- キューティーリラックス パート14
421 :癒されたい名無しさん[sage]:2020/07/06(月) 19:33:09.94 ID:HqE8mbuV - 66年に始まった怪獣ブームでしたが、67年の秋に「ウルトラセブン」が始まり、冬の映画ではこの「ゴジラの息子」と、東映の「怪竜大決戦」「黄金バット」です。ぼくは東映の方は行けませんでした。
ゾルゲル島が雪に包まれ、ゴジラ親子が冬眠につく、閑かな音楽と故郷へ帰れる隊員の歓喜。隣に母が居てくれる安堵感。 そして時間が経って妹が出来て、日劇で見たクモンガとカマキラス。 「ゴジラの息子」を見ながら、そんな事を思い出すわけです。 日劇にふたたび行ったのは、79年の「ゴジラ映画大全集」でした。 8年後ですね。高3ですよ。 天井を見上げました。ここにヘドラが居て頭がつっかかっていた。ここにクモンガがいた。そんな感慨を感じました。 それにしてもミニラの芸達者には脱帽です。よく動いて存在感たっぷり。 中学生ぐらいの時は粋がって、コイツがゴジラの恐怖を台無しにしたのだと、嫌ったわけですが。でも日劇の時は、意外と面白かったね、良かったね、と言い合ったんですよ。
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422 :癒されたい名無しさん[sage]:2020/07/06(月) 19:35:03.62 ID:HqE8mbuV - やさしさを失わないでくれ。
弱いものをいたわり、 互いに助け合い、 どこの国の人たちとも 友だちになろうとする 気持ちを失わないでくれ。 たとえ、その気持ちが 何百回裏切られようと。 それがわたしの最後の願いだ。
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423 :癒されたい名無しさん[sage]:2020/07/06(月) 19:37:26.96 ID:HqE8mbuV - かつて、怪獣倶楽部のみなさんが作った商業誌「ファンタスティック・コレクション(ファンコレ) ウルトラQ ウルトラマン ウルトラセブン」は、福音書のようでした。あれが人生の範になってしまった。東宝レコードの「ゴジラ」もです。
それが1979年の事。「実相寺昭雄監督作品ウルトラマン」や「ゴジラ映画大全集」のあった年。 彼らがプロの仕事をした最初の送り手の怪獣ファンたちなら、ぼくらは受け手側の最初です。熱心な彼らのファンでした。以来、強力な機関車の客車に乗っかって瞬く間の40年でした。 ぼくたちの同人誌は「NeoFERAS」と言って、上映会で知り合った仲間たちで始まりました。 情報誌「ぴあ」が出るとまっさきに自主上映のページをチェックして、関東圏どこへでも出向いたものです。 テレビがもうモノクロ番組を制作しなくなった上に再放送もなくなって、「ウルトラQ」は幻の番組のようでした。 円谷プロに残されたフィルムも少なくて、ファンコレのリストを見ながら、たった1本を見るためにものすごい執着心をもちました。 そのころ、「スター・ウォーズ」などのハリウッドのSF映画によってSF人気が高まり、それなら日本にだってゴジラやウルトラマンがある! と言う回顧キャンペーンを成人雑誌がやっていました。 「GORO」や「プレイボーイ」「DOMDOM」などの記事はそれこそ怪獣倶楽部の竹内さんや安井さんがやったものだと後で実感するわけです。 その以前はキネ旬の「世界怪物怪獣大全集」のような本はありましたが、あれは映画の枠のキワモノ特集のような趣なんです。たとえば、プロレス本がたまに出す「怪奇レスラー特集」のような。 特撮、怪獣は映画、テレビの評論家には鬼っ子あつかい。 特撮映画やテレビの情報を得ようと児童誌を買うしか手がなかった時に、ぼくたちが初めてルビなし(児童書でない、と言う意味)の怪獣本を手にしたのがファンコレだったわけです。 それを作った人たちへの憧れが膨らみました。 「PUFF」を何度も読み返し、手に入りづらい「怪獣倶楽部」や「衝撃波Q」はその頃知り合えた年長のファンのお宅で見せてもらい、先輩につづけ!と言う感じだったと思います。 おりよく「宇宙船」が創刊して、会誌の情報を出したら瞬く間に会員が集まった。あっと言う間に100人。1年で200人を越えました。 聖咲奇さんからいきなり電話が来ました。
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