トップページ > 地理・人類学 > 2020年07月25日 > jFTdexu30

書き込み順位&時間帯一覧

12 位/152 ID中時間01234567891011121314151617181920212223Total
書き込み数0000000001300000200000006



使用した名前一覧書き込んだスレッド一覧
名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ cf9d-WQpp [126.141.202.76])
【Y-DNA】ハプログループ総合スレ48【mtDNA】

書き込みレス一覧

【Y-DNA】ハプログループ総合スレ48【mtDNA】
861 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ cf9d-WQpp [126.141.202.76])[]:2020/07/25(土) 09:57:31.54 ID:jFTdexu30
韓国人のゲノムデータ
https://sicambre.at.webry.info/202007/article_29.html
 韓国人のゲノムデータを報告した研究(Jeon et al., 2020)が公表されました。
韓国人(というかもっと広く朝鮮民族)は、遺伝的にひじょうに均質で、過去には大規模な混合事象が少なかった、と考えられてきましたが、公式な調査はほとんど行なわれていません。世界中の現代人の遺伝的多様性を特徴づける目的で進められている1000ゲノム計画でも、近隣の中国(南北の漢人など)や日本の人々のゲノムデータが報告されているのに、韓国からの標本はまだ含まれていません。そこで、韓国人を対象としたゲノム計画が進められており(将来的には、もっと広く朝鮮民族全体を対象とするのでしょう)、本論文は韓国人1094人のゲノムデータを報告します。これにより、韓国人の遺伝的構造が以前よりも明らかになり、医療のような「実用性」だけではなく、韓国人(朝鮮民族)の形成過程の解明にも役立つのではないか、と期待されます。
 このゲノムデータに基づき、韓国人のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)も報告されています。mtHgでは、D(34.19%)やB(13.89%)やM(13.80%)が一般的で、YHgではO(73.49%)が圧倒的に多く、C(16.9%)とN(6.58%)が続きます。YHg-Oはアジア東部および南東部に広く分布しますが、YHg-Cはおもにアジア東部および北東部に分布します。なお、日本やチベットやアンダマン諸島など、世界では珍しいYHg-Dも確認されています(1.42%)。またmtHgでは、アジア東部において一般的なA・G・Fも確認されました。
 主成分分析により、韓国人と他集団とが比較されました。図2Aは世界中の集団を対象としており、韓国人が中国人と日本人という同じアジア東部集団と遺伝的にひじょうに近縁である、と改めて確認されました。図2Bはアジア東部集団を対象としており、韓国人と中国人と日本人がそれぞれ明確にクラスタ化し、区別できることが確認されました。これは、3ソース集団によるADMIXTURE分析でも確認されますが、中国人に関しては、漢人の南北間でも明確な違いがあり、傣(Dai)人は漢人との間にさらに大きな違いを示し、北部漢人よりも南部漢人の方と近縁です。以下、本論文の図2です。

画像
https://advances.sciencemag.org/content/advances/6/22/eaaz7835/F2.large.jpg

 本論文の分析では、韓国人が中国人や日本人といった他のアジア東部集団と比較して遺伝的に均一である、と改めて示されました。本論文は、これが過去数千年の地政学的孤立に起因する、と推測しています。上述のように、中国人は漢人と傣人との間の遺伝的違いが大きく、漢人の南北間でもやや違いが目立ちます。中国人と比較すると、日本人も遺伝的に均一と言えるでしょうが、韓国人は日本人よりもさらに遺伝的に均一というわけです。韓国人はさらに、本論文のデータセットで中国人としてまとめられている北部漢人や南部漢人や傣人との比較でも、遺伝的に均一です。
【Y-DNA】ハプログループ総合スレ48【mtDNA】
862 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ cf9d-WQpp [126.141.202.76])[]:2020/07/25(土) 10:01:16.43 ID:jFTdexu30
>日本人が縄文人度が10%無いのにDが40%居る説明は?

西日本人縄文時代人のゲノムは現在の南朝鮮人と同じだから、韓国で既にDが40%の混血が居て、それが日本に移住して来たんだよ:

アイヌ語を話している東日本縄文人は旧石器時代に樺太から渡来した
日本語を話している西日本縄文人は縄文時代後期に南朝鮮から渡来した
神澤 秀明 2019年6月
韓国加徳島獐遺跡出土人骨のDNA分析
https://researchmap.jp/hk-k/misc/21287393

現代「本土」集団における「縄文人」系統の割合は、神澤論文では9〜15%、覚張論文では8%程度と推定されています。

弥生時代以降に日本列島に到来した集団における長江流域稲作集団の影響は、遺伝的には小さく、文化的には間接的だった、と考えられます。
https://sicambre.at.webry.info/202007/article_5.html

従って

結論
日本人は朝鮮人だった
【Y-DNA】ハプログループ総合スレ48【mtDNA】
863 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ cf9d-WQpp [126.141.202.76])[]:2020/07/25(土) 10:06:04.10 ID:jFTdexu30
>日本やチベットやアンダマン諸島など、世界では珍しいYHg-Dも確認されています(1.42%)

