- 平成にひぐらしはなく 第6部
146 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/11/18(火) 05:01:51.28 ID:rn/7/gpu - 雛見沢バイオメディカルイノベーションパーク(HBIP)
雛見沢製薬と雛見沢地域協議会の連携によって生まれた創薬テクノパーク。旧ダム跡地に建設。雛見沢製薬及び関連企業の本社・研究所のみならず、世界各地の製薬会社が進出する。 平成26年には国の国家戦略特区の指定を受け、当地に平成27年度厚生労働省の支所が設置され、新薬の治験、承認をワンストップで行うことができるようになる。 園崎夫妻(圭一・魅音)の尽力により生まれた国家戦略特区であることから「夫婦(めおと)特区」などとも一部では言われている。 渇崎興業 園崎魅音が代表取締役を務める園崎グループの中核企業。園崎グループの統括企業として、資産運用、経営支援、グループ経営統治をその業務とする。 平成4年の暴力団対策法の成立時、園崎組自体は規模が小さいこともあり、指定暴力団とはならなかったが、組の存在自体は隠蔽されることになり、園崎組のフロント企業として設立された。 園崎組自体は、平成16年、園崎魅音の園崎興業代表取締役社長就任時に解散(魅音の社長就任の条件でもあった)、元組員は園崎グループ各社の社員となる。 その際の「元暴力団関係者の厚生・再就職」は成功事例として世間の話題となる。 雛見沢バイオメディカルイノベーションパークの整備にも大きく関与し、巨大な利益を上げた。現在グループ連結では従業員数3,000人、売上高900億円の大企業グループ。
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147 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/11/18(火) 05:02:25.00 ID:rn/7/gpu - 平成26年の雛見沢村
雛見沢事件以降、地域の結束がさらに強まった雛見沢村は、全国の山村が深刻な過疎化、高齢化で人口を激減させるなか、約1,800人程度の人口を維持。 平成16年の雛見沢製薬の起業、雛見沢バイオメディカルイノベーションパークの建設後人口は急増、現在の人口は約2,700人である。 今年最大の出来事であった国家戦略特区の指定後、多くの製薬企業が事業所の設置・拡大に名乗りを上げており、来年度以降人口の急増が予想される。 ちなみに、地域協議会による平成42(2030)年時点での予測人口は、約5,000人である。これは、同年の雛見沢を除く旧興宮地区の人口に匹敵する数字である。 雛見沢事件、雛見沢症候群が表立ったことにより、雛見沢地区は一時期「風土病のはびこる危険な村」の汚名を着ることになったが、平成5年の特効薬の開発、平成15年の撲滅宣言により、 イメージは急回復、今では隣接する岐阜県白川郷に次ぐ観光地となっている。
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148 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/11/18(火) 05:03:29.74 ID:rn/7/gpu - 南とやま市立雛見沢小中学校
昭和58年に存在した「鹿骨市立興宮小学校・興宮中学校 雛見沢分教場」は、生徒数の減少により昭和62年にはいったん廃止になった。 その代り1日3便(朝1便夕方2便)、分教場跡から興宮小学校、興宮中学校までスクールバスが運航されることになった。 しかし、平成16年の地域自治区誕生と同時に、「鹿骨市立雛見沢小中学校」として復活。かつての分教場と異なり、雛見沢地区を学区とする正式な教育機関となった。 しかし、少子高齢化の影響で初年度の生徒数は、分教場時代を下回る20人に留まった。 だが、平成20年頃以降から生徒数が急増、平成26年度現在では生徒数は50人を超え、各学年でクラスを編成できる状況になっている。 現在の校長は、分教場教諭の経験のある高橋(知恵)留美子氏。高橋校長はカレーの研究家としても名高く、週に一度は「カレーの日」を設け、カレーの薀蓄を充分過ぎる時間を取って語るため、 生徒からは「カレー校長」と呼ばれている。 前原伊知郎美術館 その作家としての後半生を雛見沢で過ごし、同人作家出身の漫画家の先駆者であり、雛見沢に集い、創作活動に打ち込むクリエイターの先駆者かつ取りまとめ役でもある、 前原伊知郎(78)の作品が展示されている。 場所は旧前原伊知郎氏住居(通称前原屋敷)。前原伊知郎氏は現在存命ではあるが、体力・気力の衰えから漫画家は10年ほど前に引退しており、現在、雛見沢地区内の高級老人ホームに入居中、 悠悠自適の余生を過ごしている。 周辺には雛見沢に移住してきたアニメーター、作家が事務所を構えており、コミュニティスペースを有するこの美術館は、彼らの集うサロンの役割を果たしている。
