- 囲碁のルールについて語るスレ 2
170 :名無し名人[sage]:2023/04/12(水) 08:39:45.72 ID:HjCHekyF - >>168
超コウの下では、両コウをコウダテに利用しようものなら次の瞬間 同じ両コウを相手に取り返されて死ぬこととなる。 その間、月光生きの部分も何も解消できない。よって完全に無効。 ついでに隅のマガリ四目の場合はどうかというと、 隅四と両コウを両者それぞれが取り合うフリカワリとなる。 だからこの場合にはコウダテとして十分意味があるが、 このやり取りは両コウに限らないセキ一般とのフリカワリとまったく同じと言える。 ようするに、一度きりの捨て身のコウダテだ。
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171 :名無し名人[sage]:2023/04/12(水) 08:43:10.97 ID:HjCHekyF - ところでだが、「月光生き」とはそもそも何であろうか?
「月光生きの『死』」に如何なる根拠を与えるかの問題は、『月光生き』なる概念(形)そのものの問題でもある。 ┌○○┬●○┬┬ ├●○●●○┼┼ ●●●●○○┼┼ ○○○○○┼┼┼ ├┼┼┼┼┼┼┼ ├┼┼┼┼┼┼┼ ●●●●●●┼┼ ○○○○○●┼┼ └●●┴○●┴┴ 中国ルールでは、上のセキが残っていると下のナカデは死ではない(理論上はそうなる)。 そしてこの問題に、超コウは何も影響しない。 一方で、部分死活では死だろう。 ようするに超コウなら月光の生きではないが、部分死活ならば月光の生きに該当する。 (個人的な感覚では、この図も「月光の生き」という語から連想される様態にいかにも一致する) 2つのルールは当然ながら別物だ。 とかくこの件で引き合いに出される隅四の死活の違いは言うまでもない。 この話は、さらに眼あり眼なし三劫にも関わる。 韓国ルール、あるいは日本ルールでも改正前までは、眼あり眼なし三劫は生き扱いだった。 言っておくが、どちらも部分死活での話だ。 ようするに、眼あり眼なし三劫は部分死活でも死とは限らない。 (現行の「パスをするまで同一コウは取り返せない」ルールでは死になるが、 このルールにはもっと根本的な問題――>>9や、あるいは幾つかの死活例を再現できない――が存在する。 ただしこの問題の要点は、「実戦と結果が変わること」ではない。) 一方で、超コウ(同形禁止の類)ではどうあっても眼あり眼なし三劫の死は免れない。 したがって、眼あり眼なし三劫の扱いもまた「月光の生き」の概念において重要な分岐点となる。
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172 :名無し名人[sage]:2023/04/12(水) 08:45:48.56 ID:HjCHekyF - ちなみに韓国ルールでは、昨年の農心杯でまさに出現したように、眼あり眼なし三劫どころか、
次図のような形ですら生きになる。 ○○●●●○┬┬┐ ├○●┼●○┼┼┤ ○○●●○○┼┼┤ ●○○●○┼┼┼┤ ├●○●○┼┼┼┤ ●●○●○○┼○┤ ├●○●●○○┼○ ●●○○●●○○● ●○┴○●┴●●┘ ちなみに比較としてもう一つの図も載せておこう。 ○○●●●○┬┬┐ ├○●┼●○┼┼┤ ○○●●○○┼┼┤ ●○○●○┼┼┼┤ ├●○●○┼┼┼┤ ●●○●○○┼○┤ ├●○●●○○┼┤ ●●○○●●○○┤ ●○┴○●┴●○┘ こちらはいくらなんでも死のはずだ。 前図との違いは中央黒石に尻尾がついているかどうか。そこが黒の生死の明暗を分ける。 これ如何に? ※繰り返すが、韓国ルールはあくまでも部分死活だ。前図は「部分的に取れない」から生きになるだけである。 ただし、『部分(関連する範囲)』というものの厳密な定義は明らかではない。 最後に、超コウによって引き起こる現象も再確認しておこう。 三劫や長生がほぼ無勝負になっている実態を説明できなかったり、 そもそも人間のプレイするゲームとしては不向きだというのに加えて、 さらに以下のような図であまりに常識外れの変化も生じる。 ┌○●●●●○○○ ●○○●┼●○┼┤ ├●○●┼●●○○ ●●○●┼●○┼┤ コミ6.5 ├○○●┼●○○○ 超コウではどうなる? ○○●●┼●●●○ ●●●●●○○○○ ○○●○○●●●● └○○○┴●○○┘
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