- 【企業】SNK、著作権侵害で「ハイスコアガール」出版元のスクウェア・エニックスを刑事告訴
50 :名前は開発中のものです[sage]:2014/11/12(水) 13:06:16.79 ID:vMcjyEl6 - 「エスコート」とは「護衛」の意。私なども常日頃から実践しているのであるが、時折、
首を傾げてしまうことがある。おこがましいかもしれないが、エスコートされるほうにも マナーというものが必要なのではないかと思うのである。 例えばスーパーなどで、向こうから来た女性のためにドアを開けて待つ。大抵の方は、 「ありがとう」 「すみません」 などと言ってくれて店内に入る。そこで私は「いいことをした」という悦びに包まれるわ けなのだが、中には無視する人がいる。私が聞けているのに、わざわざ反対側のドアを自 力で開けて入ってきたりするのである。 気がついているのにあえて自分で開ける。自分の道は自分で切り聞くと言わんばかりなの である。 他に適当な言葉が見つからないので、やむなく言わせていただくが、こういう女性はブス に見える。造形というより容姿がブス。歩き方もズカズカと歩くようでちっとも美しくな いのだ。 その点、「ありがとう」と受け入れてくれる人たちは美人である。エスコートされること に慣れているのかもしれないが、そうでなくてもエスコートは想定内。エスコートされる ことをどこか当たり前だと思っているのだろう。傲慢な感じもするのだが、実際、こうし てエスコートできれば私も満足なのだから、お互いに仕合わせである。好意を甘んじて受 けることで、相手を満足させ、自分も楽をする。この、相手にさせてあげるというスタン スに「美」は宿るのではないだろうか。謙譲の「美」というべきか。自らできることもい ったん抑え、相手の「できる」を讃えてみせる。そのマナーがきっと美しいのである。考 えてみれば「自力でできる」というのはひとりよがりで閉じているが、こちらは聞いてい る。ちょうど花弁が聞くようで、だから美しいと感じるのだろう。 人に限らず、モノにしても最近は「できる」ことばかり主張しがちである。特にパソコン などの電気製品は、あれもできるこれもできるとまるで自力で何でもできるかのような勢 いで、これらもブスに見える。機能美というのも、使う人が「できる」と感じられるから 美しいのであって、器自体が「できる」わけではないだろう。 美人というより美のマナー。花は持たせてこそ花ではないだろうか。 (高橋秀実「美人のマナー」)
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