韓国で縄文時代には Dが40% だったけど、その後漢民族にレイプされまくって1.42%まで減ったんだな
【Y-DNA】ハプログループ総合スレ48【mtDNA】
864 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ cf9d-WQpp [126.141.202.76])[]:2020/07/25(土) 10:12:55.91 ID:jFTdexu30
日本人が縄文人度が10%というのは

アイヌ語を話していた東日本縄文人の遺伝子が10%しか入っていない

という事だよ。
【Y-DNA】ハプログループ総合スレ48【mtDNA】
868 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ cf9d-WQpp [126.141.202.76])[]:2020/07/25(土) 16:41:46.18 ID:jFTdexu30
国立科学博物館の篠田謙一副館長による講演「DNAが語る青谷の弥生人」の概要を以下に紹介します。最近盛んにおこなわれるようになった古代人骨のDNA分析ですが、その分析対象には、母系を示すミトコンドリア、父系を示すY染色体、全遺伝子の交配度合いを示す核ゲノムの三種類があります。分析の難しさもこの順に高くなります。

(1)ミトコンドリア
 昨年11月の時点で既に公表されていますが、この遺跡の人骨から確認された29の母系系統のうち、縄文人固有の母系を示すハプロタイプはM7aの1系統のみであり、残りはすべて弥生時代になってから大陸から渡来した渡来人に固有の母系系統系統であったとのこと。このことから昨年の時点では、「殺傷痕のあるグループの大半は渡来人で構成され、しかもその構成は多様であり、外部から青谷に来て短期的に滞在していた可能性が高い人々」と解釈されていました。

(縄文人のミトコンドリアハプロタイプの中で縄文人固有なタイプとしては、N9bが58%、M7aが25%、D4h2が9%、合計で92%。現代日本人では、縄文人固有のそれはM7aが8%、N9bが2%であり、合計10%。
 対して、上寺地遺跡での縄文人固有のミトコンドリアハプロタイプはM7aのみの3%。確かに、上寺地遺跡では、現代日本人での比率よりもさらに渡来系の比率が多くなっています。 参考:wikipedia「縄文人」)

(2)Y染色体
 父系を表すY染色体のハプロタイプについては、現在4体の分析が終わっているとのこと。そのハプロタイプは、Oが一体、C1a1が2体、Dが1体。このうちC1a1とDタイプは縄文系かつ日本列島に固有なタイプ。Oタイプはその大半が大陸の漢民族に含まれており渡来系とのことです。つまり、少なくとも4体中3体が縄文系ということになり、ミトコンドリアの分析結果とは相反する結果となりました。まだ分析数が少ないので断定的なことは言えませんが、弥生末期になっても縄文的要素が多く残っていた可能性が高くなってきました。

(3)核ゲノム
 人類の各集団間の混合度合いを推定する手法としては、核ゲノムの分析、すなわち全遺伝子の分析以上に優れたツールはありません。この全遺伝子に関する上寺地遺跡の分析結果については、まだ6体分(Y染色体分析分を含む)しか終了していないとのこと。
 今までの分析結果によれば、青谷上寺地遺跡のそれは意外にも現代日本人の全ゲノム分析結果とほぼ重なる範囲にあるとのこと。この結果は、北部九州の弥生人骨の分析結果とほぼ同様だそうです。
(国立遺伝学研究所の斎藤成也教授の著書によると、現代日本人の核ゲノム全遺伝子に占める縄文人由来の遺伝子は、12%から20%の範囲にあるとのこと。)

 弥生時代の始まりはBC1000年頃、青谷上寺地遺跡の集団人骨は二世紀後半、即ちAD100年代後半のものであり、弥生時代の初めから1200年近くの間、大陸から人が次々に渡来し続けていたとすれば、縄文人と渡来人は既に十分に交じり合っていたと考えてもよいのではないかとのことでした。

 シンポジウムの後半では、篠田副館長、「青谷上寺地遺跡をの弥生人をとりまく古環境」の表題で今回講演をされた韓国慶州文化財研究所の安特別研究員、弥生時代を専門とする考古学者である国立歴史民俗博物館の藤尾慎一郎教授の三者によるパネルディスカッションが行われました。その発言の一部を以下に紹介しておきます。
比率で大きな差がないという事実は、大陸からの渡来が暴力的ではなく平和裏に行われたこと、男性集団のみの渡来ではなくて家族を伴ってこの列島へ渡来してきたことを示しているものと考えられます。弥生末期には集落間の抗争がかなり発生したとはいうものの、約三千年前から二千年くらい前までは、我々のご先祖様の片割れである縄文人が、同じくご先祖様のもう一方の片割れである渡来人をおおむね平和裏に受け入れていたという事実は、今後の日本社会の在り方に対して示唆するところが多いように感じました。
【Y-DNA】ハプログループ総合スレ48【mtDNA】
869 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ cf9d-WQpp [126.141.202.76])[]:2020/07/25(土) 16:42:03.66 ID:jFTdexu30
藤尾 「二世紀半ばは降水量の変動が激しく、青谷平野のように水害の影響を受けやすい地域ではコメの収穫量が大きく変動した可能性がある。飢饉の年には集落間で戦争が起こって大量殺戮の原因となったのかもしれない。この時期は魏志倭人伝にある「倭国大乱」の時期にほぼ重なる。
 この遺跡で発見された大量の人骨は、いったん重なり合うように埋められた後で一度掘り返されており、骨が散乱しているのはその結果。掘り返された理由はよくわからない。」

