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無党派さん (ワッチョイ 55f2-ShKg [118.15.161.120])
無党派さん (ワッチョイ 55f2-ShKg [118.15.161.120])
【Social】日本共産党総合Part158【Justice】

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【Social】日本共産党総合Part158【Justice】
802 :無党派さん (ワッチョイ 55f2-ShKg [118.15.161.120])[sage]:2019/07/20(土) 20:49:38.11 ID:IJ6W8b9f0
>>723
>志位委員長「兆円単位になっても日本政府は徴用工被害者に賠償するべき」

戦時中の徴用工の賃金は、戦後に朝鮮総連が企業を恫喝して全て回収したが、
肝心の徴用工には渡らず、一部が復活して間もない日本共産党の活動資金に流れ、
日本共産党による破壊工作を支えたのだから、日本共産党が資産を全部売って、
徴用工に払えばいいじゃん。

代々木の党本部や、熱川の党幹部専用超豪華保養所とか、不破の大豪邸とか、
全部売ってチョンに払えばいい。
【Social】日本共産党総合Part158【Justice】
852 :無党派さん (ワッチョイ 55f2-ShKg [118.15.161.120])[]:2019/07/20(土) 22:37:19.62 ID:IJ6W8b9f0
>>833
>宮本百合子だけがなぜか唯一の獄外公然党員として存在することを許された

宮本百合子は中野重治らと共に極右団体の日本文学報国会に自ら加入して
佐多稲子と共に【ファシズムの女闘士】と呼ばれて、ゴリゴリの軍国主義者として
「八紘一宇」「進め一億火の玉だ!」と叫んで、国民の戦意高揚を煽っていた
戦争犯罪者だからな。

共産党員のプロレタリア文学者は、みんな極右に転向して「東條英機のイヌ」として、
帝国陸海軍に忠誠を誓っていた戦争犯罪者だよ。いかにも共産党員らしい.
【Social】日本共産党総合Part158【Justice】
859 :無党派さん (ワッチョイ 55f2-ShKg [118.15.161.120])[]:2019/07/20(土) 22:48:00.89 ID:IJ6W8b9f0
>>855
戦争中、谷崎潤一郎・幸田露伴・内田百閨E江戸川乱歩・中里介山など、
軍への協力を毅然と断った、硬骨の日本文学者も数多かった

しかし、宮本百合子、蔵原惟人、中野重治、佐多稲子、窪川鶴次郎など
日本共産党員のプロレタリア文学者は、帝国陸海軍に必死で媚を売り、
こぞって日本文学報国会や大日本言論報国会などの極右団体に所属して、
戦意高揚や軍国主義の推進に努めていた、どーしようもない戦争犯罪者

日本共産党の綱領に何度も出てくる『日本共産党は戦争に反対した唯一の政党』
なんて言葉は、完全にウソ。ウソをつき続けて自分達の戦争責任から逃げるしか、
卑劣な戦争犯罪者の共産党員は能がない。


◆日本共産党員のプロレタリア文学者、窪川鶴次郎(戦後、”皇国文学の御用理論家”と
いう渾名がついた)が真珠湾開戦直後に、朝日新聞の「戦時提言欄」に投稿した言葉

「文学者として何を為すべきかに、迷うことは少しもない。
日本にとって前古未曾有のこの大東亜戦争に直面して、国民の一人として
必死の覚悟があるならば文学の仕事に携っている限りは、私たちの責務は、
あくまで文学にたいする真の自覚より他にないであろう。
かくて日本文化の法燈はいよいよ輝くであろう」
【Social】日本共産党総合Part158【Justice】
880 :無党派さん (ワッチョイ 55f2-ShKg [118.15.161.120])[]:2019/07/20(土) 23:22:58.79 ID:IJ6W8b9f0
1933年、当時日本共産党中央常任委員であった宮本顕治、袴田里見らが、
当時の党中央委員大泉兼蔵と小畑達夫にスパイ容疑があるとして査問処分を行う
ことを決定し、12月23日、二人を渋谷区内のアジトに誘い出した。
宮本らは針金等で手足を縛り、目隠しと猿轡をした上に押し入れ内に監禁した。
宮本・袴田の他、秋笹正之輔、逸見重雄らが二人に対して暴行を行ったため、
小畑は24日、外傷性ショックにより死亡した。小畑の死体は床下に埋められた。

