- 【Nepheshel】Studio Til総合 2【ネフェシエル】
759 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2013/08/01(木) 04:57:41.17 ID:AZewSlas - Nepheshel公開から10年程
ついに企画・シナリオ担当のgezigezi氏がその真相を語ったようなので紹介 少し調べた人は分かったと思うけどネフェシエルの世界観はグノーシス主義を元ネタにしている。 これは中世に流行った悪魔学とかの根底でもある。グノーシスをものすごく簡単に説明をすると世界を創った創造主がおり、この創造主は邪悪で愚かな存在であり、彼が創った世界(つまり現世)も邪悪な世界である。 人間はこの悪の世界から脱出しなければならない、という話。 グノーシスに登場する邪悪な創造主はデミウルゴスと呼ばれており、他にもヤルダバオートとも呼ばれる。さらに続ければ旧約聖書に書かれた神(つまり一神教全般が信仰している神)は実はデミウルゴスのことであり偽の神だとされている。 ただし、ネフェシエルではグノーシスに若干オリジナルな解釈を付け加えたのでそれが混乱の元になったかもしれない。 ネフェシエルではデミウルゴスに人間的な性格づけしている。 これは聖書の創世記での人間は神の似姿として創造されたという記述が元ネタ。 つまり、人間と神はさほど違わないということ。 これは作中でとても重要な意味を持つ。 ところで、デミウルゴスが世界を創造したのだけど、その動機は何だったのだろう? グノーシスでは、デミウルゴスの世界創造の動機について人間を牢獄に留め置くためと解釈されているが、その程度の理由でこんな面倒な事をするだろうか? 私はデミウルゴスの世界創造の動機は自分自身を理解したかったのではないかと考えた。 省略したが人間は本質的に探究心があるというのがグノーシスの基本。 すると神≒人間なのだからデミウルゴスにそういう部分があってもおかしくはない。 デミウルゴスは箱庭を作り、その中に自分の劣化コピーである人間を住まわせた(劣化した部分はつまり、死ぬことである)。 それは人間の行動を観察して自分自身の本質を探ろうと思ったのだ。
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- 【Nepheshel】Studio Til総合 2【ネフェシエル】
760 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2013/08/01(木) 05:00:18.70 ID:AZewSlas - デミウルゴスは箱庭を作り、その中に自分の劣化コピーである人間を住まわせた(劣化した部分はつまり、死ぬことである)。
それは人間の行動を観察して自分自身の本質を探ろうと思ったのだ。 人間はデミウルゴスの創った世界の中で全く幸せではなかった。 これはデミウルゴスの創った世界の矛盾による部分もあったけど、人間が本質的に持っている邪悪な部分とか理不尽さによるところも大きい。 デミウルゴスはこの状況を改善するために魔神を世界に投入する。 これは人間の願望を叶えてくれる便利な神様を世界に出現させたのだ。 少なくともこれで人間は救われるとデミウルゴスは思っていた。 ところが、その結果は悲惨なものだった。 その辺りは作中で述べているが、人間の願望には矛盾が多く、実現しようとすれば破壊と混乱を招いた。 デミウルゴスはこの惨状にすっかり絶望してしまう。 なぜなら、人間というのはデミウルゴス自身のコピーであり、デミウルゴスは自分自身の醜い本性を見てしまったのだ。 絶望したデミウルゴスは自分の創った世界を人間もろとも抹消してしまおうと考える。 世界を最後の一辺まで破壊した時、デミウルゴスはあるゲームを思いつく。 それは人間の記憶を消去し、閉鎖された島に配置し悲惨な目に合わせる。 最深部にはラスボスとして自分が陣取る。 人間に生きる気力があれば誰かは辿り着くだろう。 人間が生きようとする力はすなわち、世界に対する肯定である。 デミウルゴスはそれが欲しかったのだ。 つまり、自分の創ったものが無駄ではなかったと誰かに言って欲しかった。 なお、裏設定ではあの島に連れて来られた人間は、世界の全てに絶望した事があるというものだった。 一度、世界の全てに絶望したような人間が、人生をやり直した時、世界を肯定できるかどうか試されていたのだ。 閉ざされた島では精神と物質の境界が曖昧になるので、特に下層の方ほど冒険者ごとに見ているものが違う。 あの世界では魂は循環しており、輪廻する。 キリスト教などに輪廻転生無いのだが、グノーシスにでは面白いことに輪廻転生のような考え方がある。 閉ざされた島では冒険者自身の過去に因縁のあるものが出現する。 閉ざされた島は地獄のイメージで作られている。 下に行けば行くほど暗く陰鬱な雰囲気が漂ってくる。 これはリトに対する試練であると同時にデミウルゴス自身の絶望を表している。 リト自身の魂もあの世界では様々な過ちを犯しており、生きるための苦悩も絶望も身にしみて知っている。 だからこそ、最後に彼が世界を肯定することに余計に意味があったのだ。 自分の壺を見つけるシーンがあるが、これはデミウルゴスが最初に人間をこの世界に放った時のゲートであり、デミウルゴスと人間がつながっていることを示している。
