- 爺さん婆さんから聞いた幕末明治大正昭和の話4
124 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/01/11(火) 18:23:40 ID:nnKO2JMy0 - うちのばあさんは大正末期うまれ。
女学校時代は、陸上部で走り幅跳びの選手だった。 戯曲、小説などを濫読したり、 学芸会?では、肉弾三勇士に扮して、そのあまりに勇猛果敢な 演じ方で、ファンレターがきたとかこなかったとか・・・。 卒業後は、大学教授の家に行儀見習いにだされ、 後に祖父と結婚。 祖父は、甲種合格後ある歩兵連隊の旗護兵として出征 徐州会戦→昭和15年除隊→昭和17年応集→バリ→ビルマ→サイゴンにて 終戦。 極貧の出で、小学校時代は一日2食。昼は水を飲んでがまんした。 軍隊は、衣食住がそろっていて天国だと思ったそうだ。 ばあさんとは、当時教官を務めていた青年学校でしりあった。 ばあさんの親戚は猛反対したそうだが、料亭で婚礼をとりおこなった。 ビルマでは軍曹だったが、上官が戦死するので急遽大尉の階級章を 授けられて食料確保などにあたり、辻参謀が部隊に現れたとき、 重機関銃の弾が6発しかなかったのをみて驚いたそうだ。 マラリアにかかったとき、部下が英軍の食糧倉庫を襲撃してコンデンス ミルクを奪い、それをもらって飲んだら回復した。 たいめん鉄道を汽車で移動中爆撃にあって列車が横転し、多数の仲間が 死傷した。自分も下敷きになり足を負傷したが、奇跡的に軽症だった。 部下が戦死した際、小指をきりとり ひもにとおして運び、焼いて骨として 空き缶にいれて日本まで持ち帰った。 サイゴンから日本へ帰国するとき、航空母艦が引き上げ船で、 仲間とキャッチボールなどしてすごした。 祖父の慰問袋を空けたら、除隊証明書、92式重機関銃の操典、 支那事変従軍徽章、しらみだらけの「軍帽につけるひさし」なんかが はいっていた(ほかにもいろいろ入っていた)。
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- 【激動の】高度成長期の日本について【昭和】
18 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/01/11(火) 18:36:07 ID:nnKO2JMy0 - まあ、あと100年は この不況が続くと・・・・。
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- ● もしも日本が米英に負けていたら (3敗目) ●
125 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/01/11(火) 19:44:59 ID:nnKO2JMy0 - そうだねえ・・・。陸海軍とも、支那大陸に存在する第一線級部隊を総動員
して米英を撃滅できたから良いものの、陸軍が総力戦に不可欠な 技術者、熟練工らをふくめた兵員100万を、大陸に貼り付けなどして いれば、どう転んだか・・・。 まあ、大陸よりの自主的な撤退と正々堂々の宣戦布告の後、 @マリアナ沖海戦(連合艦隊総力により米戦艦部隊壊滅) Aフィリッピン大会戦(陸軍総力によりマックアーサー将軍以下 米兵多数を捕虜とす) B印度大騒乱(わが特務機関による印度民衆の大反乱。英国総督は退避) によって米英の出鼻をくじくことができた。結局、1年で米英との講和条約 にこぎつけるたが、その最中にまさか独ソが満蒙に侵攻してくるとは 夢想だにしなかったな。ソ連とは、一応中立条約があったわけだし、なんといっても 敵国同士が電撃的講和を締結して、翌日から満州侵攻をしかけてくるのだから。 「昭和の秋山好古」といわれた、関東軍の栗林中将率いる機械化師団は 大奮戦したものの、衆寡テキセズ 新京、平壌、京城まで陥落・・・。釜山まで おいつめられた所を講和成った日・米連合軍が逆上陸をはたし、対馬を 基地とした超重爆B29部隊が朝鮮半島を火の海とし、なんとか満州国の 南半分までは再占領に成功したものの、いまだに南北満州問題は 未解決のままだよ・・・。
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- ● もしも日本が米英に負けていたら (3敗目) ●
128 :125[]:2011/01/11(火) 21:28:09 ID:nnKO2JMy0 - つづき・・・
もし、米英にも、毒素にも敗北したならば、 それこそ南満州どころか海外領土すべてを喪失したんではないか? 不謹慎だけれども・・・。 当時の帝国陸軍は、米英毒素4軍を撃破する能力があるかという議論 自体がなりたたず、史実、毒素を北満から南下させぬ抑止力は米軍に負う ところが遺憾ながら多く(現在は国連軍と名前を変えているが、 実際は日米軍である)。 結論からして、海を挟んだ2面同時戦線では、帝國の運命やいかに、という 結論だと思う。 南満州の実権は、実のところ米国が7、帝國が3という按配である。 しかしながら、千島、樺太(北樺太は帝國が占有した)、朝鮮、台湾、 南洋を版図とし、大東亜共栄圏には東南亜細亜諸国が加盟している。 その実態が米国の強い影響下にあるとはいってもだ。帝國の利用とする 「亜細亜諸国の独立」が、まがりなりにも達成されている実情が、帝國が 英米毒素に敗北していた場合、なしえたかといえば、その限りではないであろう。
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