篠田 「今回のDNA分析結果はまだ解析途中であり確定的なことは言えない。また、渡来人のDNAについては、韓国や中国の古人骨のデータがまだ不十分な状態であり、その進捗を待ちたい。
 現在言えることは、青谷上寺地については、少なくとも当時の韓国南部とはかなり重なるDNAを持っていたのではないだろうかということ。またDNAの構成から見て、当時の北九州と青谷上寺地も同じ位置づけにあったと思う。定住ではなく互いに行ったり来たりしていたのが、当時の各地の住民の姿だと思う。」

安 「当時の上寺地遺跡の周辺には平地に杉林が豊富にあり、住民はこの杉を使って水路の護岸や建築物を整備していた。同様の平地の杉林は湖山池周辺、さらに福井の三方湖付近にもみられる。
 韓国には杉の木はないので、渡来民は青谷の杉林を見て驚いたのではないだろうか。上寺地遺跡の周辺からは、トチ、クリ、クルミ、モモ等の実、アワ、キビなどが出土しており、水田以外にも畑や果樹林があったようだ。」

藤尾 「DNAから見ると、上寺地遺跡は閉鎖的な集落ではなくて、各地との交易の拠点であったと思われる。鉄器、木製品が豊富に出土することもそれを裏付けている。韓国南海岸の勒島(ヌクト)遺跡からは、上寺地とそっくり同じものがいくつも出ている。
 二世紀の後半は、それまでの銅鐸や銅矛などの青銅器を対象とする祭りから、卑弥呼を主とするヤマト王権への祭祀への過渡期。淀江妻木晩田遺跡も二世紀後半が最盛期。これら他の集落との関係が当時どうであったのか、大量殺戮に他の集落が関わっていたのかどうか、大変興味深い。」

 以上で今回のシンポジウムは終了。

 なお、パネルディスカッションのコーディネーターを務めたのは、県埋蔵文化財センターの濱田竜彦係長。各発言者への話題の割り振りは適切、かつ全体の議論の進行管理もスムーズに感じました。事前の調整があらかじめあったのでしょうが、その働きは高く評価されてよいと思いました。

 参考までに、弥生末期当時の青谷平野の想像図を下に示しておきます。現在の青谷平野の状況と見比べてみてください。

・弥生時代の南側から見た青谷平野(想像図)
イメージ 1

・現在の青谷平野
イメージ 2


 上寺地遺跡は、日本海側に多数ある潟湖を利用した交易を主とする集落であり、このような地形を利用した弥生時代の集落は、県内には淀江、東郷池周辺、湖山池周辺等、数多くあります。これらの集落相互の関係はどうだったのか、交易の主導権をめぐって互いに争うことはなかったのかが気になるところです。

 上の想像図は、安研究員が大学院生として日本に留学されていた当時、同女史が青谷で発掘した花粉の分析結果から推定した植生をもとにして書かれたものです。日本に留学していただけあって、安さんは流ちょうな日本語で講演されていました。

 また、今回の分析結果で注目されるのは、この遺跡に限定したことではなく日本全国での傾向として言えることですが、渡来人系も縄文人系も、母系と父系での比率の大小の違いはありますが、ともにかなりの比率を維持しつつ交じり合っていることです。

 ある人類集団に対して別の集団が暴力的に侵略した場合には、その結果として、父系には侵略者側の、母系には被侵略者側のDNA比率が高くなることが一般的であると言われています。中南米地域はその典型例であり、スペイン人を主とする侵略者側は男性がほとんどであり、侵略後は現地のインディオ女性を妻とし、インディオ男性は殺すか奴隷として酷使しました。まだ詳しいデータを見つけてはいませんが、そのような侵略の結果として、現在の中南米の混血系住民の大半の遺伝子では、父系はスペイン系、母系はインディオ系になっているものと思われます。

 13世紀に東アジアから東欧にかけてユーラシア大陸の大半を武力で征服したあのジンギスカンと同じタイプのY染色体をもつ男性が、一説によれば、今日の世界には千数百万人はいる(真偽のほどは不明)と言われているのも、別の例にほかなりません。

 現在の日本人で、父系母系ともに縄文系と渡来系の遺伝子


※このページは、『2ちゃんねる』の書き込みを基に自動生成したものです。オリジナルはリンク先の2ちゃんねるの書き込みです。
※このサイトでオリジナルの書き込みについては対応できません。
※何か問題のある場合はメールをしてください。対応します。