- 菊田裕樹の音楽を語るスレ 10
535 :>>529その1[sage]:2007/06/26(火) 01:50:10 ID:mFiO6N5m - 菊田裕樹氏はスクウェア・エニックス社のMMORPG「コンツェルトゲート」オリジナルサウンドトラックでの作業を終え、
氏の音楽制作会社「ノーストリリア」から出版された初のCD「Lost Files」に続くアルバムを2枚準備している。 我々Square Havenは、この間渋谷近くにある菊田氏の会社にて、氏と会った。 「Sakura Con アニメコンベンション」を組織する一人であり、菊田氏の友人でもあるMasaki Koshida氏が、 日英通訳の手を買って出てくれた。 次に記すものは、”菊田さん”がスクウェア社でミュージック・コンポーザーとして働いていた、 在りし日についての談話記録である。 大阪にある関西大学にて、哲学と文化人類学において学位をとった後、 26歳の菊田さんはコンポーザーとしてではなく、漫画のイメージイラストレイターとして大衆メディアの中に身を投じた。 若い日本人アーティストによく見られるように、彼はペンネームを使っていた。 彼のペンネーム「結城二十六」には、1923年の関東大震災直後の大阪を舞台に本を書いた、 小説家の「直木三十五」への敬意が込められている。 結城二十六として、菊田さんは漫画「Raven」を、ほとばしる創作意欲を持ってして、ほぼ一晩で描き上げた。 ウェブ上で我々が発見した彼のこれまでの経歴の、背景にあるものは何なのか尋ねたところ、以下のように答えてくれた。
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536 :>>529その2[sage]:2007/06/26(火) 01:51:18 ID:mFiO6N5m - ――菊田さんのペンネームに込められた意図とはなんなのでしょうか?
【菊田裕樹】 作曲を始めるまで、僕は絵を描くことによって生計をたてていました。 当時、僕の名前は「裕樹(ゆうき)26」。そう、厳密に言うと僕の本名は菊田裕樹(ゆうき)なのですが、 僕の名前はいつも「Yuki」とスペリングされました。 「Yuki」は女性の名前であり、この読み間違いが色々と混乱を招きました。 例えば、僕の友達とあるホテルに泊まる必要があったりしたとき、僕の名前が女性の名前のように聞こえたため、 シングルベッドを2つの代わりに、ダブルベッドを1つだけ用意されたりもしました。 だから、「裕樹(ひろき)」でいく必要があるなぁ、と考えたんですよ。 ――独学で学んだ音楽家として、菊田氏はテレビアニメ「白雪姫」の作曲家に採用された。 この企画では、菊田氏はフルオーケストラのための曲を作ることができ、 今日では彼は100以上の曲のレコーディングテープの著作権を持ち、ノーストリリア商標にて出版しようとも考えている。 テレビでの作曲活動を通しての経験は、コンポーザーとしてテレビゲーム界に就職するきっかけとなったが、 はじめに受けたのはファルコム社であった。 スクウェアソフトにデモテープを送った後すぐに、スクウェアの音楽ディレクターとの面接試験が伝えられたときは、 やや驚いたと菊田氏は語る。 菊田氏は「Final Fantasy」どころか、もっというと他のPRGさえ触ったことがなかった。 そのため、菊田氏は採用されることは無いだろうと思いつつ、赤坂にあったスクウェア社に姿を現したのであった。 【菊田裕樹】 僕はファルコムに就職志願したんですけれど、だめでした。 その時、スクウェアがスタッフを募集していると聞いたので、僕はスクウェアにデモテープを送りました。 当時、スクウェアについてはほとんど知らなかったですね。スクウェアのゲームもプレイしたことなかったですし。 でも、スクウェアの人に呼ばれたので、スーツに身を包み地下鉄に乗ってスクウェアまで行きました。 面接ではあの植松さんがいて、「へー、きみはプログレッシブ・ロックが好きなんだ?きみのデモテープでのあの曲、 アラン・ホールズワースを彷彿とさせたよ」と僕に言ってきました。 どういうわけか、僕たち2人の間にはプログレッシブ・ロックへの愛という共通点があったんですね。 会話が思いがけなく発展してしまったので、ああ、これはもう落ちたな、と思いました。 僕が不採用されることによって、落胆してしまうことをごまかすために、彼らは面接で良い印象を与えたいんだ、と。 けれども、もうお分かりでしょうが、僕は採用されたのです。 はじめ、僕は「FF4」のデバッグをしていました。あれは、まだスクウェアが赤坂に本社を置いていたときのことですね。 社員の数は50人くらいで、1つの建物の1フロアをみんなで悠々と使えました。 僕は、ゲームをしてバグを見つける作業がメインであったのですが、スーツを身につけてましたね。 ゲームがフリーズしたとき、「あ…ここにバグがあります!」と僕は声を発したものです。 それが、仕事を始めた初期の頃でした。
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537 :>>529その3[sage]:2007/06/26(火) 01:52:14 ID:mFiO6N5m - ――スクウェアは他にも100人ほどの作曲家とインタビューしたが、菊田氏のみが採用された。
シリーズもののゲーム作品を交互に作っている3人のメイン・プロデューサーが面接会場にいた。 FFシリーズの指揮をする坂口博信氏、サガシリーズを率いる河津秋敏氏、 そして聖剣伝説シリーズを担当する田中弘道氏である。 「FF4」が完成した後、菊田氏は河津氏の初のSFCタイトルである「ロマンシングサ・ガ」の サウンドエフェクト担当に回された。 コンポーザーとしてのスクウェアでの環境を述べると、彼はまったく自由であり、 自分の作品に関して方向性の指示は与えられなかった。 【菊田裕樹】 スクウェアの人は当時、人を雇ってはいましたが、重要な仕事のためにあらゆる人を雇うほど、 生産ラインは軌道に乗ってはいませんでした。 だから、サウンドエフェクト担当として、イトケンの手伝いとしてくれないかと僕は頼まれました。 僕は、方向性はまったく与えられませんでした。 僕としては何か面白いものを作りたかったので、スクウェアはそういう手法をとったんでしょう。 スクウェア(のシステム)は基本的にそういった潜在的能力に関して良く働きます。 好きなことが出来て、みんなで作ったものの中で一番良いのは何か厳選され、 最高の作品を作るために一致団結していました。 会社は雰囲気として大学のサークルそのものみたいな感じで、 まるで趣味に熱中する人の集まりが、会社をやっているみたいでした。 ――伊藤賢治氏は「ロマンシングサ・ガ」のコンポーザーである。 伊藤氏の独特な手法が、続いて会社の主な流通ラインとなる予定であった作品、 「聖剣伝説2」の作曲にもとられる予定であった。 しかし、非現実的な面もあったため、作曲担当は最も新しく入った社員である菊田氏に課せられ、 菊田氏は初めてビデオゲームのサウンドトラックを作曲する仕事を与えられたのであった。 彼はこの当時のことを「寝袋時代」と言っている。 というのも、初めてのビデオゲーム曲を作るという試練に直面したために、 遅くまで働くために会社に寝袋を持ってきていたからである。
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538 :SOUND TEST :774[sage]:2007/06/26(火) 01:54:04 ID:mFiO6N5m - 菊さんに萌えた勢いで適当に訳した。あまり反省はしていない
明日早いし眠いのでここまで… 菊たんって何でこんなに萌えなの
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