- 富山市都市開発総合スレッド43
660 :防金開発 ◆Dog.6X8U/I [sage]:2020/01/16(木) 19:21:28.59 ID:ksuy9K1L - 北國新聞 2020年1月16日
お隣さん12 第二章 分かれる A飛び地のなぜ ちらつく利常の深謀 「ゴッドファーザー」の心は? 江戸時代初期の21年間、能美郡が加賀藩領ではなく、飛び地の富山藩領であったのはなぜか。能美市歴史民俗資料館を訪ね、学芸員の鎌田康平さん(高岡市出身)に教えを乞うた。 温情説は無理筋か 合併で2005年にできた能美市は、まだ市史がない。よりどころとなるのは合併前の根上、寺井、辰口の3町がつくった町史だ。「根上町史」を手に、鎌田さんが説明する。 「加賀藩3代藩主前田利常が富山藩に10万石を分け与えた際、川の氾濫が多く、生産性の低い黒部川扇状地である新川郡の一部、2万石が含まれていた。その代わりにいわば温情として、生産性の高い穀倉地帯、能美郡2万石を併せて与えたのではないか、との説がある」 ただ、この説には少し無理がある。能美郡の手取川も、黒部川に劣らぬ暴れ川だからだ。 新川、婦負、能美の3郡に分かれた富山藩領を地図で見ると、いずれも川筋にある。氾濫の心配がある「余り物」を利常が富山藩に押しつけたのか。そんな想像もふくらむが、鎌田さんは「残念ながら史料が乏しく、意図は分からない」と語った。 資料館ではいま、新館が建設されている。「今秋のオーブンをきっかけに地元の史料が集まれば、謎も解けるかもしれない」。鎌田さんが期待をこめた。 領地替え許さず 「利常が隠居後も『ゴッドファーザー』として3藩に君臨し続けようと『偽装分藩』を企んだ可能性もある」。大胆な想像力を働かせるのは、加賀藩の歴史に詳しい金沢学院大の本田俊彦准教授である。 隠居した手前、利常は3人の子に所領を分割した体制をとったが、藩領の境界設定を緩くし、あえて飛び地も設けて、自身の影響力を保とうとしたのではないか。 そんな見立てだ。実際、3藩の間では所領の貸し借りがよくあり、藩の境界はそこまで厳然と意識されていなかったようにみられる。 実は、富山藩主となった利次は「不便なので飛び地をなくしたい」と領地替えを望んだことがあった。これを父の利常は「何を言っているか」とはねつけた。 本田准教授は「飛び地で所領が入り組んだ状態を利常がわざとつくっていたようだ」と推測する。ゴッドファーザーの何らかの作為、深謀があったのは確かなのだろう。 利常が没した後、領地替えが行われ、能美郡は加賀藩に入った。飛び地は消え、謎だけが現代に残った。(お隣さん取材班)
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