トップページ > 日本近代史 > 2011年03月30日 > Awse90yC0

書き込み順位&時間帯一覧

3 位/67 ID中時間01234567891011121314151617181920212223Total
書き込み数0000000000110200100000005



使用した名前一覧書き込んだスレッド一覧
名無しさん@お腹いっぱい。
昭和天皇はなぜ戦争を阻止しなかったの?
【関東軍】満州事変と満州国【満鉄】

書き込みレス一覧

昭和天皇はなぜ戦争を阻止しなかったの?
387 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/03/30(水) 10:37:49.50 ID:Awse90yC0
>>382
私は>>381で「元老の多くが逝去した後」と書いたとおり、西園寺は数少ない元勲の生き残りであり、
早晩元勲によって統制できる時代ではなくなってきていることを彼は知っていたということ。
彼が政党政治を推進したかった理由としては充分すぎると言える。また元勲らの減少に伴って
代替制度として昭和初期段階から重臣会議が「国務大臣の任免だけでなく、重要な国家方針の決定」した
事実も指摘した。

まあ、それはともかく私は君のレスに対して違和感を感じているのだが、それは君がこちらのレスと
ずれた反応を示しているからだ。元老と重臣会議の関係は既に私が述べているが、君はことさら元老の話題を
持ち出してくる。私のレスは明治〜昭和の制度を概観して発言しているが、君はその部分だけを取り上げて
全体像を俯瞰せず、概観しないでレスを返してくる。また、こちらはシステム論として語っているのに、
君は人為的問題にすり替えてくる。そもそもシステム構築が人為の恣意性をを抑止するのであり、
君が言うような人材に依存しなければ国家運営に支障をきたすのであれば、その根底的問題はやはり
システムに起因する問題であるということだ。私が違和感がありずれていると感じているのはその為だ。

>かつてのような政軍両面に影響力をもつ政治家
かつてもその様な政治家は存在しなかった。伊藤が文官を代表し山縣が武官を代表していたことは、
既に私の方で指摘している。君はそのことを完全にスルーしてこの様な発言をしているわけだ。
明治憲法が軍の独立性を規定したのは、こうした明治の体制に起因しいている。天皇を頂点として
政治と軍事を明瞭に分けたため、政治が軍を統制するシビリアン・コントロールが機能せず、
軍も天皇に責任を負う仕組みとなっていたから政治と対立し始めると歯止めが効かなくなってくる。
この仕組みで歯止めをする役割を果たせるのは天皇以外にない。
昭和天皇はなぜ戦争を阻止しなかったの?
388 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/03/30(水) 11:06:46.63 ID:Awse90yC0
>>382
>帝国憲法制定の段階では議会制自体が懐疑の対象であり、いつでも元老が天皇をつかって
>オーバーライドできるようにつくっており、それは政府・軍どちらも同様の機構となっていた。
伊藤がまとめた「憲法義解」では帝政上の前提は元老が天皇を使うのではなく、天皇の決定の
重要な面を元老が「言挙げ」するという仕組みとなっていた。天皇があやまった決定を下さぬよう
元老の補弼は間違いの無いよう慎重を期するという意味だ。使うのは元老ではなく天皇の方。

>本来であれば、それは議会制の成熟と共に改変していくべきものであったし、
>実際そうなりつつあったが、藩閥が権力の源泉としてきた軍の後始末に失敗
>したことがすべての崩壊に繋がった。
元々、軍組織は設立当初から独立した組織として運営されていたため、天皇直属の皇軍であった。
軍の指導的立場の者が藩閥の中心として一定以上の発言権を持つ元勲であったため、山縣は天皇による
統制を考えて「軍人勅諭」を想起した。こうした経緯からいっても軍閥に手を出すのはおおよそ不可能。

>その意味では、大正時代の政治の民主化が早すぎであり、軍の民主化が
>済んでからやるべきだったのかもしれない。
大正時代に行われたのは(大正デモクラシーと呼ばれてはいるが)吉野作造がいうところの「民本主義」であり、
民主化とはいっても限界があった。また、大正期の民主化運動の隆盛は、その反面で既得権を持つ元勲や
保守傾向の強い勢力からは危険思想とみなされ、様々な駆け引きが行われていた。その理論的中心となったのが
東大の憲法学者であった上杉慎吉が主張した天皇主権説である。この主張は上杉・美濃部論争によって
学問的には葬り去られたが、民主化を敵視する勢力にとっては力強い論客となった。

