- 松菊木戸孝允(桂小五郎)について語ろう12
293 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/04/07(木) 19:30:35.48 ID:bk9FvoFh0 - >>281
> なにしろ仲間の志士でさえ攘夷から離れられずにいる時代だ それは、昭和戦後の、江戸幕府の不平等条約による屈服開港(実質的な植民地化)を無理やり隠蔽・擁護しようとする極めて悪質な反長州史観・反薩長史観。 「攘夷」は「鎖国」という意味では全くない。 そう誤解させたがっている曲学阿世のエセ学者が多いことは知っているが。 そこんところを間違えちゃいかんな、少なくとも木戸ファンは。 敵でない外国人となら積極的に交流・交易するし、 敵になりかねない外国人からも極力正確な情報を得るというのが、松陰以来、攘夷の志士たちの必然。 ていうより、兵法の基本。 木戸やその他の志士たちも、攘夷思想(清のように列強から植民地化されてしまうことには断固反対!という極めて自然発生的な思想)を捨てる理由は全くないと思う。 吉田寅次郎、桂小五郎、村田蔵六、高杉晋作、周布政之介の凄いところは、攘夷のためには(対等な)開国・留学が必要不可欠!と当初からあっさり考え実行していた点。 1858年の時点で吉田寅次郎、桂小五郎は攘夷のための留学希望者。のちに高杉も。更に長州ファイブも。 維新後も木戸は、攘夷のためには朝鮮を日本の味方にする必要があると松陰同様に考え、征韓論を明治政府で一番最初に提唱したりしているわけで。 更に、攘夷思想の最も現実的な基盤は、「即今攘夷」「破約攘夷」、すなわち不平等条約断固拒否→条約改正交渉なわけで、 明治政府の人間で攘夷思想をもっていなかった人間などただの一人もいないはず。
|
|