- 囲碁のルールについて語るスレ 2
59 : ◆A9IibWftF1XA [sage]:2018/09/30(日) 05:58:49.25 ID:Ocg9YAJN - ところで、「死活確認」というものを明確にしておくと、
実は曲がり四目の説明を簡潔明瞭にすることができる。 囲碁ルールの話といって先ず思い浮かぶのは、やはり曲がり四目の話だろう。 ところが自分はついぞ、これの腑に落ちる説明を今の今まで一つも 見聞きすることができなかった。 さて、どういうわけだが世間では、"万年コウ併存等の特殊ケース"を 想定しているわけでもなかろう初中級者に対して、この説明に 規約七条を持ち出したり、突然別ゲーの純碁の話を始めるようなのが多いが、 それらは自分に言わせればまったくの【デタラメ】だ。 むしろさらなる混乱を招くのみ。 『なぜそんなルールがあるんだ?』 『なぜ自陣への着手が損にならない別ゲーが突然出てくるんだ?』 こう言われるのがオチ。 そもそも通常の曲がり四目であれば、規約七条2などまったく必要ない。 規約の死活例7-1「隅の曲り四目」を改めて確認すると、 冷静にみれば七条の特殊なコウルールなどまるで適用していないことがわかる。 本劫を仕掛けての劫取りに対し、他方はすぐに取り返せないからパス、そして取り上げる。 どれもいたって基本ルールどおりのままではないか。 さらに、両者の着手放棄後には、一方的に取りにいける石を わざわざ地を埋めずにそのままハマにしてよいことは 皆が日本ルールで打つ時ごく当たり前に守っている原則なのであって、 純碁の話など始める必要はどこにもない。 たとえ劫ダテが残っていようとも、たとえばセキ崩れを周りから順番に 取りに行く着手が終局前に必要などとは誰も思わないように、 劫ダテを消す着手も同じ理屈で考えればよい。それだけのことだ。 むしろ純碁の話などすると、万年コウ等の特殊ケースの場合に 結果が一致しないじゃないかと逆に突っ込まれることになる。 ようするに、曲がり四目の説明においてもっとも肝心なことは、 「死活確認」の原則なのである。それはつまり、 お互いが自由意思により着手放棄をしたら――@ 死活は想定着手で検証する。――A ということである。 ところが、ここに焦点を当てた解説というのはまったく見当たらないのだ。 なぜ皆、問題の本質を見誤ってしまうのか? それは推測するに、規約の死活例が濫りにこの条項を当てはめていたり、 「死活確認」というものを明確にしていなかったりもあるだろうが、 さらには、劫というものを特別視しすぎているのではないかと思われる。 なぜなら日本の慣習ルールでは「本劫は手入れ必要」になっているからだ。 とすると、曲がり四目取り上げの想定手順中では本劫が発生するのだから、 最後に本劫を解消するための一手分の手入れまで省略できるかどうかは微妙かもしれない。というわけだ。 ところで。 さきほど私は、「本劫は手入れ必要になっている」と言った。 それはいったい現規約のどのルールだろうか? …お気づきのとおり、「本劫は手入れ必要」をルール化しているものこそが、規約七−2なのである。 そういうわけで、曲がり四目について本質とは程遠い説明をこれまで散々見聞きし続けてきた私は、 以上のような真実に気づいたとき、3段ウェーブの衝撃を受けた。 この条項のおかげで曲がり四目が死になっていたわけではなく、 この条項のせいで曲がり四目が死である本質が煙で見えなくなっていたばかりか、 この条項があるがために曲がり四目は日本ルールでも死で当然だと胸を張れなくなっていたのである。
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