- ひぐらしのなく頃に part583
636 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2022/05/14(土) 14:46:17.89 ID:dcTAuJ/r - アニメ版だけど『ひぐらしのなく頃に』と続編『解』、ようやく見終わった。
長げえよ!てか『解』だけでいいよw 無駄に大作で(ガンダムとかに準じる話数)疲れた…orz てか最終的にたどり着いた結末が構造上、この作品の尖った部分が全部削ぎ落とされてしまうことになるわけだけど、それってどうなの? トゥルーエンドが一番つまんねってどうなの?(まあいいや) 東浩紀の『ゲーム的リアリズムの誕生』を参考に紐解くと、この作品は 視聴者(プレイヤー)の分身であるキャラクター、羽生を物語に参加させることによって、 視聴者にリアリティのある「自分の問題」として受け取らせることを狙っているわけだ。 そして自己啓発的に「この物語で得た教訓を現実でも活かせ」というようなメッセージを発して幕を閉じる。
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637 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2022/05/14(土) 14:48:04.65 ID:dcTAuJ/r - >もっともっと、私たちは幸せになれるから。
>望んだ数だけ、幸せになれるから。 > >それは遠い未来のことじゃない。 >ちょっとすぐ先の未来。 「私たち」は『ひぐらし』の登場キャラと視聴者。 「未来」とは視聴者の未来。 >このような感情のメタ物語的な詐術は、作品を環境から孤立させ、 >物語と現実を対峙させる自然主義的批評では捉えることができない。 >そして、その働きを把握できなければ、キャラクター小説や美少女ゲームが、 >表面的には明らかに非現実的な物語しか語っていないにもかかわらず、 >なぜいま若い読者の実存的な投射の場所になってしまっているのか、その理由も理解することができない。 ※東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』P245 >『ひぐらしのなく頃に』がオタクたちの支持をかくも急速に、 >かつ熱狂的に集めたのは、竜騎士がまさにその部分で、 >2000年代の彼らの生をとても力強く肯定してくれたからである。 ※東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』P246
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639 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2022/05/14(土) 14:49:26.25 ID:dcTAuJ/r - でも現実的にこんな教訓通用しないわけ。
『ひぐらし』が最後にたどり着いた結末というのは、数え切れない失敗の上に成り立っている奇跡のような成功であって、 これをほぼリセット不可能な現実でやろうとしたら、 たとえば『デスノート』の夜神月や『コードギアス』のルルーシュみたいな もの凄い頭のいいヤツでもなければノーミスクリアは不可能なわけ。 で、しかもご存知の通りこの2人の生き方っていうのはもの凄いキツイ。 はっきり言って苦行のレベル。 こんなもの現実で使えるかよ。 リセット感は現実でも言える部分はあるだろうけど、受験とか就活はたぶん違うよね。 >佐々木敦「人生はゲームじゃないんですよ」 ※文化系トークラジオLife「ぼくたちの失敗学」part5
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640 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2022/05/14(土) 14:50:14.86 ID:dcTAuJ/r - したがって僕の『ひぐらし』評価は世間一般で言われる「残虐な部分は本質じゃなくて、それを教訓とする助け合いがテーマ」という評価には
まったく賛成できなくて、やはり「若者が興味のある『殺人』というネタで読者を引き付け、 思春期だけ通用するような吹き上がりによって現実から目を逸らさせる程度の効果しか持たない中二病作品」だということ。 奈須きのこの作品ほどじゃないけど、けっきょく残虐性も否定してないと思う。 よって秋葉原事件にも影響アリ。
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