- 【BS日テレ】夢見るサムセン【ネタバレ禁止】
920 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2015/01/04(日) 06:38:27.74 ID:rmMNsTzD - 百済の歴史
その昔、朝鮮半島には中国の漢族が作った楽浪郡帯方郡が中央部にあって、 半島南部には韓族による馬韓、辰韓、弁韓の三つの地方に分かれるいわゆる三韓があって、 さらにそれぞれ小集落に分かれて社会を形成していた。 やがてその中でも耕作可能な平地が多い地方に居を構えた 馬韓の湘南平野を中心にした百済と 辰韓の慶州盆地を中心とした新羅が、 有力な国家として台頭してきた。 一番南端にある弁韓は地形が山がちで小集落が多く 最後まで統一された国家は形成されなかった。 弁韓の小集落の首長は強大になった百済や新羅の侵略から領地を守るために 海を渡った対岸にある強国である倭国の庇護を求めるようになった。 倭国の人々も積極的に海を渡り弁韓の有力者たちと縁戚関係になったり 文化的交流を持つようになると同時に軍隊を派遣して百済や新羅と戦うようになった。 そして半島南岸に任那日本府を置き居留地兼軍隊駐屯地とするとともに、 任那の調とよばれる租税を任那の領主から献上されるようになった。 百済や新羅との戦いは倭国優勢で進んでいて、 一時的には百済や新羅も倭の属国になったりしていたが、 北方で満州族国家と思われる高句麗が強大になって 漢族の楽浪郡を滅ぼして半島を南下してくると、 百済や新羅は政治情勢に応じてこれと結んで倭国と対抗するようになり、 倭国は高句麗の軍勢にたびたび敗れて、百済や新羅からは引かざるを得なくなる。 この後百済と新羅は高句麗と倭という南北の軍事大国の間で、 巧みな外交をもって泳いでいくことになる。
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