- キューティーリラックス パート14
206 :癒されたい名無しさん[sage]:2018/12/03(月) 08:41:48.24 ID:D/Tv6MNo - 王自身は意識をして引っ張っているつもりはない。
引っ張る打撃と言うよりも、球を捕らえるポイントがかなり前方にある。 これにより滅多な事では左中間やレフト方向には飛んでいかない。 更にダウンスイングの王はバットでボールを切る様に回転をかけてバットに乗せる。 よって回転が加えられたポールは想像以上により遠くへ飛んで行く。 バッターボックスの位置は、最後方部ホームベース寄り。 球をよく見極める為の時間稼ぎと前で球を捌く為、ベース寄りで構えていても詰まらない。 王のならではの秘策と言えよう。 試合の終盤、王の打席が終わると イニング途中であっても観客が何千人も席を立っていく‥‥ 5番打者はさぞかし気が散ってただろうなあ こんな選手、今ではもういないよな
|
- キューティーリラックス パート14
207 :癒されたい名無しさん[sage]:2018/12/03(月) 09:01:09.47 ID:D/Tv6MNo - 太刀山は全勝5回のほかに土つかず5回、栃木山は全勝2回のほかに土つかず6回がある。
栃木山の場合、大正6年5月の(9勝)1預は実質的な勝ち(陰星)とされ、大正8年1月の(9勝)1休は相手(朝潮)の休場によるもの。他に8勝1分1預、9勝1預、9勝1分、10勝1分がある。 預は現在なら取り直しとなるケースでも負ける可能性は低い。 また、東西制の事情から、実力上位の相手に対して最初から引分に持ち込もうとする場合が多かったと考えられる。 不戦勝制度ができ、引分・預がほとんど考えられなくなった昭和以降の土俵なら、太刀山も栃木山も全勝が8回前後できた可能性がある。 双葉山の全勝回数を他の強豪に比して特別突出しているように評価するわけにはいかないと思う。
|
- キューティーリラックス パート14
208 :癒されたい名無しさん[]:2018/12/03(月) 09:03:13.61 ID:D/Tv6MNo - 青木喬 陸軍少将の述懐
「(4)零戦問題 (略)昭和16年1月恒例により明野において陸軍最新の1式戦、2式戦と戦技競技を交えた結果、 馬力荷重、翼面荷重等において陸軍側が有利であったにもかかわらず、戦闘性能、操縦性能共に 零戦がまさったことは参加ベテラン戦士の等しく認めたところで、特に20mm砲装備の攻撃力及び 偉大な航続力では断然世界レベルを大きく突破する空前の至宝兵器であることが立証された。 (略)もし仮に昭和14,15年頃から陸軍も零戦に統一する勇断があったなら、量産錬成・共同戦果はもちろん、 はるかなる南方広域に補給の途上少なからず喪失を見たような痛恨事は皆無に近かったと考える。 零戦統一に関する具申は懸命且つ執拗に努力したが、越権なりとして容れられず、甚だしきは海軍かぶれと ののしられ恨みの涙を呑んだことは忘れられない。(略)」
|
- キューティーリラックス パート14
209 :癒されたい名無しさん[]:2018/12/03(月) 21:22:07.95 ID:D/Tv6MNo - おれも柏鵬時代は知らないんで柏戸は大鵬に強いという以外、
取り柄のない横綱のうように思っていた。 でも実際の成績を見ると横綱としては在位47場所で勝率73.5%、 準優勝15回、41・42年は連続年間最多勝(大鵬の休場のお陰だが)。 実は戦後の横綱としは悪い成績じゃない。 佐田の山は横綱勝率74.6%で柏戸よりいいが、在位18場所と短く、 連覇した直後にスパッと引退しての数字。この割を食ってしまったのが柏戸で、 この時期は、柏戸の方が衰えが顕著で先に引退する、と思われていたそうだが、 (本人も引退を意識し始めていたらしい) ここで自分も辞めると横綱が大鵬一人になってしまうので、 病身に鞭打ちながらなんとか現役を続けざるを得なくなった。 ラスト2年は12場所中6場所がクンロクという体たらくになり、結果、 横綱勝率で佐田の山を下回る結果になったが、佐田の山引退時点だと、 37場所で76.7%の勝率を残していて上回ってたんだな。 安定感では佐田の山>柏戸というイメージがあったんで少し意外だったが。 ちなみに同じく在位47場所の輪島が76.6%、48場所の曙78.5%、 二代目若乃花は28場所で75.1%、北の富士が27場所で74.6%、 北勝海が30場所で76.7%と比べても、そうそう悪いわけじゃない。 優勝回数で見ると平凡だが在位場所数、勝率でみるとなかなかの成績、 というアンバランスな実績は、強いと言われた割に取りこぼしが多く 優勝が少なかった柏戸らしいのかもしれない。 ちなみに佐田の山は周知の通り大鵬に5勝27敗と歯が立たなかった。 優勝した6場所に限っても優勝決定戦で1度勝った以外、本割では 2敗1不戦勝。実際に対戦したのは2場所だけでいずれも負け。 内、一度は決定戦で勝ち、もう一度は負けても星一つリードしていたので逃げ切り。 初優勝の時は番付差があり対戦なし。(大鵬関脇、佐田の山13枚目) 残り3回は大鵬休場で対戦なし。(内、不戦勝1度) つまり、佐田の山は大鵬が休場か、不調の隙をつくような形でしか 優勝できなかったんで、ライバルとしては、余り期待されなかったようなんだね。 ただ唯一年間最多勝を獲得した40年は皆勤した大鵬を抑えてのものだから、 これは価値があると思う。
|