- 仲邑菫さん応援スレ PART2
219 :名無し名人[]:2019/01/30(水) 07:44:18.15 ID:aUmMMXHC - >>209
>だから人数が制限されようが、強ければ負けない、負けなければ狭き門をくぐれるわけで 単純にそうでないのは、井山が川田に入段試験で負けてプロ入りが1年遅れたのが 反証になる。 この前例を反省して「英才特別枠」を作ったのだろう。 十代前半の伸び盛りの時期に鍛えるのが、世界に通用する棋士を育成するのに 何より大切だから ちなみに井山を下した川田はすばらしい逸材かと思いきや http://sports.geocities.jp/mamumamu0413/internal/rate1.html 順位 年齢 レーティング 2019年1月 1: 井山裕太 29.7 9.858 256: 川田晃平 38.6 5.833
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222 :名無し名人[]:2019/01/30(水) 09:48:39.16 ID:aUmMMXHC - >>220
>試験はその時の実力者を選抜するものであって、才能を選別するものではない これは必ずしも万人が賛同する事項ではない。将来性(伸びしろ)を見込んだ選別が 大切と言う試験もある。 >>146 の三村のブログによれば、菫の才能は囲碁界ではかなり前から評判だったと 6歳の時に井山が注目したとか、8歳の時に三村が2子で打って負けたとか プロが見てキラリと光る物があったのだろう。 アマがどうこうイチャモンを付けるのは見苦しいwww 中には>>216のように、母親の容姿を言いつらう奴もw
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227 :名無し名人[sage]:2019/01/30(水) 10:07:54.78 ID:aUmMMXHC - トッププロの見る目は確か
【本因坊秀策】 1829年、桑原輪三とカメの次男として誕生する。 1837年(天保8年)に出府して本因坊丈和に入門、本家の名字である安田を借り栄斎を名乗る。 その打ち振りを見た丈和が「是れ正に百五十年来の碁豪にして、我が門風、これより大いに揚がらん」 と絶賛したと伝えられる(百五十年前は道策の全盛期であった)。 1839年(天保10年)に初段。翌1840年(天保11年)に秀策と改名し、二段昇段。 翌1841年(天保12年)三段昇段、さらに翌1842年(天保13年)四段昇格する。
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235 :名無し名人[]:2019/01/30(水) 10:49:05.69 ID:aUmMMXHC - 東京本院の院生が60人で、AからEまでのランクがあるが
https://www.nihonkiin.or.jp/player/insei/joretu/ 院生に採用される試験碁(プロ相手)の目安として、アマ6段程度は最小限らしい
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