当時、共産党はスパイを摘発する目的で、波多然・大沢武男といった党員に対して
「査問」と称するリンチを行っていた。宮本によると、スパイを行った場合には、
共産党規約により査問を受けることが予め承諾されていたという。印刷局副主任で
あった荻野増治も査問にかけられ監禁されていたが、このままでは殺されると考え
逃走した。

12月20日の深夜、荻野増治は警視庁特別高等警察課に出頭、保護された。
荻野の供述により、宮本らのアジトが割り出されることとなる。
12月23日、宮本らは小畑・大泉の両名を会合を開くと称して呼び出し、そのまま
「査問」にはいった。翌12月24日付の『赤旗』には「中央委員小畑達夫、大泉兼蔵
の両名は、党撹乱者として除名し、党規に基づき極刑をもって断罪する。」との
党中央の声明が掲載された。警視庁は、この「極刑」という表現に注目、
荻野と同様のリンチが両名に加えられ、場合によっては殺害されている可能性が
あるということで、捜査を開始した。

逸見重雄の供述によると、彼らに加えられた暴力行為は以下のようなものであった
とされる。まず最初に大泉に対して棍棒で殴打するなどのリンチを加え気絶させた。
その後小畑を引きずり出し、キリで股を突き刺したり、濃硫酸をかけるなどの凄惨な
拷問を加えた。最後に薪割で小畑の頭部に一撃を加えた。そして大泉を引き出して
小畑同様のリンチを加えた。大泉はこの拷問に耐え切れず気絶したが、宮本らは
死亡したものと早合点しそのまま引き上げた。大泉はまもなく蘇生した。

この頃小畑が死亡する。裁判では小畑の死因は外傷性ショックであるとされた。
小畑の死体はアジトの床下に隠された。
【Social】日本共産党総合Part158【Justice】
888 :無党派さん (ワッチョイ 55f2-ShKg [118.15.161.120])[]:2019/07/20(土) 23:34:26.65 ID:IJ6W8b9f0
>>882
日本共産党はいつになったら宮顕が小畑達夫をシメ殺したことを認めて
遺族に謝罪するんだ????????

日本共産党はいつも殺しても殺しっぱなしだもんな。オウムと同じ。
殺人現場にいた袴田里見が、当時の様子を手記に書いているんだよ。


◆◆袴田里見の手記  週刊新潮・1978.2.2号
宮本は右膝を小畑の背中にのせ、彼自身のかなり重い全体重をかけた。
さらに宮本は、両手で小畑の右腕を力いっぱい ねじ上げた。それは
尋常な 力ではなかった・・・苦しむ小畑は、終始、 大声を上げていた
が、宮本は手をゆるめなかった。しかも、小畑の腕を ねじ上げれば
あげるほど、宮本の全体重をのせた右ひざが、小畑の背中をますます
圧迫した。やがて、ウォーという小畑の断末魔の叫び声が上がった。
小畑は宮本のしめ上げに息が詰まり、ついに耐え得なくなったのだ。
小畑はぐったりしてしまった。このとき、階下から物音を聞きつけて、
秋笹正之輔が駆け上がってきた。『何をやったんだ』彼はそう言うなり
大急ぎで小畑の脈をとった。たしかに小畑の脈は止まっていた。秋笹が
宮本の方を向いて言った『しょうがないなぁ、殺してしまって・・』
【Social】日本共産党総合Part158【Justice】
895 :無党派さん (ワッチョイ 55f2-ShKg [118.15.161.120])[]:2019/07/20(土) 23:49:45.72 ID:IJ6W8b9f0
>>889
◇宮本顕治による小畑達夫リンチ殺人(警察調書より)1933年12月24日午後

こうして査問が続けられるうちに次第に暴行がエスカレートしていったよう
である。「同日午後1時頃より査問経過中に於いて自分の知れる限り最も残酷
なる査問が行 われたり」(逸見調書)とある。「自分はこの査問に当たりては、
宮本等が自分に加えたる暴行の種類程度より観ても自分の殺されるはただ時間
の問題だと思いたり」(大泉16回調書)。この間の査問者の暴行が次の
ように供述されている。

