- ● もしも日本が米英に負けていたら (3敗目) ●
134 :125[]:2011/01/13(木) 11:10:58 ID:U6Rpb5At0 - >>127
昭和16年12月〜17年10月:日米戦争(フィリピンをめぐる戦い) 昭和18年 5月〜18年10月:満州戦争(毒素、満州攻略戦)新京陥落 昭和18年10月〜19年5月:朝鮮戦争(毒素、朝鮮攻略) 昭和19年 5月〜19年10月:国連軍朝鮮逆上陸。朝鮮解放(主力日米) 昭和20年 4月〜5月:奉天会戦。史上最大の戦車戦。現在の南北満州 国境まで、独ソ撤退。以後戦線膠着 昭和20年 5月 :日本、北樺太攻略。ウラジオストック大空襲 昭和20年 7月〜10月:山口(多門)機動部隊、英国支援のため 米国機動部隊と共同で大西洋へ。独逸海軍壊滅。フランス沿岸部空襲。 V2号発射基地壊滅。 昭和21年4月〜8月、日米英、ノルマンディー上陸。パリ解放 昭和21年8月 両陣営の停戦条約締結。以後2011年現在まで 満州は南北分断。満州民主主義人民共和国(北満州)と満州国(南満州) とそれぞれ主張しており、国境紛争が絶えない。また、独逸はヒットラー 暗殺後、親蘇派、親米派とで内乱が発生。隙をついたソ連の独逸侵攻と 親ソ派のクーデター成功によりソ連邦の一部と化す。大量の難民が、 アメリカ、日本に流入する。かれらは「ゲルマン自由政府」を樹立し、 満州に自治区域を与えられ、独自の軍隊を装備し、ソ連対策の一翼をになう こととなる。 昭和21年6月〜、シナでは国民党と共産党勢力とが内戦勃発。ソ連は共産党 を支援し、国民党はアメリカの支援を要求するも、満州、欧州支援で 手一杯なため、国民党は劣勢にたたされ、蒋介石は戦死。代わって 日本の支援受けていた汪兆銘が中華民国総統就任。シナ大陸沿岸部を掌握。 しかしながら、中共は農村部で絶大な支持をとりつけ、大陸の大部分を 占有する。中華民国は、列強の租借権を、自衛のために再延長する政策を とり、対して共産党はそれを否定している。両者は現在もにらみ合いを 続けている。
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