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名無しさん@お腹いっぱい。
【下関北九州道路】北九州市3【東九州道】

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【下関北九州道路】北九州市3【東九州道】
965 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2019/10/18(金) 09:53:26.22 ID:mjaMEvaM
武蔵小杉をあざ笑う人々に映る深刻な社会分断 10/17(木) 15:30配信 東洋経済オンライン
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191017-00309170-toyo-soci
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191017-00309170-toyo-soci&p=2
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191017-00309170-toyo-soci&p=3

台風19号がもたらした各地の水害。全容はまだ明らかになっていない。堤防決壊は7県59河川に
達したが(10月16日現在)、未確認の地域もあるため今後も被害は拡大しそうだ。

東京をはじめとする大都市圏でも、近年に例のない浸水被害がもたらされた。多摩川の氾濫は誰
もが予想していなかったことだろう。

東京都世田谷区の東急電鉄「二子玉川駅」付近の多摩川では、堤防の整備していない場所から
川の水があふれ出し、住宅街へと流れ込んで膝の辺りまで冠水した。川の反対側の神奈川県
川崎市では、水没したマンションの住人が死亡している。大田区田園調布でも浸水被害が発生。
また、多摩川最大の支流とされる秋川では堤防が決壊した。

今回とりわけ世相を最もよく表していたのは、人気エリアとして知られる武蔵小杉における大規模
な浸水被害と、それをソーシャルメディア上やネット掲示板などであざ笑う風潮だ。

■SNSで「武蔵小杉ざまあ」との投稿が

JRや東急線などが走る神奈川県川崎市の武蔵小杉駅の東側は、再開発によってタワーマンション
や大型商業施設が立ち並び、比較的裕福な子育てファミリー世帯が多い。浸水被害によるタワマン
の停電や断水が盛んに報道されるようになると、Twitterなどのソーシャルメディアでは、「流行りに
のって武蔵小杉に住み始めた子連れ家族ざまあです」「武蔵小杉のタワマン買った人ざまあが
見れたからよかった」などの投稿が相次いだ。

また15日朝の通勤ラッシュの時間帯には、武蔵小杉駅の電源設備が浸水により故障したことから、
エスカレーターやエレベーターなどが使用不能となり、数百メートルに及ぶ長蛇の列ができた。
このような事態の悪化をも揶揄(やゆ)する者が少なくなかった。

なぜここまで特定の地域の被災者を叩くのか。

ノンフィクション作家のレベッカ・ソルニットは、地震などの自然災害で犠牲者が生じるなど、
非常事態に直面した社会では、人々の善意が呼び覚まされ、相互扶助的な共同体が出現すると
述べた。

「地震、爆撃、大嵐などの直後には緊迫した状況の中で誰もが利他的になり、自身や身内のみ
ならず隣人や見も知らぬ人々に対してさえ、まず思いやりを示す」――そして、このような一時的な
現象を「災害ユートピア」と名付けた。そこには、共同性そのものが成り立ちにくくなっている現状へ
の批判が込められていた。

近年の歴史は民営化の歴史だとも読めるが、それは経済のみならず、社会の民営化でもあった。
市場戦略とマスコミが人々の想像力を私生活や私的な満足に振り向け、市民は消費者と定義し直
され、社会的なものへの参加が低下した結果、共同体や個々人のもつ政治力は弱まり、民衆の
感情や満足を表す言葉さえ消えつつある。

フリーアソシエーション(自由に誰とでも係わり合いになれる権利や能力)≠ニはよく言ったもので、
それでは深い人間関係はできない。代わりにわたしたちはマスコミや宣伝により、互いを怖がり、
社会生活を危険で面倒なものだと見なし、安全が確保された場所に住んで、電子機器でコミュニ
ケーションを取り、情報を人からではなくマスコミから得るよううながされる。

だが、災害が起きると、人々は集まる。この集まりを暴徒と見なして恐れる人もいるが、多くの人は
パラダイスに近い市民社会の体験としていとおしく思う。

■避難所のホームレス受け入れ拒否の波紋

これはいわば非常事態をきっかけにして、個人の自主性や社会的な役割が試される場であり、
実際に「潜在能力」を発揮して救助や支援に奔走する人々が出てくる。
【下関北九州道路】北九州市3【東九州道】
966 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2019/10/18(金) 09:54:58.85 ID:mjaMEvaM
だが、ここで誤解してはならないのは、「地域のつながりらしきもの」が辛うじて残っていることが
前提条件になることだ。つまり、普段から没交渉で住民同士が居住地をただ同じくしているだけ
では「災害ユートピア」は立ち上がりにくいのである。

