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名無しさん@お腹いっぱい。
司馬遼太郎の歴史観について

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司馬遼太郎の歴史観について
456 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/03/26(土) 13:09:57.40 ID:nvUhOAHq0
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歴史】拝啓、司馬遼太郎様ゑ 2011年02月12日18:55 司馬遼太郎さん。
あなたは小説家です。ですから、嘘事でも脚色してもいいです。
しかし、題材が歴史である以上、それを実しやかに語るのは如何でしょうか??

「世に棲む日日」の三巻の終盤に、こんな一説があります。


 筑前福岡藩黒田家五十二万石というのは日本有数の大藩であったが、加賀
前田家と酷似していて、藩全体が封建体制のなかで一種の無力体質になってい
た。加賀と同様、幕府を恐れることがはなはだしく、新しいことはすべて悪で
あり、御家のためにならないという気風があり、このため幕末の先進藩特有の
洋学や産業、それに勤王思想という新国家論などの面ではあまりふるわず
、月形洗蔵らのほかには、加藤司書、平野国臣らを出したくらいのものであった。



司馬さん、あなたは何の史料を見て、こう判断したのでしょうか?
それとも、あなたが同著で「筑前人は、便佞で精神が凝定しておらない」と評している様に、筑前人が信用なら無い人間の集まりと思ってるからこその先入観ですか?
※便佞…口先は巧みだが、心に誠実さのないこと



福岡藩が好きな筑前人として、あなたを論破します。

>筑前福岡藩黒田家五十二万石というのは日本有数の大藩

これは同意です。

>藩全体が封建体制のなかで一種の無力体質になっていた。


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