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149 :ひぐらしのなく頃に〜平成26年版[sage]:2014/11/18(火) 05:04:11.73 ID:rn/7/gpu - 興宮駅(JR城端線)
JR西日本、城端線の終着駅。国鉄分割民営化直前の昭和60年には、穀倉ー興宮間の廃線と興宮駅の廃駅も検討されたが、実現されず今に至っている。乗降客者数は1日200人程度。 雛見沢駅構想 雛見沢バイオメディカルイノベーションパーク(HBIP)事業の一貫として、城端線を雛見沢地区にまで延伸し、仮称「雛見沢駅」を設置する構想がある。 HBIPの構成企業のほとんどは延伸、新駅建設事業への出資を表明しており、雛見沢地域協議会では平成32年度の開業を目標としている。
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150 :ひぐらしのなく頃に〜平成26年版[]:2014/11/18(火) 05:05:32.53 ID:rn/7/gpu - 古手神社で行われた故大石蔵人氏の葬儀には、90歳を過ぎた独居老人の争議であるにもかかわらず、500人以上の参列者が故人を弔った。
大石氏は終生独身であったため、喪主は生涯の友人であった赤坂衛市長が務め、急きょ結成された葬儀委員会の委員長は、雛見沢地域協議会の会長、園崎魅音氏が務めることになった。 葬儀委員には雛見沢、興宮の要人が名を連ねる中、部活メンバーや雛見沢事件の関係者も多数、メンバーに入り、葬儀の実務を取り仕切っていた。 葬儀では、喪主でもある赤坂衛南とやま市長が、弔辞を読み上げた。 「本日は故人を偲ぶ涙雨で足元の悪い中、故大石蔵人翁の葬儀にお集まり頂き、誠にありがとうございます。故大石蔵人翁は、昭和12年に富山県警に採用、興宮書に配属されて以来46年間、 興宮書を中心に警察官として勤務され、刑事として数多くの事件を解決されるなど、地域の治安維持に多大な貢献をされてきました。 定年退職された後は、お母様と北海道は中標津に移住され、新天地で畜産業に励まれていましたが、望郷の念止みがたく、お母様がご逝去された後、興宮の地に戻ってこられ、地域の防犯、 安全に力を尽くしてこられました。…」 91歳の高齢で、大往生であったことから、参列者にも悲愴な雰囲気はなく、故人の生前の人柄を讃え、穏やかに別れを惜しんでいた。 部活メンバーはほとんどが、雛見沢、興宮、穀倉近辺に在住しており、全員が通夜から駆け付け、葬儀委員会のメンバーとして、式の切り盛りに奔走していた。 園崎夫妻(圭一・魅音)は警察関係者等有力者の応接に忙しく、北条夫妻(悟史・詩音)は地域の関係者の応対に追われていた。古手夫妻はまさに、この神葬祭の中心にいた。 北条沙都子、田中(竜宮)レナの診療所コンビは、2人の不在中、患者の応対をしている若い看護師たちに電話で指示を飛ばしながら受付をこなしていた。
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151 :ひぐらしのなく頃に〜平成26年版[]:2014/11/18(火) 05:06:02.42 ID:rn/7/gpu - 式は穏やかながらも厳粛に執り行われ、つつがなく終了した。
参列者全員で谷河内の斎場まで遺体を運び、火葬を済ませた、骨は赤坂が預かり、後日、興宮の寺にある、大石家の墓に納骨することになっている。 喪主の赤坂は葬儀委員会の詰所に戻ると、メンバー全員にお礼を言った。 「皆さんありがとう。おかげで本当にすばらしい式になりました。大石さんも喜んでいるでしょう。」 「大石さんの事ですから、今頃、天国で卓でも囲んでいるんじゃありませんの?」と沙都子が軽くほほ笑んだ。皆から笑い声が漏れた。
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152 :ひぐらしのなく頃に〜平成26年版[sage]:2014/11/18(火) 05:06:51.68 ID:rn/7/gpu - その日の夜は、雛見沢地域協議会主催で、「故・大石蔵人氏を偲ぶ夕べ」という名の食事会が開催された。大石氏と個人的に親しかった人、雛見沢・興宮の有力者、警察関係者など、
100人が参加した。 話題の中心は、故人である大石氏の人となり、武勇伝、雛見沢事件の思い出であったが、それ以外に人々が一番関心を持っていたのは、今年始まったばかりの、雛見沢の経済特区のことだった。 今年3月、雛見沢地区が国家戦略特区に指定されたことは、地域住民からも驚きをもって迎えられた。雛見沢製薬の操業、発展を契機に、雛見沢にもたくさんの創薬メーカーが研究所を構え、 それにしたがって道路などのインフラも急速に整備されてきたが、ここまで話が大きくなるとは、誰も思っていなかったのである。 特区の多くは大規模なもので、雛見沢の次に小さい養父市でも、人口は24,000人。しかもここは農業特区だ。 近年1.5倍に増えたとはいえ、人口2,700人の雛見沢が、しかも研究開発に関する特区に選ばれるなんて、誰も想像できなかったのだ。
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