東京都台東区が避難所を訪れたホームレスの男性2人に対し、その受け入れを拒否したことが
その後のネット上での賛否≠含めて波紋を呼んでいるが、このような議論が湧き起こること
自体が「社会の分断」が加速度的に進んでいることを如実に示している。もはや支援の手を
差し伸べ、助けるべき「同じ人」としては映ってはいないのだ。

ソルニットのいう「社会の民営化」を背景にした「社会の分断」が行き着くところまで行けば、身近な
人間関係のネットワークが脆弱なゆえに助け合いが困難になることから、電力システムや
上下水道などのライフラインの寸断が「万人に対する万人の闘争」状態に直結しやすくなる。
台風前日の買い溜めなどの物資の奪い合いはその始まりに過ぎない。この場合、ソルニットのいう
「暴徒」は、正確には被災地における油断のならない「競争相手」であり、隣人の損得に敏感な
「クレーマー」である。

■「災害ディストピア」が浮かび上がった

これは、被災によってもはびこる「災害ディストピア」である。

武蔵小杉の惨状について一部の人々が、「あそこはハイソっぽくてムカついてたからざまあだわ」
とあざ笑うことは、構図としてはあまりにもわかりやすくて飛び付きたくなるかもしれない(某タワマン
の管理組合の通常総会のレポートで「勝ち組」を自称していたことが、ネットの掲示板で嘲笑の対象
になっていたことが象徴的だろう)。

だが、事態の本質は、貧富の差以前に当然のように「同じ人」ではなく「鼻持ちならないニューリッチ」
という「別人種」、他者を「不愉快な種族」と決め付けていることにある。これが「ムサコのタワマン族」
「ホームレス」というレッテル貼りに共通する心理なのである。

しかしながら、このような言動は「社会の分断」にブレーキをかけない限り、自然災害が起こるごと
に「分断のレベル」に応じて噴出することは避けられない。ましてや同じ地域でも被災の程度に
「雲泥の差」があるケースが増えている昨今、ますます「災害ディストピア」と呼べるコミュニケーシ
ョンに拍車がかかることになるだろう。

そして、「災害ディストピア」に関連してもう1つ付け加えておきたいのは、少なくない人々が自然災害
に「世直し」的な機能を見出しているところだ。

武蔵小杉について「セレブの町気どりで調子に乗ってるから天罰が下った」と評している書き込み
が典型だ。これはある種の「終末観」と「長者没落譚」(富裕者の転落話)を都合よくブレンドしたもの
だと思われ、「二極化する日本社会」を正常な秩序≠ノ回復する「天の采配」を期待しているとも
取れるのである。
民俗学者の宮田登は、「三代続く長者なし」という諺の背後にある「原初的要因として火難・水難が
指摘されている」という(『終末観の民俗学』ちくま学芸文庫)。「社会の分断」がこれらの思考に絡め
取られるのはまずいだろう。

ここで絶対に忘れてはならないのは、ソルニットが述べているように、どのような災害が振りかかろ
うとも、結局は日常生活が取り戻されるということである。そして、日常生活こそが本来わたしたち
が共同性を紡がなければならない機会であり、それがなければ災害時の危機管理もおぼつかない。

■「誰もが被災者になりうる」のに
地球温暖化の影響により、集中豪雨や超大型台風などのこれまで経験のなかったような異常気象
が、今後ますます起こりうる可能性は各方面で指摘されている。要は、従来のように過去の降雨量
のデータを参考に堤防などを整備したところで、豪雨による氾濫や堤防決壊などのリスクに対処
できない可能性が高まるということだ。

「誰もが被災者になりうる」――そんな未曾有の時代に突入しているにもかかわらず、自然の猛威
にさらされる被災地を他人事として眺め、いざそれが自分事になると「寄る辺ない」世界にいること
に気付く。これがわたしたちの偽らざる現在地≠ゥもしれない。
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真鍋 厚 :評論家、著述家


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