- ABCD包囲網って本当に悪だったの???
269 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/02/10(木) 21:46:34 ID:6yI3qeih0 -
★スバス・チャンドラ・ボース(インド独立指導者) 「同志諸君!兵士諸君!諸君の合言葉は『デリーへ!デリーへ!』である。われわれの任務は、 イギリス帝国最後の墓場、古都デリーのラール・キラに入城式をおこなう日までは終わらない のである。…われわれはこれより、デリーに向かって進軍する。チェロ・デリー!(征け、 デリーへ!)チェロ・デリー!(征け、デリーへ!)」 ボースがこう叫んだとき、国民軍兵士ばかりでなく、この演説を見に来ていた、2万のインド 民衆も、声をそろえて「チェロ・デリー!チェロ・デリー!」と唱和し、その場の熱狂は最高潮 に達した。 この翌月、8月1日には日本によって、ビルマが独立を達成し、バー・モウが首相に就任した。 ボースはこの独立祝典に出席し、同じくイギリスの圧政に苦しめられていたビルマ民衆の万歳の 声を聞き、日本が独立の約束を果たしたことに感銘を受けた。なぜなら、イギリスはインドと 交わした約束を何度も破ってきたからである。 大日本帝国は卑怯なイギリスと違って約束を守る。 日本軍が植民地解放軍と呼ばれるのは当然である。 馬鹿豚は涙目で否定するが。
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- ABCD包囲網って本当に悪だったの???
270 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/02/10(木) 21:56:43 ID:6yI3qeih0 -
ボースはインド国民軍の司令官に就任すると同時に、自由インド仮政府の主席となり、独立政府を 組織する。そして、ただちにイギリス・アメリカに宣戦を布告した。日本軍とインド国民軍が、 最も悲劇的な戦いとして名高いインパール作戦に勝負を賭けたのは、その翌年、1944年 (昭和19)3月のことである。この戦いでは、多くの将兵が命を落とし、生き地獄だとさえ 言われた。 そのため、馬鹿な左巻きの歴史家どもは、このインパール作戦を、おろかな、無用の戦いで あったと罵倒する。しかし、本当にそうなのか?
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- ABCD包囲網って本当に悪だったの???
271 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/02/10(木) 22:06:42 ID:6yI3qeih0 -
★マウントバッテン大将(イギリス軍東南アジア総司令部司令官、インパール作戦の敵軍司令官) 「かつて不敗を誇った日本軍も半年の死闘に衣服や靴もボロボロとなり、ささえるものは不屈の精神力 だけであった。日本軍はインパールにおいて、ついに敗れたが、そこには何かが残った。それは歴史学 の権威トインビーがいみじくも喝破したとおりである。すなわち『もし、日本について、神が使命を 与えたものだったら、それは強権をわがもの顔の西欧人を、アジアのその地位から追い落とすことに あったのだ』」(ルイス・マウントバッテン『ビルマ戦線の大逆襲』) インパール作戦は何かを残した。それは、インド国民が一番よく知っている。そう、インド独立という 大きな成果を残したのだ。大東亜戦争が植民地解放戦争であったのは紛れもない事実であって、それは、 インド国民や東南アジア国民(華僑を除く)がもっともよく知るところである。 日本軍はボロボロになり、それでも必死で戦い、壮烈な戦死を遂げた。インドの現地人たちは、そのよう な勇敢な日本軍を称え、今でも供養を行っている村も多くある。 勇敢なる日本軍は、植民地解放軍だったのであり、現代に生きる我々にとっては誇りである。 馬鹿豚と悪意に満ちた特別永住クソ野郎は必死で否定するが、無駄である。
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- ●南京大虐殺はチョンの仕業
586 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/02/10(木) 22:09:55 ID:6yI3qeih0 - 便衣兵の掃討・処刑は、国際法上合法。低学歴は何も知らない。
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- ●南京大虐殺はチョンの仕業
587 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/02/10(木) 22:11:11 ID:6yI3qeih0 -
で、便衣兵が何人殺されたんだ?30万人か?
