トップページ > 地理・人類学 > 2014年06月03日 > AGHVR7Ci

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名無しさん@お腹いっぱい。
縄文・アイヌ・弥生・渡来人学8
【Y-DNA】ハプロタイプで語るスレ7【mtDNA】

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縄文・アイヌ・弥生・渡来人学8
600 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/06/03(火) 14:34:47.95 ID:AGHVR7Ci
西日本に住んでいるから日本人は北方形質が強いとか錯覚するんだよ
関東には中韓に絶対いない顔というのがゴロゴロいるから

縄文時代の東北から九州にいたる日本では、全人口は縄文中期で最も多く26万人であった。
興味深いのは、関東地方と中部地方で人口密度が最も高いことである。面積が広い東北地方も人口そのものは多い。
全体の傾向として、縄文時代を通じて、人口は東日本に多く西日本に少ない。
基本的に西日本での人口密度は東日本の1/10にも満たず、人口密度が東北地方と逆転するのは弥生時代に入ってからである。
このような人口の対照性は、食料と関連していると考えられている。
野生のイモについては東西日本で大きな違いはなかった。
一方、落葉広葉性のドングリは東日本に、照葉樹林のドングリは西日本に分布しているが、落葉広葉性のドングリの方が単位面積あたりの生産高が高かった。
さらに、三内丸山遺跡などの縄文人にとって最も重要な食料資源であったクルミ、クリ、トチなどの大型堅果類や河川を遡上するサケやマスなどの資源は、東日本にひどく偏っていることが知られている。
サケやマスの漁獲高は、北海道で特別高く、太平洋側の北関東から東北まで、日本海側の北陸から東北までの地域で高くなっており、これらは縄文人の生活に非常に大きな恩恵を与えたものと考えられる。
本州のこれらの地域では、上記の食べ物に加えてシカ、イノシシなども多く、狩猟に十分依存した生活を営め、人口支持力が高かった。
三内丸山遺跡からは、その他にカモ、タイ、サメなどの骨も出土しており、副食としてさまざまなものが食べられていたと考えられる。

http://i.imgur.com/ghy0akE.png
【Y-DNA】ハプロタイプで語るスレ7【mtDNA】
380 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/06/03(火) 18:36:12.12 ID:AGHVR7Ci
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【Y-DNA】ハプロタイプで語るスレ7【mtDNA】
383 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/06/03(火) 20:38:06.28 ID:AGHVR7Ci
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