- 棋譜を晒して強くなろう〜囲碁添削スレッド10
174 :名無し名人[sage]:2011/08/31(水) 06:02:55.35 ID:DqXp0SdZ - (;B[pd];W[dp];B[pp];W[dd];B[fq];W[dn];B[jp];W[qn];B[ql];W[qq];B[pq];W[qp];B[po];W[rn]
;B[om];W[nc];B[lc];W[qc];B[qd];W[pc];B[od];W[nb];B[me];W[ni];B[li];W[qj];B[qk];W[rj] ;B[rk];W[qg];B[rf];W[ok];B[pj];W[pk];B[pi];W[qh];B[pl];W[ol];B[nj];W[oj];B[oi];W[mj] ;B[nh];W[nk];B[mi];W[pm];B[mk];W[nm];B[on];W[nl];B[lj];W[nn];B[no];W[ln];B[mo];W[km] ;B[rc];W[rb];B[oc];W[ob];B[sb];W[rd];B[sd];W[sc];B[qo];W[ro];B[rc];W[kp];B[kq];W[lp] ;B[lq];W[sc];B[ll];W[mn];B[rc];W[jq];B[iq];W[jr];B[mq];W[hq];B[hp];W[ir];B[ip];W[gq] ;B[gp];W[fr];B[eq];W[er];B[dq];W[cq];B[dr];W[cr];B[es];W[gr];B[eo];W[hs];B[pr];W[do] ;B[jn];W[sc];B[cl];W[cj];B[dj];W[fp];B[ep];W[dk];B[ck];W[ci];B[dl];W[ek];B[el];W[fk] ;B[fl];W[gk];B[bp];W[bo];B[bn];W[ao];B[br];W[cs];B[bq];W[cp];B[cn];W[co];B[ds];W[bs] ;B[en];W[ei];B[fc];W[dc];B[df];W[fd];B[dh];W[di];B[fg];W[gc];B[ch];W[se];B[gi];W[ik] ;B[jl];W[hi];B[hh];W[ii];B[gj];W[hj];B[ih];W[gh];B[fh];W[jh];B[jj];W[gg];B[gf];W[hg] ;B[ig];W[hf];B[fi];W[ji];B[he];W[if];B[jg];W[ff];B[bh];W[jf];B[kg];W[kf];B[lf];W[lg] ;B[kh];W[mf];B[le];W[ng];B[ge];W[kj];B[ki];W[kk];B[jk];W[kl];B[hl];W[nj];B[hk];W[mh] ;B[of]) kgs3d同士の碁です。私の白番。添削お願いします。 以下は自分で振り返った内容です。 36 なんか黒がどっちかとれそうになりました。黒にどこか無理があった気がします 86 上を切りたかったけど無理そうなので諦めました 98 C5に備えつつ手抜きされたらF4のつもりでしたが冷静に考えると99との交換は別に得してないような 126 不要でした 148 活きておくべきでした 158 H15にノビておいて、黒三子逃げたら左辺と攻め合いに行く方がチャンスがありそうでした 163 ここに打たれたらもう勝てる気がしませんでした。この後の手順は半ばヤケクソです
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- 棋譜を晒して強くなろう〜囲碁添削スレッド10
176 :名無し名人[sage]:2011/08/31(水) 13:26:48.16 ID:DqXp0SdZ - >>175
白K9に黒が直ちにH8にノゾいてきたらどうしますか?
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- KGS Go Server スレッド - Version 56
868 :名無し名人[sage]:2011/08/31(水) 22:34:56.82 ID:DqXp0SdZ - 以前三村智保九段の本だったと思うが、三村九段が自戦解説をしていて、相手が模様に打ち込んだ手に対して
「私の目には攻めの良い標的ができてごちそうが飛び込んできたように見えたが相手はそう思っていなかった」 と述べた。 もちろん三村九段はどちらが正しいと言いたかったのではなく、同じ局面でも人によって違って見える、どちらの見方もありえるという趣旨の話だった。 こういう話をされると、アマチュアの身としてはつい「そりゃプロは明らかな悪手なんて初めから打たないんだから、どちらの見方もありえる場面以外ではそもそも意見が分かれないんだろう」と思ってしまう。 しかし、深遠な碁の奥義を究め尽くした境地からすればプロもアマも案外大した違いはないのではないか。 ならばわれわれアマチュアも、どうせ同レベル同士、意見が分かれたときは意見が分かれたこと即ちどちらの見方もありえる場面と思ってもっと相手の打ち方を認めようではないか。結果として相手が勝ったならそれは相手は間違っていなかったということだ。 それでも「本当は相手のあの手は無理だったけど自分がとがめられなくて負けた」と言うならば、せめて自分の手のどこにどんな悪手があってどのようにとがめそこなったのか、きちんと検討してからにすべきだ。 そして、そういうきちんとした検討をした人は相手への恨み言なんて忘れて自分が成長できたことの方を喜ぶものだ。
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