- 囲碁普及について真面目に考えるスレ55
382 :名無し名人[]:2021/10/05(火) 21:56:30.67 ID:ZrY/+6jb - >>375
秀哉の引退碁が終わりの始まりだった。 秀哉全盛期は文春の祖である菊池寛が読売新聞に観戦記を書いて、読売の売上が激増した。 35年に将棋実力制名人戦が開始、 37年に秀哉が終身制名人を引退、 40年に囲碁実力制本因坊戦が開始。 秀哉引退碁の初日には関根金次郎13世と 木村義雄名人(後の14世)も観に来てる。 それ以降、囲碁の施策は概ね将棋の模倣。 1935年、それは囲碁と将棋の伝統文化内の序列が逆転した年。 算砂以前は囲碁は文化・将棋はお遊戯。 算砂以降は囲碁も将棋も文化だが囲碁が格上。 明治維新から1934年までは囲碁が格上だが、将棋の方が世相に対応し人気文化に。 1935年以降は、将棋の方が権威ある文化で、囲碁は伝統と体面ばかり気にする斜陽文化。 いまや将棋も斜陽文化だが、囲碁は消滅寸前の没落文化。
|