トップページ > 韓流 > 2012年10月04日 > qEYvFIXJ

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名無しさん@お腹いっぱい。
神医 と タイムスリップDr.Jin
★韓ドラファンの雑談スレ・19★

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神医 と タイムスリップDr.Jin
141 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/10/04(木) 09:48:48.75 ID:qEYvFIXJ
>>31
朝鮮時代後期の歴史は白紙ではないよ。
名君正祖の時代に左遷された丁若繧ェ記した『牧民心書』に地方の疲弊した様子が垣間見られる。
飢えに苦しみ正気を失った母親が生まれたばかりの我が子を煮て食べようとして正気に戻り泣き叫んでいた
等の悲惨な庶民の暮らしぶりが綴られている。
正祖の後の時代は安東金氏の勢道政治の時代であり外戚による収奪はどんどんきつくなっていった。
憲宗の時代は水害と伝染病のため、生活が徐々に困難になり家を捨ててさすらう流民が急激に増加し
李氏朝鮮の崩壊の序曲となった。
哲宗の時代になると安東金氏一派の権力濫用により、国内では貪官汚吏が跋扈し、三政(田政・軍政・還穀)は
大いに乱、洪水と日照り、火事などの災害も頻発し、民衆の間では飢餓が蔓延した。このため民衆の反乱が
全国的な規模で起きたが、朝廷では反乱が起きる根本的な原因を知ろうともせず、哲宗にも安東金氏の勢力を
抑え対抗する力はなかった。苦痛で喘ぐ民衆の間では、崔済愚による、すべての人が天であると主唱する東学
思想が急速な勢いで広まった。絶望した民はカトリックなど宗教に救いを求めた。
そして最後の王高宗であるが興宣大院君は安東金氏の勢道政治を打破し、国内改革を行っていたが、迫り来る
西洋の列強諸国に対する対外策はあくまでも鎖国・攘夷であり、決して国交を結ぼうとしなかった。また、カトリックの
弾圧を繰り返し行った。しかし、閔妃が入宮すると没落した安東金氏・閔氏一族らが結託し大院君排除に動きだし
またもや権力闘争となり民は置き去りとなる。
★韓ドラファンの雑談スレ・19★
981 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/10/04(木) 19:07:46.53 ID:qEYvFIXJ
朴景禾一」は『土地」に託した歴史意識について次のようド述べている。
 『土地』あ歴史意識というものを私なりに述べますと、こんなことが言えると思います。.私たちは、韓日
併合を恥辱と思っていますが、精神的な次元で考えると必ずそう思う必要はなドということです。国を奪わ
れたこと自体は精榊的な次元では恥辱ではないということです。例えば、心の優しい人が無防備状態で自分
のものを奪われたとしてそれがどうしてその人の恥辱になるのでしょうか。もちろん無能だとは言えるかも
知れませんが。 しかし儒教的な立場や宗教的な立場から見ると・必ずしも無能というものでもありません。
李朝五百年の政治をみると、一種の教化君主政治で、ある意味では、理想的な政治哲学のようなものを持っ
ていました。そめような理想が現実に敗北したわけですが、少なくとも精神は清いもので、きれいなもので
した。』ころが日帝は野蛮にも拳銃を突きつけ大砲を撃ち、この大地を騎閨しました。これがどうして日本
の誇らしい歴史といえるでしょう机1
 一個人であれ民族であれ、存在そのものの尊厳は外部のく力)によって傷つけられてはいけない。抑圧する
側の力は、いくら文明の名を借りてもその実体は野蛮そのものである。朴景利は、く近代〉という名に隠され
た、文明と野蛮、先進と後進、優秀と劣等、多数と少数、中心と周辺など、二分論法を基礎とする近代主義の
支配の論理に内在する矛眉と限界を辛辣に批判している一

く青年期までの私の人生は根こそぎにされた不当な悲しみと強要された日本の物で剥製にされていたジと
語る朴景禾1」自身の言葉からもわかるように、作家の内面に根強く内在化したこのよ.うな歴史認識は、『土地』
では主に民衆のレベルでの近代批判、反日感情の露骨な噴出という形で随所に描かれている。.例えば、く開明
というものは大したものではな.いぜ。一言でいえば、人を殺す道具がいいということだけであって、人のもの
をむやみに奪い取ることが開明というものだ。)’と、弱肉強食の近代主義の本質を批判す・る大エユンボの素朴
な言葉、く昔は私達の前で脆いて喪服を借りていった奴等じゃないか。奴等の着物は私達の喪服を借りて作っ
たものじゃないか。デと、飲み屋で閨妃暗殺に対する怒りを吐き出す旅商人の日本文化に対する蔑視、く日本人
は不倶戴天の敵じゃ。人間の皮を被っているから人間というだけであって、三綱五常も知らない獣よりも劣っ
た奴等、私は、たとえ懐に一銭もなくても日本人の荷物は絶対た担ぎません。〉‘と語るチゲクン(背員手で榊漉
ぶこと鹸とす石人)老人の怨念に満ちた言葉など、その例は実に多い。このような日本に対する民衆の本能的な
怒り、赤裸々な反日感情の表埠は、解放60年という歳月を経て、21世紀におけるアジア共同体結域の意義、交
流と越境に基づいた共生・共存の言説が当たり前のように語られている今日においては、極めて時代錯誤的な
言説に他ならないが・『土地』の時空間に生きる民衆の立場からはごく自然なものであったのである。一章で
紹介したヤンームンギュの指摘どおり、朴景利は、民衆の本能的な抵抗意識こそ植民地現実に立ち向って戦う
有力な主体であるとし、いかなるイデオロギーの抵抗性より優位のものとして描いているのである。


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