- ●南京大虐殺はチョンの仕業
521 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/02/02(水) 18:16:44 ID:IZucysC50 - >>520
> >>514 > 政府の公式見解はい実ではない。 > よって外務省など信用するバカは日本人にはいない。 【言論チンピラ妄言解毒対策レス#116】 南京大虐殺論争 南京大虐殺事件を日本人が知ったのは敗戦後の東京裁判においてである。この事件が 「論争」となるのは、日本が高度成長を遂げ公然と十五年戦争が肯定されるようになって からである。論点は虐殺事件の存否、組織性、犠牲者の数であり、七〇年代の第一次論 争、八〇年代の第二次論争がある。この事件を六〇年代から本格的に研究したのは洞 富雄であり、事件を世に広めたのは本多勝一『中国の旅』(七二年)である。第一次論争 は七二年の鈴木明「『南京大虐殺』のまぼろし」が事件の存在に疑問を呈してはじまった。 第二次論争では田中正明『?南京事件″の虚構』が事件の存在を否定したために中国を 巻き込む論争に発展した。しかし、論争の過程で多くの新資料が発掘・発表され、旧陸軍 将校の親睦団体偕行社が機関誌『偕行』で「証言による『南京戦史』」を連載し、事件の存 在を認め中国人民にわびたことをもって事件の存否に関する論争は収束した。第二次論 争の時期に事件の非組織性を主張したのは文部省であり、教科書検定で「混乱の中で」 と書き込ませた。しかし、南京攻略戦参加部隊の「戦闘詳報」などの資料や藤原彰『南京 大虐殺』(八五年)、吉田裕『天皇の軍隊と南京事件』(同年)などによって日本軍の組織 的虐殺であることが明確になった。中国人犠牲者の数の問題に関しては、中国では八五 年に開館した侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館に明示するように三〇万人を主張す る。これに対し事件の存在を認めざるをえなくなった人々は三〇〇〇人から四万二〇〇 〇人という数を提示、偕行社刊『南京戦史』でも約三万人という。しかし、洞は『決定版・南 京大虐殺』(八二年)で二〇万を下らない数といい、『南京大虐殺の証明』(八六年)で少数 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 説の誤りを指摘した。実証の厳密さからも洞・藤原などの主張には説得力があり、論争は ほぼ決着がついた。(三省堂『戦後史大事典』より)
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