- レイプゲームはヘイトスピーチである
761 :名無しさん 〜君の性差〜[sage]:2010/04/13(火) 01:08:00 ID:SfQz041N - だから、>>747でも
>表現規制がされなければそれで良しと言うのではなくロリ表現やレイプ表現を消費することが >他の性的嗜好と同等の趣味嗜好として認められる ことを目標とするのであれば、 >そりゃこういう言い方になるのは当然 って言ったでしょ? あなたの論は、「おめこぼし」でいいから法規制されなければそれでいい、場合によっては 「自主規制」によって表現が必要とする人に届かなくなることもある、「現実的」=目標が低いもの。 彼の論は、ロリ表現やレイプ表現であっても他の性的嗜好と同等の趣味嗜好として 表現すること、表現を享受することが自由に行われ、そのことおよびその嗜好を持って 生まれついた者が、「反社会的」「非社会的」だと扱われないこと。すなわち、目標が高い「理想論」。 だから、ただ「法規制を避ける」ことのみを目的とした手段を提案したって、届くわけがないでしょうが。 その高い目標を共有したうえで、より効果的な手段を提案するのならまだしもね。
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765 :名無しさん 〜君の性差〜[sage]:2010/04/13(火) 13:47:22 ID:SfQz041N - >つまり、ホモセクシャルというマイノリティが、どれだけの人間を説得できたか、
>あるいは共感を得たかという部分が非常に大きなウェイトを占めている。 >それを認めた人は前者を規範とし、認めていない人は後者を規範としているわけだね。 >そして、その多寡が(TPOに応じて)現在どちらにあるのかを「理解」するのが客観性だ。 それはすなわち、「多数派の『共感』を得られない者は差別される」、それが「客観的規範」だということか。 >>216-217の >多くの人が嫌がってるものは規制されても文句は言えないよ >多くの人が嫌がっているならばユダヤ人も障害者もホロコーストされても文句は言えないよ と何が違うというの? 少なくとも、「現在の自分が被差別者である」と感じている人にそれが届くことが「現実的」なの?
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769 :名無しさん 〜君の性差〜[sage]:2010/04/13(火) 19:43:36 ID:SfQz041N - >「アーリア人種以外は劣等民族だから差別しても構いませんよね? ドイツ国民の皆様?」
>というコンセンサスの元に行われた客観性のある事例ではない >そうではない、つまりホロコーストには客観性があると論じるということは、 >当時のドイツ国民が「ユダヤ人迫害政策に賛成していた」と主張していることになる ちょっと待て。ナチスはワイマール憲法のもと、民主的な選挙によって政権についたんだし、 政権獲得してから本性を現したのではなく、はじめから「わが闘争」とかで「ユダヤ人絶滅政策」を主張していたんだぞ? 当時のドイツ国民の大多数は「ユダヤ人迫害政策を支持していた」というほうが通説じゃないのか? 国民大衆が「民主的」に「民族浄化」を選んだこと、それこそが ナチズムが他のファシズム・独裁と異なる点として恐れられていることではないのか? 「大多数のドイツ人は自ら進んで全体主義の支配に順応したのであり、 それは単なる宣伝とテロルの結果ではあり得なかった」(「カリガリからヒトラーへ」より) まだ「客観的」な答えが出たとは言えないかもしれないが、少なくともそこまで断定できる話じゃないだろ? それ人によってはホロコースト否定論と同等に受け取られてもおかしくないぞ?
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771 :名無しさん 〜君の性差〜[sage]:2010/04/13(火) 20:48:25 ID:SfQz041N - そもそも「コンセンサスの元に行われた」「客観性のある事例」というのが意味不明。
「ホロコーストが行われたこと」自体には客観性があるだろうけど それ以外にどんな「客観性」があるの? >1930年前後のドイツ国会で何が起きたのか理解していれば、 >ナチが第一党の地位を占めたのが民主的な後押しの結果だったのか、 >一部の権力者による暴走だったのかは充分に見て取れる。 それ自身、すべて「ナチの暴走」だて責任をナチだけに押し付け、 ナチを、反ユダヤ主義を支持してきた大衆を免罪する論理だと批判されてるものだよね。 そういうものに対する反論としてクラカウアーの言を引いたんだけど? まだ戦後65年しかたっていない、これが「客観的」な答えとして出たものだとまで言うつもりはないが 少なくともそちらが「客観的」だと言い切れるものではあり得ないだろう。
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772 :名無しさん 〜君の性差〜[sage]:2010/04/13(火) 21:28:36 ID:SfQz041N - おいおい、自分がどれだけやばいこと言ってるのかまだ気づいていないのか?
>つまり、ホモセクシャルというマイノリティが、どれだけの人間を説得できたか、 >あるいは共感を得たかという部分が非常に大きなウェイトを占めている。 >それを認めた人は前者を規範とし、認めていない人は後者を規範としているわけだね。 これは、「ホモセクシャルというマイノリティ」が「多数の共感」を得られなければ、マジョリティと「平等ではない」 というのが「社会的規範」になる、この「現実」を「理解」するのが「客観性」なんだよな。 それは差別があるという「現実」を肯定した議論しか、「客観的」じゃない、「それに適わない」から認めないと言ってることだろう。 すなわち、「多いのが客観的、客観的だから正しい」というのと同義。 >元々性的マイノリティを認める認めないの話ではなく、「レイプゲームはヘイトスピーチである」かどうかでしょ。 >そこのアプローチを違え、やれ差別学だの、やれ障害学だの、おかしな論点から切り込むから問題視している。 「ヘイトスピーチ」と言うのはもともと差別論の用語でしょうが。規制派が「エロゲが存在すること自体が『性差別』だ」と言うのに対して 「『性差別』の解消のために、全く別の『嗜好による差別』を発生させてもよいのか」という反論でしょう。 全会一致であっても奪われてはならないもの、それが「自由権」「平等権」といった基本的人権ってやつじゃないのかね? 「人権」は実定法より上の存在であり、基本的人権を侵害する法に従う必要などない、これも立派な「規範」の一つだよな? >一方的な疎外感あるいはおかしな主観で「差別された」と解釈するのは、 >普通“被害妄想”と呼ぶのでよく覚えておこうね。 もう1回言うぞ。 少なくとも、「現在の自分が『被差別者』である」と感じている人に、それが届くことが「現実的」なの?
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