- 皇室典範論争再燃!宮内庁「女性宮家」創設へ
646 :名無しさん 〜君の性差〜[sage]:2012/11/29(木) 02:17:39.64 ID:osgP/kYr - >>625
「男系」継承の堅持≠「別家系」ではない。 徳川将軍家三百年の歴史も、そのことを示している。 1〜7代:館林徳川家、甲府徳川家などの家康二男秀忠家系で継承 八代吉宗:尾張徳川家から継承。 将軍家の継承先から、徳川御三家(尾張、紀州、水戸)が排除され、 御三卿(一ツ橋、田安、清水)が創設される。 11代家斉:一ツ橋家から徳川宗家を継ぐ。 多数の子(28名が成人)は、男子は有力大名家の養子、女子は正室となり、一ツ橋家系が席捲する。 尾張徳川家は、一ツ橋家系からの養子継承を強いられ、家臣団の不満が高まる。 「尾張徳川家」の正統なる支藩からの継承に、尾張家臣団は死力を尽くす。十四代家重:紀州徳川家から継承する。一ツ橋家系から、紀州徳川家本家に、徳川宗家が移る。 紀州徳川家は、吉宗の後を、支藩家系で継承していた。 十五代慶喜:水戸徳川家から、一ツ橋家の養子を経て継承。血脈としては、徳川宗家が水戸徳川家に移る。 水戸徳川家は、紀州系・一ツ橋系からの養子をとることなく、初代からの家系を守っていた。 御三家の末席(当初は徳川宗家、尾張家、紀州家が御三家とされていた)であったが、 いわば、逆転ホームランである。 明治維新後、水戸徳川家が継承した徳川宗家と、徳川慶喜が、公爵となる。 (尾張徳川家と紀州徳川家は、侯爵家) かように、徳川将軍家も、家康の男系で継承されたが、一族の意識としては、 徳川家という単一ではなく、紀州徳川家、紀州徳川家も分かれてその中での一ツ橋家、 水戸徳川家、などの「家系」こそが、各家及びその家臣団の血脈としての帰属意識の源泉となった。 明治以降の皇室においても、伏見宮系王家は、明治天皇の正統なる皇室とは別家系である。 そして、江戸時代から続いた世襲四親王家の体制から、伏見宮系王家にとってかわれた。 傍系の拡大を懸念する(傍系の宮さまのインフレーションによる皇室の歪みと、 数の増加による皇族の権威の相対な失墜)本家明治天皇家系のベクトルが、 傍系血脈の伏見宮系の拡大を好まないこともあり、 世襲四親王家体制は消滅し、伏見宮系王家のみが残った。
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648 :名無しさん 〜君の性差〜[sage]:2012/11/29(木) 14:02:25.00 ID:osgP/kYr - >>647
>>憲法第十四条の法のもとの平等に反する貴族に相当する。 それをいうのなら、伏見宮系王家の旧皇族は、 「旧皇族」との特権的身分 皇族を離脱して一般人になったが、旧制度では一般人ではなく貴族となった 自分の親(や祖父などの男系直系尊属)が、皇族の家系との理由で、華族であるべき人。 自分の親の、特権的な地位にもとづき、皇族に復帰する資格を有した。 これは、憲法14条違反である。
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649 :名無しさん 〜君の性差〜[sage]:2012/11/29(木) 21:13:17.98 ID:osgP/kYr - 男系継承を絶対視することは、すなわち、多層的な歴史的事実から、ある1点のみを切り出して絶対視することであり、妥当ではない。
ヨーロッパの王家は、伝統的には男系継承であったが、ハプスブルク家のマリアテレージアのように フランスの小公国からの夫(皇配)との間の子につなげていった例もある。 以前は男系のみの継承でも、ある時点に、女系での継承も可能と変更した王家は、諸外国にも数あまたある。 人間の本質的な欲求として、自らの遺伝子を残したいということがある。 それにつらなるものとして、自らの遺伝子を継ぐものに継がせたい、 直系に継承できない場合も、なるべく近親のもののい継がせたい、ということがある。 だから、遠縁の男系継承には、女系での遺伝子により近親の血統を補完したことも多い。 なるべく近親に継承させたいというのは、人間の本来的な欲求である。 尾張徳川家では、家康の男系とはいえ、一ツ橋系からの養子継承を命ぜられたことに対する、 家臣団の猛反発があったことは、自然なものである。そして、別家系たる「一ツ橋家」の当主に子がなければ (そのルーツは8代継承の権力闘争の後塵を拝した紀州徳川系の家系である)、 尾張徳川家の正統な家系の支藩から養子をとろうとするのも、またごく自然な感情である。 そして、男系絶対と考える国民意識が希薄になっていくなかで、 遠縁の男系よりは、近縁の女系、という選択も有力かつ正統なものである。 少なくとも二十数世離れた「別家系」(男系であることにより「別家系」であることを否定されない) である伏見宮系王家が皇位を継承することは、 自然な感情として、皇位が別家系に移ることであり、戦後70年近く一般人として過ごし代を重ねたこともあり、 多くの国民の根源的な違和感にさらされて、国民統合の象徴とはなりえないであろう。
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