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- 【Nepheshel】Studio Til総合 2【ネフェシエル】
761 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2013/08/01(木) 05:01:19.20 ID:AZewSlas - 死の剣の素体はデミウルゴス自身が冒険者に与えた。
ただし、それを本来の姿にするには人間の力が必要であった。 要するに、デミウルゴスがやったのは間接的な自殺である。 なぜなら、「死」という属性を持っているのは人間の側だからである。 それをデミウルゴスに注入することでデミウルゴスは人間と同じように死ぬのだ。 リトは何も知らないのでデミウルゴスを、苦難に満ちた世界を創造した悪神だと思って手に掛ける。 そしてエンディングでリトは新しい創造神として世界を創り直すことになった。 エンディングで女神だった者が普通の人間になっているのは、前の世界で魔神の存在が悲惨な結果を招いたことに対する反省のせいである。 実はこれ以前にもデミウルゴスの世代交代は何回か行われていた。 オープニングで、世界は幾度目かの転機を迎えた、とあるのはそれを示している。 このゲームは新たな創造主が生まれるための試練だったのだ。 エンディングの段階で既にリトは全てを超越した存在となっており、普通の人間は存在を知覚することができないが、かつてリトとともに旅をした者には残滓のように記憶が残っており、彼の生み出した世界を肯定している。 ところで、ここまで読んでくれた人はあれ? と思うかもしれない。 ネフェシエルのデミウルゴスは悪神でも何でもない! 実は人と同じように人間に同情し苦悩する所がグノーシスの解釈とまるで違う。 さて、ここからがようやく本題なのだが、私は邪悪だとか不完全だとか愚かだとか蔑まれるデミウルゴスにゲーム製作者の姿を重ね合わせていた。 だから完全な悪役と解釈することができなかった。 ネフェシエルのデミウルゴスは元々は人間であり、自分を越えていく者をずっと待っていた。 そのために一芝居打ったというのがこのゲームでの役回りである。 ゲーム製作者は世界を創ることはできるが、それが完全なものであるとは限らない。 苦労して創りだしたゲームがクソゲーの謗りを受けることもある。 創造者が万能であらゆる人間を幸せにできるとは限らないのだ。 だがしかし、そういったゲームを前にして、創造する行為自体無駄だったのかと問われた時、我々は何と答えればよいのだろうか? グノーシスの邪悪な創造者というデミウルゴスの解釈は、自分で世界を創ったことのない人間の無責任な解釈だ。 人には創造する能力が備わっている。 世の不条理を嘆くよりは手を動かしたほうが早いこともあるのだ。 さらに言うなれば、理想のゲームが無ければ自分で作ってしまえという同人ゲームの精神を暗に肯定してみせたわけである。 ネフェシエルを元にしてイストワールなどが作られたことを思うと、私のデミウルゴスとしての役割は、少しだけ達成されたのかなと思っている。 そんな感じで、ネフェシエルのネタバレを終わる。 私の近況はと言えば、時間的な余裕がなく、以前ほどゲームの制作に関われなくなったのが悔しいところである。 しかし、機会があればまた何かやりたい。 いつになるかは分からないけれど。
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762 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2013/08/01(木) 05:02:57.88 ID:AZewSlas - 蛇足、10年以上前のメモを元に再現した大体の概要ですが、内容に矛盾点があったら笑って許してください。
時間が経ちすぎて制作した本人にも何だかよく分からなくなってるしw ネフェシエルの主人公の名前リトの語源はStudio TilのTilの逆読みである。 矢吹健太朗氏の漫画と関係は無いです。 改行ミスで読みにくかったらスマソ
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