また、明治憲法制定には大正デモクラシーに連なる在野の民主化運動が大きく影響しており、
民主化による人権に一定の理解を示しながら、それを天皇の恩寵であると規定することでガス抜きを図り
天皇の臣民として労働者運動や民主化運動を牽制する理由も見過ごせないことは付け加えておこう。

昭和天皇はなぜ戦争を阻止しなかったの?
389 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/03/30(水) 13:20:04.97 ID:Awse90yC0
>>383
私はzBAg3dLa0だが、ここでの発言の裏付けとして用いている主な近代・現代史の文献は

歴史分野では
「概説日本史」吉川弘文館編
「国民の天皇−戦後日本の民主主義と天皇制」ケネス・ルオフ著
「シリーズ日本近現代史」加藤陽子・吉田裕・雨宮昭一他著
「占領秘録」住本利男著
「東京裁判」戸谷由麻著
「昭和天皇・マッカーサー会見」豊下楢彦著
「昭和史」半藤一利
「日本国憲法を生んだ密室の九日間」鈴木昭典著
「失敗の本質」戸部良一他著

政治・法学分野では
「明治国家の基本構造」大塚桂著
「憲法」芦部信喜著
「憲法概説」佐藤功
「憲法論」カール・シュミット著
「法哲学入門」長尾龍一著
「岩波講座憲法シリーズ」長谷部恭男・土井真一・井上達夫他著

この他に
「菊と刀」ルース・ベネティクト著
「天皇制の文化人類学」山口昌男著
「天皇と東大」立花隆著

他にも幾つかあるが主だった文献としてはこんなもの。
昭和天皇はなぜ戦争を阻止しなかったの?
390 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/03/30(水) 13:32:51.19 ID:Awse90yC0
>>383は「学術的な態度で記述されていて、かつ、当時の首脳部にあたる人たちに光をあてた内容の一般向け」を
望んでいるということだから、概観的な観点で選ぶなら「シリーズ日本近現代史」は良いかも知れない。

私はこのシリーズで、黒船来襲にまつわる通説的な概念「幕府が弱腰で対応したため、日米通商条約は不平等な
片務的な条約となった」というのは史実としては正しくなく、実は様々な駆け引きを用いて幕閣が粘り強く交渉し、
一定の合意形成までこぎ着けた事実に光を当てているし、GHQによる占領期以降戦後体制が始まったというのは
実は間違いで、岸信介らとは一線を画する官僚や議員、在野の知識人らが終戦前から戦後の日本をどうするかを考え、
具体的な方針を取りまとめたり、憲法や政治を考えていたことを教えてくれた。

【関東軍】満州事変と満州国【満鉄】
273 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/03/30(水) 16:33:29.02 ID:Awse90yC0
>>272
昭和天皇の「独白録」なら「「満州は田舎であるから事件が起こっても大した事はない」と語ってる。
彼の認識では違法性よりも諸外国の注目度の方が重要だったということだ。

関東軍の行動を追認したのも、天津や北京のような大都市の場合は英米から厳しい干渉を受けるが
満州であればさほど大事にはならないからという理由による。事実、第二次上海事変では、
天皇自らが追加派兵を命令しており(このことも「独白録」で語っている)、彼自身に法を守るという
立憲君主に必要な認識が欠如していた。もちろん明治憲法は到底立憲主義憲法とは言い難いが、
少なくとも昭和天皇は地震の都合のみで立憲君主として立ち振る舞うと言ったり、統帥権を持つ天皇大権の
実践者だったりするという、全く一貫性のない人物であったことが問題を複雑にした要因のひとつと
見られても言い訳が出来なかったであろう。



※このページは、『2ちゃんねる』の書き込みを基に自動生成したものです。オリジナルはリンク先の2ちゃんねるの書き込みです。
※このサイトでオリジナルの書き込みについては対応できません。
※何か問題のある場合はメールをしてください。対応します。