- 【二枚腰】林海峰を語ろう【名誉天元】
35 :名無し名人[]:2011/04/02(土) 00:23:34.99 ID:58eaJph2 -
木谷先生は大勢弟子を育てて木谷一門は大派閥になったけど、 木谷先生の弟子で芽が出なかったひとも実は大勢いるのでは ないかな? 呉清源先生の唯一の弟子は林海峰先生でしょう?雑誌で 中国の女流の誰かが海峰先生に私も呉清源先生の弟子と 主張して海峰先生は同意していたけど。 林海峰先生は張栩を育てたけど、弟子が大勢いるような 話は聞いた事がないね。 木谷一門と呉一門を比較すると、中国人は弟子を取るのに 慎重であると思われる。頭数を揃えて一門を大きくしようという 野心は中国人にはないのですね。中国人にとって師と弟子の 関係は日本人にとってのそれより遙かに厳しいものだと 思われる。 張栩も弟子を取ってもおかしくない年齢だけど、天下を取れる 見込みがない人は弟子にしないんじゃないかな???
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- 本因坊秀策を語る part1
122 :濡れ子先輩(級位者)[(´・ω・`)ショボーン]:2011/04/02(土) 00:36:07.46 ID:58eaJph2 -
小生もシナ版の丈和全集を発注したよ。まさか買える日が来るとは 思わなかった。 でもね、級位者の小生が老後の十年で並べられる棋譜の数には 限りがある。同じ棋譜を10回は並べないとつまらないし。 棋譜を持ちすぎてもおカネを無駄にするだけだよね。
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- 囲碁界史上最強の棋士は?
540 :名無し名人[]:2011/04/02(土) 12:54:57.81 ID:58eaJph2 - 徐星友
徐星友(じょ せいゆう、1644年(順治元年)頃 - 没年不詳)は中国清朝初期の囲碁の棋士。浙江省杭州生まれ、名は遠。国手。徐星友 職業: 囲碁棋士 各種表記 繁体字: 徐星友 簡体字: 徐星友 和名表記: じょ せいゆう 表・話・編・歴 黄龍士の弟子となり、康熙初年に周東侯を破り名を挙げた。黄と三子で打った十番の棋譜「血涙篇」が著名となる。康熙末年になって若い程蘭如に敗れて故郷で隠遁する。 著書に「兼山堂奕譜」がある。また徐の対局は、当時の棋譜を集めた「奇青霞館」に多く収められている。 http://ja.wikipedia.org/wiki/徐星友
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