- なぜ最近のゲームはつまらないのか
896 :ゲーム好き名無しさん[sage]:2015/03/11(水) 19:41:22.36 ID:1Pn3nuc/0 - >>892
背景として背景に力を入れる分にはいいけど 背景と記号が一体化してもう区別も無い状態だと何が何だか分からない 現実世界を再現する事だけに躍起になってるからそうなる まずゲーム、そしてそれに必要なCG、それがゲームの本来の姿 >>893 出尽した訳ではない 発想する力が突如消え去った世代が現役 現実や真実に束縛されすぎ、概念に支配されすぎ 空想や想像力をもっと、頭の中の世界をもっと 現実に縛られない思考が必要 それが出来ないから、現実のようにしか動かない(いい言い方すれば現実を再現できてる) 必要なのは思いもよらない未知の領域、不思議、謎、空想の中での真実、現実で無い真実 >>892 作ろうと思えば作れる 才能が無いんだと思う >>895 それは本当に実際にシミュレーション化してる 現実を再現する=シミュレーション
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897 :ゲーム好き名無しさん[sage]:2015/03/11(水) 20:09:11.87 ID:1Pn3nuc/0 - 要するにデフォルメかどうかと言うより
ゲームとして作られているか それとも現実の再現として作られているのか ゲームとして作られるとは、プレイヤーがこういう事をするとこういう結果になるという遊びの仕組みの事 現実の再現とは現実では何をするとどうなるか既に知った状態なので結果は分かってる 棚の高いところの本をどうしたら取れるのか悩んでどうしたらその本を取れるのか考えてるうちは楽しい それは作った人の勝手に決めたルールで、はしごはだめだけど特定の台はいいと言うそういうゲーム的な思考回路 でも現実で起こりうる状態を再現して棚の高いところの本をその場の直感で分かる台を使えばとれるだろうと言う当然の事を改めて実践したとしても何の面白みも無いと言う違い 高いところにおかれたものを台を使えば取れると言う現実ののっとって、台を使ってとると言うのはシミュレーションでしかないけど 高いところにおかれたものをとるのに台を使えばいいのか、はしごを使えばいいのか?自分で答えを見つけると言うのはゲーム 当然見た目どおり現実どおりのシナリオじゃつまらないから 目の前のはしごや台は役に立たない失敗するもの それじゃ何を探したらいいのか?どうしたらいいのか?と言う問題形式 繰り返しになるけど、高い場所のもの?現実的に考えれば台を使えば取れるのは当然、目の前の台を使ってとる、そのままとれる と言うのはシミュレーションでしかない 向こうの部屋に行きたいな、どうしたらいけるかを思考する 海に囲まれた洞窟に入りたいな、どうしたら入れるかな?と思考する
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899 :ゲーム好き名無しさん[sage]:2015/03/11(水) 23:51:22.42 ID:1Pn3nuc/0 - そんな感じですよね
どうなるか分かってる事を実演するのはシミュレーション どうなるか答えを探し出すのはゲーム 作り手の感覚からシミュレーションなんだと思うけど 敵の倒し方の、効果的なやり方が最初から分かっている→それを再現するだけ これもシミュレーションで やってる側からすれば何の発見も無い もう一つゲームに必要な事忘れてた・・・ 「どうしたら出来るか?」以外に何が「起こるか?」も必要だと思う 「どうしたらその湖に囲まれた洞窟の中に入れるか?」と「その湖に囲まれた洞窟は何なのか?入るとどうなるのか?」と言う部分 興味をそそる部分 何が起こるのか知りたいから、それを目指す訳で・・・ そういう部分も現在のゲームでは無いと思う 高いところにおかれた本、はしごがそばに置かれている はしごを使ってとれば良いじゃんというのはただのシミュレーションだけど ゲームでははしごを安易に使うとどうなるか分からない そういうどきどき もしかしたらはしごは使ってはいけないもので、はしごを使うと転倒してバッドエンドになるかもしれない 遊んでる側の期待する事は 自分のした行動でどういう結果になるか?とかこれは何なのか?とか 見たいな意味合い付けで この洞窟には、ここの先のここで使う為の道具が手に入る、その為の洞窟だ とかそもそも、その洞窟自体の存在する意味、この洞窟は何の遺跡でどういう設定で、それをプレイヤーが解明する面白み? 探究心とか冒険心を刺激するもの 人間(作り手側)の作る意味合いの事 それぞれのオブジェに対して「意味合い」を付けれていない 面白いゲームでは地図が逆に面白さや興味を駆り立てるはず 地図のこの意味深な場所、行ってみたい、どうやったら行ける、何が起こる?興味をそそる 作り方が悪い
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