平沼は翼賛会は公事結社であるとして政治活動を禁止し、結局翼賛会は強力な一国一党体制を築くことはできなかった。
ただし平沼らは軍部の言い成りにさせるために翼賛会を無力化したわけではなく、そこは結果論。


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