- もし弥生人が日本列島に来ていなかったら? 2
230 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2021/05/18(火) 03:02:45.62 ID:HhWHOhY9 - 核ゲノム解析により、アイヌは日本列島の先住民で確定したが、琉球民族はどうも事情が異なる
琉球民族は、おおよそ朝鮮人70%・縄文人30%のADMIXTURE系統比でモデル化され、その原郷は西北・南九州にあるとおもわれる 北九州・半島南部で新たに誕生したヤマト民族(朝鮮人90%・縄文人10%の系統比)に勢力で押される形で 奄美・沖縄へと南下し、農耕・水稲パッケージを取り入れ、グスク時代にいまの琉球民族のベースが形成されたとおもわれる 隼人はプレ琉球人の可能性があり、720年に南九州で「隼人の反乱」が起こっているが、琉球民族の形成と何か関係があるかもしれない 同時期に編纂された「肥前国風土記」によると、土蜘蛛の容貌は隼人に似るとあり、これらの九州の風土記もプレ琉球人の実態を知るための手がかりとなる
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232 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2021/05/18(火) 13:40:41.89 ID:HhWHOhY9 - Japono-Koreanic祖語からは海に関する語彙が再構成でき、Robbeets (2017b) は、Japono-Koreanic祖語が渤海沿岸や遼東半島で話されていたと提唱した。
pJK *p?n? ‘boat’ pJK *poko ‘swellfish,Takifugu chinensis’ pJK *keni ‘crab Portunus trituberculatus’ ツングース祖語では、このような海に関する語彙の復元は不可能である。さらに、プロト・ツングースは、「(海からの)暖かい風」や「クジラ」などの海に関する語彙を、ニヴフ言語の祖先から借りていた。このことから、ツングースは西遼河から沿海州の沿岸部に到達し、そこで祖型のニヴフ語を話す先住民と接触し、海に関する語彙に親しむようになったと考えられる。 人類集団が言語・文化を伴って新しい地域に移動した場合、現地民が自分の言語を捨てて、新しく入ってきた目標言語を使うというシフトが頻繁に見られる。放棄された言語が、目標言語に何らかの痕跡を残すことがある。一方、文化拡散の場合は、現地民は自分の言語を維持しつつ、モデル言語から特定の単語を借用することが多い。 プロト・ニヴフを沿海州の沿岸部集団と関連付け、プロト・ツングースを3500 BCEに中国東北部から雑穀を持ち込んだ農耕集団と関連付けた。海に関する借用語を除いて、プロト・ツングースがプロト・ニブフから借用した単語はほとんどない。それとは対照的に、プロト・ニヴフ基層言語がプロト・ツングースに干渉していることを示す証拠がいくつかある。これらの観察は、プロト・ニヴフの集団の一部が自分たちの言語を捨てて、プロト・ツングース語を採用したという言語転換を示唆している。したがって、言語学の知見からは、文化拡散よりも人類の移動が支持される。 考古学的な証拠は、紀元前4千年紀の半ば頃に、中国東北部から沿海州に雑穀栽培が伝わったことを示している。この伝播は、同時代の東アジアにおける農業の広範な拡大の一部と考えられる。言語学的な証拠は考古学的な記録と一致しており、ツングース祖語を話す雑穀農耕民が西遼河から内陸ルートで沿海州に到達したことを示唆している。 沿海州の狩猟採集民と農耕民の間に観察された遺伝的連続性は、2つの類似した遺伝的プロファイルの混血を排除するものではなく、5000 BCE以前に遼河から沿海州にかけての地域一帯を、アムール的な遺伝子プールが覆っていたという Ning (2018a,2018b) の結論と一致する。 Fig.7.Language dispersals associated with millet farming in Neolithic Northeast Asia. Map by M. O’Reilly, MPI-SHH https://ars.els-cdn.com/content/image/1-s2.0-S2352226719300534-gr7_lrg.jpg Millet agriculture dispersed from Northeast China to the Russian Far East: Integrating archaeology, genetics, and linguistics doi: https://doi.org/10.1016/j.ara.2020.100177
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