- 三國志で過大過小評価されている武将 五十四人目
462 :名無し曰く、 (アウアウウー Sa23-xTAg [106.180.0.83])[sage]:2020/03/26(木) 19:18:42.09 ID:mStuGmMZa - 赤壁の敗因は船がなかったのに急いで作らせて直ぐに南征しようとしたことだと思うよ
南征に固執したことで布陣した雲夢沢(巴丘湖)から動けず疫病が蔓延した、しかも船はなかなか量産出来ず南岸への本格的な攻撃が出来なかった このタイミングで黄蓋から降伏の手紙が届いたが、日増しに状況の悪化する曹操軍にとって黄蓋の真意を計る余裕がなかった この状況を打破するために、曹操は罠に食いついてしまった 曹操は降伏を受け入れ黄蓋を招いたが黄蓋の船団が曹操軍の艦隊に接触しようというその時、一斉に火が放たれ東南の風を受けて大いに曹操軍の艦隊を焼いた 疫病がますます猛威をふるう中艦隊の焼失により攻撃手段を失った曹操は、残りの船も焼き華容道を引き返して江陵へと撤退を開始した 劉備は曹操の敗北を知ると趙儼軍を弾き返しながら沔水を遡り華容道を断って曹操を討たんと兵を進めた 劉備の追撃も一歩及ばず曹操は湿地を進み多大な損害を出しながらもそれを振りきって江陵へと帰還した
|