- キューティーリラックス パート14
424 :癒されたい名無しさん[sage]:2020/07/07(火) 11:39:00.26 ID:7Jh9u6P1 - 「ウルトラマン」の第1話は翌週17日でした。
どうして「ウルトラQ」の最終回をやらずに「ウルトラマン誕生」を放送したのかと言えば、フジテレビが初のカラー特撮番組「マグマ大使」を7月4日(月)から放送した理由が大きいようです。 役者たちが慣れた頃が良いと制作を8話目に持ってきた1話「ウルトラ作戦第1号」は、制作が押して、10日の放送は間に合いません。 「ウルトラQ」で巻き起こった怪獣ブームを継続させるために、TBSとしては主導権を取りたかった。 フジテレビにしてみれば「ウルトラQ」が始まったおかげで「ワンダー3」の視聴率を取られてしまった雪辱がありました。 有名な逸話に、手塚治虫先生の息子さんが父親の「ワンダー3」を見ずに裏番組にあたる「ウルトラQ」にはまってしまった。 Pプロの鷺巣さんは手塚さんと旧知で、うしおそうじ名義でマンガを描いていた頃は双璧の人気だったそうです。そこで、映像化を手塚さんに申し入れて当初は「ビッグX」も候補にあったそうで、これはアニメ化されました。 「マグマ大使」はパイロットフィルムが作られました。「ウルトラQ」が放映する66年正月の直前、65年末だと言われています。 パイロットフィルムを見たフジテレビはすぐに制作を取り付け、大車輪で「マグマ大使」はつくられました。 鷺巣さんはまた、円谷英二とは師弟関係にあたります。アニメと特撮の可能性にかけて並々ならぬ想いがある人物。 例えば東宝の「キングコング対ゴジラ」のコング輸送作戦の議事堂前、自衛隊が網をかける人間のシルエットのアニメーションなどをやっています。 そんな経緯で、円谷さんは、鷺巣さんの新企画を心配して、特撮に慣れた大木淳さんを「マグマ大使」の現場へ入れました。 大木さんは「ウルトラマン」の制作が追いつかず2班体勢になって、テレビの演出をする事になった円谷英二組の事実上の演出補として円谷プロへ復帰します。 ゆきのビキニ それは、ご褒美だったんですか? と大木さんへうかがったら、政治的な意味もあるようで、その話は改めて詳しくしましょうと言われ、結局、会えなくて、大木さんが亡くなってしまい、どういう意味合いだったのかはっきりしないままでした。 ともあれ、フジもTBSも、一刻も早く巨人ヒーロードラマをテレビに出したかった。その競争に「マグマ大使」がいち早く登場した経緯でした。 TBSのプロデューサー、栫井巍(かこい たかし
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425 :癒されたい名無しさん[sage]:2020/07/07(火) 11:40:04.31 ID:7Jh9u6P1 - 【むせる】7月7日は「キリコ・キュービィーの誕生日」
『装甲騎兵ボトムズ』の主人公。ギルガメス暦2326年7月7日生まれ。普段は寡黙・無愛想で、本人曰く「クソ真面目」。あらゆる死地をくぐり抜ける「不死身の男」だが、これには重大な秘密が関係している。飲んでいるコーヒーは苦い。
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426 :癒されたい名無しさん[sage]:2020/07/07(火) 11:41:54.45 ID:7Jh9u6P1 - Pプロの鷺巣富雄さんは機を見るに敏、なんでも先んじて先手を打つ名人です。アイディアマンで、円谷さんとも古くからの知己。戦前、東宝の線画時代に師事したそうです。
戦時中は東宝の教育映画でフィルムつくりをしていました。造型の高山さんとはその頃の仲間で(高山さんもPプロの発起人)、戦後、労働争議を経て、退社。マンガ家として活躍すると、やがて手塚治虫と親交をもち、手塚と双璧とまで言われる人気作家になっています。その筆名うしおそうじは、昭和の子供には知られた名前です。 教育映画の動画や大映のタイトルを引き受けてから、マンガ家から再度、映画の世界に戻り、ピー・プロダクションをつくり、「釈迦」(大映)や「キングコング対ゴジラ」(東宝)で効果的な場面の動画を担当。 円谷さんから声がかかり、円谷特技プロの設立の発起人・取締役にもなったそうです。 そんなわけで、テレビの時代が来て、自身も特撮番組を企画します。 「クラブ君の冒険」のパイロットフィルムの江木俊男を残して、手塚治虫の原作を戴き「マグマ大使」のパイロットフィルムがつくり出したのが65年末だと聞いています。 「ウルトラQ」が66年年明けから高視聴率を取った事で、「マグマ大使」はフジテレビで制作が決定します。これは、裏番組にあたる手塚治虫の「ワンダーW3」が惨敗した事が大きいようです。 円谷さんは、大がかりな特撮経験のない「マグマ大使」の現場を心配して、大木淳を派遣します。 その大木さんが円谷プロに戻ったのが、野長瀬組2本の特撮からでした。この2本は円谷英二の特撮ですが、大木さんが指揮をとる事実上の特撮監督デビューです。 公式には、円谷さんの名前も大木さんの名前も特技スタッフにクレジットされていません。大木さんの公式な特撮監督デビューは「快獣ブースカ」からになります。 その事を大木さんに、局同士はライバルでしたが、「マグマ大使」の内情は大木さんを通じて円谷さんも把握していたんですね。そうすると円谷プロに戻って、すぐ特撮の演出を任されたのは、ご褒美めいた意味合いだったんですか?と聞いてみたら、その件は長くなるから、場を改めて話しましょう、と答えてくれました。でもそれからすぐ亡くなってしまった(96年)。残念な事ばかりです。 ぼくらは子供の延長線なのに当時の大人たちはどんどん歳を重ねていた。その時に、聞きたい事があったらなにがなんでも聞いておくべきでした。
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