- 囲碁クエストについて語るスレ Part19
479 :名無し名人[]:2021/08/17(火) 21:54:01.21 ID:lyfojalC - 19歳の囲碁棋士・芝野虎丸が新名人になった。「20代の名人はありえない」といわれてから約半世紀。なぜ最年少記録を更新できたのか。
囲碁界はプロ入りして数年しかたっていない10代の活躍が目覚ましい。 若手が台頭し、結果を出していく背景を探ってみた。 10代棋士が台頭 第44期名人戦挑戦手合、芝野は開幕戦を落としたものの、その後4連勝して七番勝負を制した。史上初、10代名人の誕生となった。その戦いぶりは安定し、敗れた張栩名人に「完敗です」と言わしめたほどだった。 9月23日には、17歳の高校生、上野愛咲美女流棋聖が一般(年齢、性別の区別のない)棋戦で準優勝する。女性初の準優勝が快挙とクローズアップされたが、17歳という若さもすごいことだった。 竜星戦準優勝の上野愛咲美女流棋聖=2019年9月23日、筆者撮影 なぜ10代の若手がトップに立てるようになったのだろうか。 プロ修業を始める年齢 井山裕太四冠がタイトル戦線に出てくるまで、ほとんどのタイトルホルダーは修業時代、内弟子生活を送っていた。 歴代名人を振り返っても、第1期の大竹英雄名誉碁聖から林海峰名誉天元、趙治勲名誉名人、小林光一名誉棋聖、加藤正夫名誉王座、武宮正樹九段、依田紀基九段、第30期の張栩九段まで、全員が内弟子経験者だ。 第31期以降の高尾紳路九段、井山裕太、山下敬吾九段、芝野虎丸名人の4人は、修業時代は親もとで暮らしている。 多くの棋士は、碁を覚えると地元で「神童」と言われるほどの上達を見せる。そして縁あって弟子入りするのだが、師匠が内弟子をとっていれば、師匠宅で兄弟弟子たちと寝食をともにし、切磋琢磨する生活を送ることになる。弟子入りすることで、碁漬けの生活を送り、プロとしての技量を身につけていく。
|
- 囲碁クエストについて語るスレ Part19
480 :名無し名人[]:2021/08/17(火) 21:54:14.69 ID:lyfojalC - 問題は、弟子入りするなどプロとしての勉強の開始年齢だ。
歴代名人でもほとんどが小学校高学年から中学入学のタイミング、10歳から12歳で入門している。 飛び抜けて早いのが趙治勲。6歳で来日し、内弟子生活に入っている。 国民栄誉賞を受賞した井山裕太が石井邦生九段に弟子入りしたのも6歳。石井からインターネット対局で1000局以上打ってもらったのが糧になった。 芝野虎丸は8歳で洪道場の門をたたいた。 七大タイトル最年少記録は 1位 芝野虎丸(名人戦)19歳11カ月 2位 井山裕太(名人戦)20歳4カ月 3位 趙治勲(王座戦)20歳5カ月 10歳未満で本格的にプロの修業を始めた3人が、最年少タイトル記録ベスト3なのだ。 ちなみに上野愛咲美も、6歳で藤澤一就八段の囲碁教室に通い始めている。
|
- 囲碁クエストについて語るスレ Part19
481 :名無し名人[]:2021/08/17(火) 21:54:32.15 ID:lyfojalC - 修業の環境を整えて
「環境を整える、あとは本人の努力次第」 元名人の依田紀基や元本因坊の趙善津九段ら多くの内弟子を育てた安藤武夫七段の言葉だ。 住む場所、食事、勉強する棋書などの環境を整えれば、あとは本人次第。やる気がない子どもは、やめさせるほうが本人のため。 こんな考え方が、長い間主流だった。 大竹英雄、石田芳夫、加藤正夫、小林光一、趙治勲ら70人以上の弟子を育てた木谷實九段は、弟子本人の自主性を尊重した。囲碁への情熱が大事で、打つ内容も否定せず、個性を伸ばす方針で成長を見守った。 張栩の師匠、林海峰も内弟子を家族の一員として温かく迎え入れ、ともに研究、検討したが、基本的に放任。自身が研究に没頭する背中を見せることで育てた。 「思い込んだら試練の道」は師匠のこと 近年では、子ども専門の囲碁教室や道場が多くなり、きめ細やかな指導をする師匠が登場してきた。 芝野虎丸は8歳のとき、プロ志望の兄の「ついで」に洪道場に通うことになった。 子どもの頃からおとなしく、挨拶以外、ほとんどしゃべらない。何か話させようとすると、泣く。しかし集中力は目を見張るものがあった。師の洪清泉四段が芝野の才能を見抜き、シャイな性格を理解し育んだ。
|