- もし弥生人が日本列島に来ていなかったら?
955 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2021/02/19(金) 10:54:25.62 ID:/Q48Dywq - 義務教育(社会科)で習うレベル
【渡来人】 4世紀後半以来、日本が朝鮮に進出するようになって、多くの中国人や朝鮮人が日本本土に渡来した。このような人たちを渡来人という。 4世紀には、高句麗の進出によって楽浪が滅亡し、半島における漢民族の勢力は失われた。 その遺民は百済に亡命。 この影響をうけ朝鮮半島や中国人の多くが日本に亡命または、技術者として送られた。 とくに7世紀になると百済・高句麗が滅ぼされると、その遺民が日本へ多数帰化した。 当時の渡来人は百済人がもっとも多いが、神羅・高句麗・中国の者も多数いた。 この高度の技術者を大和朝廷や豪族は喜んで受け入れた。朝廷は渡来人を(部)に編入し、渡来人は当時の、社会・産業・木工・酒造を受け渡し。日本文化の多大な影響を与えた。 文字の習得や仏教の受容はもとより、氏名制度の影響は百済の制度の影響を強く受けている。 この民族移入をへて本土史はいっきに国力を高めていく。
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- もし弥生人が日本列島に来ていなかったら?
956 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2021/02/19(金) 10:54:53.74 ID:/Q48Dywq - 実際に新羅の金城、百済の慰礼城、熊津、四ビ、高句麗の丸都山城、平壌城クラスの都邑が
日本に現れるのは城壁抜きの規模で比較しても藤原京からだし 飛鳥時代なんて板葺の掘建て小屋を大層に板蓋宮なんて名付けて皇宮としてたぐらいだ
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- チャンネル桜 : アイヌは先住民ではない
959 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2021/02/19(金) 12:32:55.38 ID:/Q48Dywq - サケには多くの地域で神話や礼儀を伴う。
アイヌでは漁期に先立って行われる豊漁祈願の儀礼、初漁儀礼などやサケが遡上する河川、調理、言葉などに関するタブー、サケの霊を送る叩き棒の信仰、特異な形態のサケに対する信仰などが知られている。 サケの頭を叩く棒の存在はカムチャツカやアムール流域などにも知られているが、とくにアイヌやニブフ、北西海岸インディアンの叩き棒(たたきぼう)は再生儀礼としての意味をもち、本州北部のエビス棒も初源的にはその意味が付与されていたのではないか。
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- チャンネル桜 : アイヌは先住民ではない
960 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2021/02/19(金) 12:34:32.36 ID:/Q48Dywq - オホーツク文化においては、ヒグマやトドなどの獣頭骨に脳の摘出孔が存在することが注目される。
摘出孔をもつ獣頭骨は、意識的に脳を取り出したことを意味する。 送り儀礼の存在は、住居趾内部に設けられた頭骨集積の趾や、頭骨送り場と推定される遺構によって確かめられる。 近年まで行われていたニヴフのクマ送り儀礼をはじめ、シロイルカ、トド、アザラシの送り儀礼は、霊送りの思想を基盤とする。 特徴ある形態や文様で飾った「煮たクマ肉を盛る容器やスプーン」と同一のものとみなされる用具類は、オホーツク文化にも存在することが発掘調査で明らかである。 オホーツク文化はおよそ8世紀から12世紀にわたって存続したとみられる。 この文化の担い手たちは、北海道において網走のモヨロ貝塚を残したことでよく知られる。 オホーツク海沿岸を中心に根をおろし、クリール列島の全域にも存在した。サハリンにおいては島全域に文化的痕跡を色濃く残している。
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- もし弥生人が日本列島に来ていなかったら?
957 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2021/02/19(金) 16:03:11.16 ID:/Q48Dywq - 魏志倭人伝に倭人が「鉄のやじり」を使っている記述があり、この時代の日本には既に鉄器文化が到来していたことがわかります。
3世紀の中国の歴史書「魏志東夷伝弁辰条」には、朝鮮半島南部の地域に鉄が多く出て、「韓、ワイ、倭みなしたがってこれをとる。諸市買うにみな鉄をもちい、中国の銭をもちうるがごとし」と記されています。鉄を求めて、弥生人がさかんに朝鮮半島南部に出かけていった様子が描かれています。 よって鉄器の出土量が多い地域が、当時の倭人達の経済共同体であったと見なせます。 弥生時代の鉄器出土量 https://stat.ameba.jp/user_images/20150808/10/shimonose9m/4f/bf/j/o0480019913389424098.jpg
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