「『コラッ本当のことを云わぬか』と云って」(袴田2回公判調書) 「秋笹が
用意してあった斧の背中で大泉の頭をゴツンと殴ると同人が頭から血が出た事
を見受け ました」(袴田14回調書)。大泉の頭から血が流れ、顔へ2・3滴
血が流れた ようである。「又誰かが錐の尖端で大泉の臍の上の方をこずきまし
たら、大泉は痛いと云って悲鳴を挙げておりました」(袴田14回調書)。
その全体的印象は「我々の査問の態度が真剣で、具体的事実についての取り調べ
が極めて峻烈であったので、大泉・小畑は相当な恐怖を感じ、生命の危険を
感じたかも知れません」 (袴田14回調書)という程のものであったということ
である。この査問中は頭被せを取り査問が終わるとまた被せたようであるが
大泉に限りのようである。

「先ず宮本・袴田・木島・秋笹が小畑の周囲を取り巻きガヤガヤ申して威嚇し
居りたるところ、秋笹が小鉢の火を挟み来たりたる故、自分はこれはやるんだ
なーと思い、立ち上がり小畑の側に行きたり。この時足を投げ出して座り居り
たる小畑の体を肩の付近を動かない様に宮本が押さえ付け、両脇には袴田と木島
とが居りたるが、 秋笹は火を小畑の両足の甲に載せたところ小畑は『熱い』と
叫んで足を跳ねると火は付近に散乱して畳を焦がしたり。この間『どうだ白状
するか、云うか』と云いて一同にて小畑を責めたり」 続いてと思われるが、
「(先の袴田の行動)に暗示を得て、たぶん木島であったと思いますが、真物
の硫酸を持って来て小畑の腹の上にかけました。すると段々硫酸がしみこんで
くると見えて痛がって居りま した」(袴田14回調書)。

「自分と袴田の二人にて大泉の査問に取りかかりたるが、自分が夢中に
なって大泉の陳述を聞き居る時自分の横に居たる袴田が突然立ち上がり、
後ろにいたる小畑の足に取りつき、その瞬間宮本は小畑のところに行き
同人の背後より腕をねじ上げたり。 自分も驚きて後を見ると、小畑は
三尺の壁のところより寄りかかる姿勢にて表通りに面する窓際より、
一尺くらい手前のところにおり、袴田は『この野郎逃げようとしたな』と
云いつつ小畑の両足を押さえおりたり。そこで自分も小畑のところに行き、
宮本の横側より小畑の肩を押さえつけ、宮本と袴田に向かい『早く縛れ』
と申したるも両名とも縛る様子はなかりき」(逸見調書)。

「宮本が小畑の手をねじ上げるや、小畑は倒れて長く延びたるが、非常な
力にて抵抗し大声を発しおりたり。その時木島は行火の所より跳ね起き、
小畑の頸のところを押さえつけたり。宮本が小畑の腕をねじ上げるに従い
小畑の体は俯向きとなり『ウーウー』と外部に聞こえる如き声を発した故、
自分は外套を同人の頭に掛けようとしていると、小畑は『オウ』と吠える
如き声を立て全身に力を入れて反身になる様な格好をし直ぐグッタリとなり
たり。自分が小畑の逃走せんとするを認めてより同人がグッタリする迄は
わずか5分間あるいはそれ以内の短時間なりき」(逸見調書)

   立花隆著『日本共産党の研究』 講談社 1978年
【Social】日本共産党総合Part158【Justice】
901 :無党派さん (ワッチョイ 55f2-ShKg [118.15.161.120])[]:2019/07/20(土) 23:59:27.59 ID:IJ6W8b9f0
>>898
当時は「未必の故意」という法概念がなかったから、宮顕は死刑にはならなかったが
戦後なら完全に小畑達夫殺人で死刑だ。

1976年に民社党の春日一幸が、この宮顕による小畑達夫殺害について国会で問題視し、
国会が紛糾した。その際に稲葉法相は「身の潔白を示したいのなら、再審請求すべき」
と宮顕に申し出たが、死刑判決は確実なので、もちろん宮顕は再審請求しなかった。

法相のすすめににも関わらず、再審請求しなかったことが、宮顕が自分の手で殺した
自覚があることを証明している。まあ、日本共産党は殺人なんて当たり前だからな。


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