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201 :通行人さん@無名タレント[sage]:2010/07/20(火) 03:55:02 ID:2Gzgeqr70 - ●麻原彰晃 →オウム真理教教祖。サリンを撒き無差別殺人。坂本弁護士一家惨殺。海外新聞がkoreanと表記。
週刊現代がスクープ。事件前の対談で自ら語っている。 ●宅間守 →大阪 池田小学校の児童殺傷。8人殺害 15人が重軽傷。朝鮮人部落出身 ●東慎一郎 →酒鬼薔薇聖斗。神戸の首切り小僧。生首を校門に飾る。2人殺害。元在日朝鮮人 ●林真須美 →和歌山 毒入りカレー事件。4人毒殺 63人が負傷。帰化人 ●織原城二(金聖鐘) →神奈川 帰化人、英国人 豪州人女性を強姦、ビデオ撮影、バラバラ殺人 ●関根元 →埼玉の愛犬家連続殺人犯。4人を殺害。肉片を削ぎとりドラム缶で焼却、川へ流す ●丘崎誠人 →奈良 岩を数回、少女の頭部に投げつけて絶命させた 在日朝鮮人 ●キム・ミンス →韓国人留学生 強盗殺人犯。大分 日本人老夫婦を刃物で殺傷 ●李東逸 →韓国人 檀国大学教授。芝居観覧のため来日中、東京で日本人女優Nを強姦 ●金允植 →韓国人 強姦罪で指名手配中に逃亡目的で来日。大阪で主婦を100人以上連続強姦 ●金大根 →韓国人の強姦魔 連続児童虐待暴行殺人。6名の女児死亡 ●李昇一 →韓国人 東京 テレビ「ガキの使い」関係者を名乗り少女140人をレイプ ●沈週一 →韓国人 鳥取 大阪 和歌山 ベランダから女性の部屋へ侵入し9人を強姦 ●張今朝 →韓国人 長野 「一緒に猫を探して」と小学校4年の女児をレイプ ●ぺ・ソンテ →韓国人 横浜 刃物で脅し、女子小学生14人をレイプ ●宋治悦 →韓国人 東京 ナイフで脅し手足を縛り下着で目隠しの上、主婦19人を強姦 ●崔智栄 →北朝鮮籍の朝鮮大学校生 新潟 木刀で傷を負わせ、18歳少女2人を車の中で強姦 ●金乗實 →北朝鮮籍の朝鮮大学校生 同上、共犯者。他にもう一人19歳の共犯者(朝鮮籍)あり ●鄭明析 →韓国人 カルト「摂理」教祖。日本人1000人、台湾人100人、米英仏人などを強姦 ●徐裕行 →韓国籍 オウム真理教幹部・村井秀夫刺殺事件の刺殺犯。裏で北朝鮮が関与か ●国松孝次警察庁長官狙撃事件。現場近くから北朝鮮製のバッジ、韓国のウォン硬貨などを発見 ●世田谷一家惨殺事件。採取された指紋が韓国人の男と一致。韓国警察からは協力を得られず ●東京資産家強盗殺人事件。奪われた腕時計が韓国で販売。韓国人グループの犯行とみて捜査
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202 :通行人さん@無名タレント[sage]:2010/07/20(火) 03:56:30 ID:2Gzgeqr70 - 「田岡一雄自伝」より
通りすがりの通行人の目つきが気に食わないといっては難くせをつけ、 無銭飲食をし、白昼の路上で集団で婦女子にいたずらをする。 善良な市民は恐怖のどん底に叩き込まれた。 こういった不良分子は旧陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。 袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首に巻きつけ、 肩で風を切って町をのし歩いた。 腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を引っさげた彼らの略奪、暴行には 目にあまるものがあった。 警官が駆けつけてきても手も足も出ない。 「俺たちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人が何をいうか」 警官は小突き回され、サーベルはヘシ曲げられ、 街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。 〜中略〜 一瞬、ぎくりと立ちどまり、悲鳴のあがる方角に走った。 途中で四、五歳の女の子が泣きながら夢中で駆け寄ってきた。 「どないしたんや」 「おかあちゃんが、おかあちゃんが」 少女は私に泣きじゃくりながらしがみつく。 この世のものとは思えぬ女の狂気じみた悲鳴がきこえつづけていた。 「ここにいるんやで。ええな」 私は少女をその場において一目散に走った。 少女の母親は木立の中で数人の男に犯されていた。飛行服の男たちだった。 ------------------------------------------------------ 創氏改名は屈辱だったと言うわりに通名を名乗る在日 実態は戦後に悪さをしすぎて日本人に嫌悪されたため 通名という都合のいい偽名を使うようになったのである
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203 :通行人さん@無名タレント[sage]:2010/07/20(火) 03:57:11 ID:2Gzgeqr70 - 金素雲も嘆く在日朝鮮人の横暴
日本人はなぜ朝鮮人が嫌いか、差別されるには朝鮮人の方にもそれなりの原因 がある、という筆者の論は決して間違っていないと思ふ。例えばあの有名な朝鮮 人詩人の金素雲氏は、その自伝の中で次のように書いている。 日本人所有の家を借りたなら、家賃は一切払わなくてもよいというのが、その当時 (昭和の初期―筆者注)同胞の間では常識化していた風習だった。 「お前らは国まで盗んでいったじゃないか。家賃ぐらい何だ!」――こちらにはこ んな腹があったが、引っかけられた日本人の側では恨み骨髄にならざるを得な かった。家賃をもらうどころか5,6ヵ月分の家賃に当たる金を<立退料>という 名目で払わなければならなかった。こんなとき、その仲介の役割を果たすのが、 いうなれば叔父の職分だった。(同胞が集団居住する町には、こんなブローカー が必ず何人かいた) 1,2年ただで住んでは<立退料>をせしめて家を空けてやることもあったが、時 には引っ越した次の日に大家から立退料を取ってまた引っ越していく、そんな場 合もあった。 その立退料の半分ぐらいにあたる金が叔父のようなブローカーの 懐に入ってくる。もちろんこれは4,50年前の昔話ではあるが、こんなやり口が その後長い間い年月を通じて、大多数の日本人の生活感情の底に<チョーセン ジン>を敬遠し蔑視する後遺症の種となったことも事実である。 中村 粲 文武新論 平成5年7月10日
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