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- 【関東軍】石原莞爾と板垣征四郎【満州国】
874 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/02/10(木) 22:13:15 ID:6yI3qeih0 - >>872
そんなソ連軍の行為を「当然のこと」と言わんばかりの無知な売国奴
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- 大東亜戦争はだいたいこんな感じでいいの?6
145 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/02/10(木) 22:19:44 ID:6yI3qeih0 -
「シナは被害者、列強は加害者」という無益な感情的善悪論はやめろ、低能。 なぜ、歴史版にこういう善悪論者がはびこるのか。現代歴史学の 欠陥が見えてくるようで興味深いが。 いずれにしても、当時の出来事を当時の物差しで語らず、現代の 物差しで語るのは、馬鹿の証拠。もしくは意図的に大日本帝国を 悪者に仕立て上げようという悪意のなせる技か。 大日本帝国は、植民地を解放する、という当時としては画期的な ことを成し遂げた偉大な国家である。大東亜戦争の歴史的意義は、 高く評価されてしかるべきものである。
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- 大東亜戦争はだいたいこんな感じでいいの?6
146 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/02/10(木) 22:27:18 ID:6yI3qeih0 -
大東亜戦争は2つの大きな歴史的転換点となった。 @西欧植民地主義の終焉 大東亜戦争後、程なくすべての東南アジア植民地は独立し、その波はアフリカに波及する。 戦勝国だったはずの西欧は没落し、アメリカは何も手にできなかった。 A人種差別主義の終焉 植民地のアジア人は「人間」として扱われなかったが、大東亜戦争によって独立すると、 アジア人は白人と対等になり、人種差別主義は終焉する。この波はアフリカにも波及し、 アメリカの公民権運動にも大きなエネルギーを与えた。 大東亜戦争は世界史のなかの大きなエポックであり、このような大戦争を戦い、世界の価値観を 大転換させた大日本帝国は、我々子孫の誇りである。 大日本帝国を誇りに思わないやつは、無知な馬鹿か、自虐オナニー大好きな左巻きのクズ か、特別永住豚を筆頭とした反日外国人である。
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- ABCD包囲網って本当に悪だったの???
276 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/02/10(木) 22:37:16 ID:6yI3qeih0 - 馬鹿豚ID:2xNpRnGT0の根拠の無い妄想は実に愉快だね。知能程度の低さがモロ出しで笑える。
★アーノルド・J・トインビー(「オブザーバー」1965年10月28日) 「第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、 偉大なる歴史を残したと言わねばならない。 その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏 に含まれていた国々である。 日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配して きた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。」 マウントバッテン大将は、敵将ながら教養も知性もある人物であって、上記のようなトインビーの言葉を 引き合いに出しつつ、日本軍の勇敢さとインパール作戦の本当の意義を語ったのである。大東亜戦争が植民地 解放戦争であったのは、彼らにも分かっていたのだ。 それに引き換え、嘘つき馬鹿豚は何も理解できず、どこまでも知能程度が低い。 まともに反論できない馬鹿は消えろ、低能!!
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- ABCD包囲網って本当に悪だったの???
280 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/02/10(木) 23:29:56 ID:6yI3qeih0 -
大東亜共栄圏に含まれた国々に対して偉大な歴史を残した、という事実に変化はない。 トインビーの言うとおり、大日本帝国は、東南アジアから西欧人を追い出し、独立さ せた。これは、日本人にとって誇るべき偉大な歴史である。 馬鹿にはどうしても理解できないようだが。
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- ABCD包囲網って本当に悪だったの???
282 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/02/10(木) 23:41:38 ID:6yI3qeih0 -
★エリック・ホプスバウ博士(英国ロンドン大学教授) 「インドの独立は、ガンジーやネールが率いた国民会議派が展開した非暴力の独立運動 に依るものでは無く、日本軍とチャンドラ・ボースが率いるインド国民軍(INA)が協同 して、ビルマ(現ミャンマー)を経由し、インドへ進攻したインパール作戦に依っても たらされたものである。」(エリック・ホプスバウ『過激な世紀』) マウントバッテン大将の発言や、トインビーの発言と整合性のある分析である。インパール 作戦がインドに独立をもたらしたのは疑いのない事実である。そして、大日本帝国は、インド のみならず、大東亜共栄圏に含まれる国々に独立を与えるため、教育を施し、軍隊を組織し、 現地人を政治家に登用して民族意識と政治意識を高揚させ、独立の素地を作った。 それが、後に結実し、東南アジア諸国もインドも独立するのである。 馬鹿には理解できないようだが、これが大東亜戦争の真実なのである。 大東亜戦争は植民地解放戦争であった、というのが世界の常識である。
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