- 日清・日露戦争について
419 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/02/04(金) 18:43:48 ID:FsY+UUPI0 - 米飯は主に兵士から要望が強く、兵を統率する指揮者の側からも
兵になれば白米のご飯が食べられるという動機を兵の活力元として堅持することが要望されていた。 しかし一方では、日本食は欠陥があり身体育成には日本食を排除した生活が必要であるという意見が 特に西洋かぶれと呼ばれていた人々から盛んに提示されていた。 これを日本を貶める下劣な議論として退けた学者が、時の陸軍軍医森倫太郎であった。 彼は西洋食を推進する意見を用いず、白米米飯を強く推進し日本の意気を世界に示した。 ・・・ら、日本陸軍に脚気が蔓延し先頭よりも多くの兵士が脚気で死亡していった。 当時の日本食は栄養が偏っていた。西洋食の方がマシだったと経験上は知られていたが、 国粋主義に目が眩み、本質を見失って被害だけが増大した。
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