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882 :873[sage]:2014/04/20(日) 06:23:24.10 ID:lo+ENPkf
覇権のゆくえ〜17世紀シナリオ〜SE版、豊臣家で徳川幕府打倒のプレイレポです
以下テクニック?も含めて書いたためえらい長文になってます。すみません。
もしお気に召さなようであればIDをNGしてくださいませ。

豊臣家の初期スペックは石高約6万石武将8名総兵力3300
周囲を宿敵である徳川幕府に完全に囲まれているという大坂冬の陣直前の状況
対する徳川幕府は臣従込みで65万石、単純に見れば勢力比1:10程度ながら徳川幕府は豊臣家以外に敵を持たないため
豊臣家は徳川幕府の攻撃を一身にうけることになるという、なかなか厳しい情勢

ただし豊臣家にも強みがあり、それは1.弱小勢力としては破格の初期資金50万を有すること
2.初期配備された鉄炮の装備率が非常に高く、数では世界ランク5位に入るほど多いこと(といってもたかだか1300挺だけど)
3.天下有数の名城大坂(城)を根拠地としていることの3点
他方徳川家にも弱みがあり、地図を良く見ると大坂城と従属勢力となっている大名家(+海峡)のせいで
領土が分断されているため各個撃破が狙えるかもしれない

基本方針は以下のとおりで、あとは出たとこ勝負でプレイ
1.少しでも国力差を埋めるため、初期資金が尽きるまで、金に糸目をつけず兵、鉄炮、軍船を全力で買い続ける
2.歩兵、鉄炮は武力9の真田信繁に集める。騎馬兵は、毛利勝永など特定の武将に集め騎馬兵のみの部隊を編成する。
 終始1.5倍から1.8倍の敵と戦場で戦うことになるため、出来る限り効率的な戦い方をする必要がある
3.軍船の砲撃、鉄炮をフル活用し兵力の差を埋める。
4.大坂(城)の特性(後述)を利用して絶対に落とされないようにする。
5.ややプレイヤーチートっぽいが守備的な釣り出しを活用する。

で、プレイ開始早々の1614年9月、徳川家康率いる幕府軍1万が攻めてくる。こちらはまだ兵4500ほど。
兵力差にびびって籠城すると、こちらは兵を雇えなくなるため、じり貧となって滅亡一直線となる
まずは海戦を挑み、勝利できれば水路で進軍してきた敵が撤退する。今回はこれで兵力4500対7000に。
この程度なら勝ち目は十分。野戦に持ち込み、こちらは一歩も動かず所持数世界5位?の鉄炮を撃ちまくり撃退する。

そんな感じで何度か辛うじて撃退しているうちに、こちらの兵力が増えたのを受けて、徳川幕府軍が攻撃を控えはじめた。
この隙になんとか城の一つでも落としてやろうと、ここで初めて周囲の経路を注視してみたところ
大坂の西隣、池田家の領土である姫路、岡山は豊臣家と従属大名である福島家に挟まれ孤立していることに愚かにもようやく気付く
姫路の敵兵力は自軍とほぼ互角。全力で姫路に襲い掛かり、包囲に成功。
釣り出しを繰り返し敵守備兵を減らすことに専念するが、京都在城の徳川幕府軍兵力が1万を超えた時点で
釣り出しを取りやめ、大坂が幕府軍に包囲され出陣できなくなってしまう前に所属武将全員で姫路へ出陣、力攻めに移る。
途中案の定武将不在の大坂が包囲されるが、この時点ではまだ守備兵もそれなりに残っているため、大坂は放置。
力攻め2か月目で姫路を落城させ、1615年8月ついに待望の大坂以外の領地を手に入れる
とはいえ力攻めで兵を減らし、総兵力は5000ほど。
翌月1万の兵に包囲され落城寸前だった大坂をなんとか解放するものの、その翌月にはまた1万5000程の兵で包囲されてしまう。
包囲下にあると兵を雇えないので、野戦統率が2と低く戦場につれていくと足を引っ張る上様こと豊臣秀頼と側近大野治長らを残し
真田信繁ら主力を大坂から脱出させる。

新領地姫路で兵・鉄炮を集めつつ大坂解放の機会を狙っていると飛び地となっていた敵の領地岡山に
なぜか徳川家康が在城していることに気付きこれを攻撃。
大坂城内に一部兵力を残していたため、3000対5000の戦いとなるが真田信繁の鉄炮により勝利。
半年かけて落城させ徳川家康を捕縛、なにか使い道はないかなと処刑せずにおいたけど、まもなく寿命でお亡くなりに。。。

こうして1616年4月領土3つ14万石に成長したが、大坂を包囲している敵軍の数は2万5000ほど
こちらはまだ総勢5000程度。しかも徳川幕府の石高は臣従込みで約100万石にまで成長。
こりゃ無理だ、とここで一旦心が折れたw
が、ちょっと不貞寝して、まぁ上様(豊臣秀頼)も大坂城内で頑張っていることだしと思い直し、
とりあえず滅びるまではやってみるかとプレイ再開。

