トップページ > 地理・人類学 > 2013年11月12日 > s0V4mkvn

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名無しさん@お腹いっぱい。
縄文・アイヌ学13

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縄文・アイヌ学13
804 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2013/11/12(火) 13:36:44.66 ID:s0V4mkvn
>>724
日本海側はリマン海流と対馬海流に流されて今でも北朝鮮の脱北者が漂着するけど
縄文時代でも大陸の遺物が見つかってるらしい
http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/006_1tairiku_karano_toraibunnka.html
人骨は、遺物と共に日本海沿岸地域に漂着した大陸の人じゃないの?

北部九州も高顔だらけでしょ
「上顔高が70mm、身長が162cmを超える渡来系弥生人の骨は、響灘沿岸部・島根半島など
西中国沿岸部の砂丘遺跡と、福岡平野・筑紫平野・熊本平野など遠賀川以西の北部九州平野部
に分布する甕棺墓遺跡から出ているが、これらの渡来系弥生人の特徴にも地域差があることが
わかっている。
 個々の骨を渡来人タイプと縄文人タイプに分けて地域ごとの比率を調べた中橋孝博によれば、
響灘沿岸部では渡来人タイプが全体の75%を占めるのに対し、北部九州平野部ではそれより10%ほど多く、
島根半島では響灘より10%ほど少ないという。」
『日本人のきた道』 池田次郎
北部九州のほうが高顔に見える
http://hirokohji.blog.ocn.ne.jp/photos/uncategorized/2009/09/02/img_34381.jpg
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn3/003_05/yayoijinn_3patern_.jpg

東北の方言は縄文人の言語ではないでしょ
http://www.youtube.com/watch?v=bmKOW46LaGo
縄文・アイヌ学13
805 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2013/11/12(火) 13:52:34.25 ID:s0V4mkvn
>>748
小麦、アワ、キビ、豆類を脱落して稲だけに焦点を当てるのは、なんだか他の植物に対して失礼な感じがするね
弥生時代は狩猟も漁労も盛んだし
http://www.geocities.jp/ochappy_l/sights/museum/symposium_11.html
> 一般のイメージとはおそらく異なり、稲作が始まった弥生時代においても、食品の狩猟採集は行われていました。

> 取り上げたのは綾羅木郷遺跡。実はここ、1000基以上の竪穴群や溝が見つかっていて、こういうテーマに
>おいては非常に有用なのだ。もちろん米などの穀類や豆類もあるが、骨のような動物遺存体も出土している。

> 出土した破片を数えると、半数以上が魚類、それも海のもの。タイ類とイサキ科が多い。残存破片数なので
>即座に捕獲量に結びつくわけではないけど、おおむね相当すると見てよいんだろうね。鳥類は少なくて、確実なのは
>カモ科ガン類カモ類。哺乳類では、陸獣のイノシシ類とニホンジカが同率、タヌキやニホンザルが少しずつ。
>海獣ではアシカとクジラ類。

> これらの動物遺存体は、当時のいわば生ゴミで、一部にはカットマークと呼ばれる加工痕が見られるそうだ。
>あと、これらはあちこちの竪穴や溝から出てくるのだけど、魚類と哺乳類は偏りがなく、ずっと利用されていたらしい。

> ではまず貝類。食べられる貝で総数3985。多いのは汽水域のヤマトシジミ、淡水域のタニシ類、サザエなどの
>岩礁性巻貝。綾羅木郷遺跡の周辺環境にふさわしい内容だ。あと、アワビ類とアワビ起しが出土していて、潜水による
>アワビ漁が行われていたみたい。

>次に魚類。沿岸で獲れるハモ属、マダイ、イサキ科、河川汽水域に入り込むこともあるクロダイ属、ボラ科。サバ科の
>大型のものと、底性のエイ類、カレイ目。もっとあってもおかしくないね。魚を獲るための道具は、石や土で作られた
>魚網用のおもり、骨を加工したもり、鹿角のアワビ起しなど。今のところ釣り針はない。淡水魚の骨も見当たらない。

>鳥類はカモ科の冬に渡ってくるもの。ただし留鳥でカルガモが出土。

>哺乳類はイノシシ、ニホンジカ。今でも出ますね。石鏃がたくさん見つかっているので弓矢を使って狩猟していたらしい。
>幼獣のものもあり、夏や秋に死亡していることがわかってる。狩猟が農閑期だけとは限らないのかもしれない。イヌも1点、
>他にはタヌキやニホンザルなど。そこらへんにいる奴ばかりだな。

>海獣類ではアシカが1点。クジラもとりあえず1点。数が少ない上に狩猟用の道具も見当たらないので、狩猟していたとは
>限らないかも。
縄文・アイヌ学13
806 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2013/11/12(火) 14:00:20.90 ID:s0V4mkvn
それから、これも
> 稲作伝播時期の最有力候補、日本で言う縄文晩期は、海の向こうでは前期無文土器時代。韓半島の検丹里遺跡で
>出土したものは、工具に使う木材を取るための伐採石斧、加工するための柱状片刃石斧、扁平片刃石斧、鑿状片刃石斧、という、
>一連のラインが出来上がっている。
>ところが、北九州で出土するものは、伐採石器がやたらと薄く、このラインにふさわしくない形状をしている。
>山口はもっとアレで、もう少し後の弥生前期になっても、柱状片刃石斧に相当するモノがない。韓半島のような
>ラインが整うのは、弥生前期末になってのことであり、これは瀬戸内地域とほぼ同時期であるそうな。

> つまり、ある日海の向こうからやって来た人々が、ここいらへんからパーフェクトな稲作をどんどん広めていった、
>という考えは、現段階の出土物からは成立し得ない、ということ。稲作ってのは、米持ってくればすぐできるような
>ものではなくて、田んぼを作る技術とか、田んぼを作るための道具とか、道具を作るための道具(←ここで取り上げてる
>石斧ってのはコレ)とか、そういう技術がなけりゃできないってわけだ。

>>788
弥生時代も前期はセミプロじゃないの?


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