ここで、あることに気付く。
水路が繋がっている拠点が水路封鎖されないまま包囲されているときは軍備フェイズで兵糧を増やすことが出来る!
恥ずかしながら10年近く戦国史をプレイしていて愚かにも初めて知ったw
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883 :873[sage]:2014/04/20(日) 06:31:07.72 ID:lo+ENPkf
そこで兵力増強する期間、大坂を落城させないため一工夫する
水路封鎖されてもあえて海戦を挑まず兵糧攻めをぎりぎりまでさせて、その後海戦を挑み水路封鎖を解く
すぐに軍備フェイズで大坂の兵糧を増やす。その後水路封鎖されたら以下繰り返し。
水路封鎖されなければ力攻めを手持ちの鉄炮で耐えてもらう。
こうして大坂で上様が耐えている間に8か月かけて兵を1万5000まで増やし、敵方大坂包囲軍2万3000を撃退。
続いて大坂から海路四国の徳島を攻撃・占領、これで本州と四国が分断され徳川方の紀伊和歌山方面が孤立。
また地図上ではわかりにくいが、和歌山と大坂は水路で繋がっていないため、大坂は絶対に水路封鎖されない拠点となる

ついでにこれも今回はじめて気づいたんだけど、水路封鎖されていない拠点は、拠点内外を陸路で行き来することはできないが、
水路を使えば武将を拠点内に移動させることも、拠点内の武将を外に連れ出すことも可能。
ということは、徳川幕府軍は大坂を水路封鎖できないため強攻するしかないが、
こちらは水路を使って、兵を多く抱える武将と城内の武将を入れ替えれば無限に守り続けることが出来ることに!!
しかし、これまでなんで気づかなかったんだろう……
結局徳島奪取直後から大坂は徳川幕府に包囲されたが、上記テクニックを駆使して1617年7月から1620年5月までの約3年間
包囲に耐え続けた。上様お疲れ様でした。

分断された四国と紀伊半島のうち四国の方が敵兵力が少ないため、四国制圧に乗り出す。
海路とつながっているため強攻するしかない松山の攻略に手間がかかったものの
徳島奪取から1年半を経た1619年1月四国を完全制圧
そこから続いて九州へは軍船の建造に時間がかかるため、まずは紀伊半島に孤立する徳川義直、頼房兄弟らを攻撃。
この時点で豊臣家は25万石まで成長。一方徳川幕府は95万石。
真田信繁ら主力の兵力は2万5000、次の攻撃目標たる和歌山の徳川義直、頼房兄弟らは兵力4万5000……。
しかしこれまで買い集めた真田信繁に預けた鉄炮をフル活用して4万5000の敵を撃破、1619年3月和歌山を占領する。
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884 :873[sage]:2014/04/20(日) 06:36:11.80 ID:lo+ENPkf
しかしついにプレイ開始以来の快進撃を支えてきた太閤秀吉の遺産(であろう)大量の資金が底を尽き、
借金生活に入ったため緊縮財政に転換せざるを得なくなる。

また和歌山を奪取したことで思いもよらぬ問題が発生。
和歌山には徳川幕府軍の軍船約40隻があったのだが、和歌山が失陥し徳川幕府が大阪湾に軍港を持たなくなったため、
それらの軍船が四国松山と九州府内を繋ぐ水路に移動してしまった。
そのため、九州でこれまでぼけっとしていた黒田長政ら徳川幕府方2万5000がその軍船を使って四国松山へ攻撃を開始することに。

借金生活に入り、兵の増強も出来なくなった状況で二正面作戦は非常に辛いため、
これまで控えていた(というか久しぶりのプレイの為、その存在を忘れていたw)守備的な釣り出しを駆使することにする。
守備的な釣り出しとは、通常の釣り出しと違い敵の兵力が減少してもとどめを刺さず、しつこく釣り出しを繰り返し
敵兵をほぼ兵糧を消費しない兵20くらいまで減らしたのち、こちらは兵40くらいで出陣、包囲、移動、出陣を延々繰り返すことで
敵は後詰を出さないが、こちらも当該敵拠点を占領しないままにしておき、
その方面からの敵の侵攻を防ぐという(ややチートな)テクニックである
正しい?名称は知りませんw

そこで、水路とつながる四国松山が落とされると大変面倒なため、
和歌山から田辺に守備的な釣り出しを仕掛け、紀伊半島の徳川義直らの侵攻を防ぎ、真田信繁ら主力は松山の守備に当たらせる。
それから松山で軍船の建造を急ぎ、約1年後出来上がった軍船15隻を使い1620年2月真田信繁ら1万5000を府内に出陣させ、
黒田長政ら徳川幕府方2万5000を撃破、府内を包囲し、以降は長宗我部盛親らに松山から守備的釣り出しにより防御させた。

九州方面からの攻撃を防ぐことに成功したため、いよいよ主力を東に向ける。
新宮に籠る徳川義直ら約4万を真田信繁ら約3万で攻撃、自軍も大きく兵を減らしたが、紀伊半島の幕府方を壊滅させることに成功。
つづいて1620年5月約3年ぶりに大坂城の包囲を破る。
そのまま京都へ進撃し、主力の真田信繁らを東海道を東に進ませ、毛利勝永ら騎馬兵7000を中心とした軍は北陸方面に進出。
そのまま順調に東国を征服していき1622年5月江戸制圧に成功。
この時点で豊臣家95万石でランキング11位、徳川幕府は45万石あるものの兵力は激減しており、
討幕は時間の問題と云うことで本リプレイは終了ってことで。
でも九州はマニラから来たスペインに南半分を抑えられて、徳川幕府、豊臣家、スペインの三国時代になってるし
明は順調に強大化しているしで、このままプレイしてもまだまだ息を抜けない状況ではあるけれど

長文連投失礼しました。


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