- うみねこのなく頃に part122
796 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/08/12(火) 13:04:15 ID:ILsCq2/b - ネタバレ気にせず呑気にスレ読めるのも、明日くらいまでかなぁ。今のうちに書けること書いとこ。
色々考えたけど、最終的に俺は、【魔女幻想は真里亞のイマジネーション】って線で3話待ち。 この説で重要なのは3つあって、まず最初は『真里亞は真剣に真実を求めてそれを記している』ということ。 次に、『従ってあらゆる魔女幻想は、真里亞の元々の知識と、本編中に見聞きした物にトリガーを見出せる』ということ。 つまり、嘘をつく気が無いなら、真里亞による「記述」は、戦人の一人称パート(俺的には真実パート)のどこかに 「根拠=元ネタ」があるはずで、それをもとに色々突き止めていけるはずだ・・・という考察、あるいは期待。 そして最後に、『従って、うみねこの設定の一部は、本編の展開によって動的に決定される』ということ。 物語っていうのは普通、「設定」は開始前に固まり、「状態」が開始後の展開によって変わるもの。 でももし、六軒島の魔女幻想が真里亞の産物なら、「設定」の一部分が、開始後の展開によって作られることになる。 これは設定が「欠けている」のではなく・・・プログラマのセンスで言っていいなら、つまり設定固めが コンパイル時から実行時に移行しているということで、「動的設定」を持った作品だということになる。 俺は今の所、うみねこの一番の面白味を、勝手にここに見出して、勝手に期待している状態だ。 ・・・という説を採る立場としては、3話の事前情報を見ると、次のような想像をしてしまう。 まず肖像画だけど、たとえば真里亞が今まで、縁寿という存在をまったく知らなかったとしたら? 1-2話では知らないままだったのに対し、もし3話ではちょっとした話の流れで、戦人に妹がいるのだと知るとしたら? そしてその「来ていない縁寿」にベアトを見出すようなきっかけがあったとしたら・・・3話で暴れ回るベアトは、 断片的な情報(たとえば6歳という年齢を聞きそびれている)から生まれた真里亞の「脳内縁寿」かもしれない。 それからデップだけど、たとえば真里亞が今まで、源次の苗字である「呂ノ上」を知らなかったとしたら?(多分知らんだろう) そしてそれを3話でふと知ることになり、しかも2話同様、使用人に超常的な想像を向ける契機となる物を見聞きするとしたら? 最高の使用人であり金蔵の親友である源次に対して、72柱の悪魔ロノウェの関与を見出すかもしれない。 ミステリーとファンタジーの戦いというのは、つまり真里亞の関心の強弱が、殺人ごとに極端に分かれるということではないか。 1話は流れとして真里亞はあまり犯行現場には立ち入らず、2話では逆に立ち入りまくった。 3話では、立ち入らない殺人は厳然としてミステリー化する一方、立ち入る殺人には決定的に立ち入り、 しかも2話以上に強く「元ネタ」を仕入れまくっていて、飛び交う魔法が半端無いことになっているのではないか。 真面目に予想しているけど、同時に外れて欲しくもある(当たっちゃったらつまらない)という複雑な心境。 まぁ心配しなくても当たらないだろうけど。
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798 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/08/12(火) 13:09:10 ID:ILsCq2/b - >>797
期待
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808 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/08/12(火) 13:33:45 ID:ILsCq2/b - >>802
思念体云々は、理論というよりは、その上に作ったファンタジー的設定だと思うよ。 YU-NOは並列世界のモデルとしては、歴史と時間を分けてるところが特徴的だけど、 それ以外はオーソドックスだよね。そこはオーソドックスでいいトコだけど。
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813 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/08/12(火) 13:40:54 ID:ILsCq2/b - >>809
流れによるんじゃない? たとえば3話で作者が出てきたとしたら、それ自体はもちろん異様なことだけど、 6話とか7話で作者が犯人だとわかったときには、普通の反応が多いと思う。 でも、それまでまったく出ずに、いきなり真相を明かすときに作者が出てきたりしたら、それはw
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816 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/08/12(火) 13:44:43 ID:ILsCq2/b - >>814
料理人だから、本来なら刃物には一番縁がある人なんだよなぁ、郷田って。
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864 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/08/12(火) 19:26:31 ID:ILsCq2/b - >>860
どの場所でも同じこと言ってると思うよ。 うみねこのミステリとファンタジーを、「何だかんだでミステリなんでしょ?」とタカを括っていたり、 「ミステリか糞か」みたいなミステリ脳で先を待つのは、あまり推奨されないということだね。
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874 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/08/12(火) 19:41:21 ID:ILsCq2/b - >>872
ドラマやラジオで作品宣伝する時とか、本人がラジオにゲスト出演したりイベント出演する際に、 本人も含めたすべての人間が100%「ゼロナナ」って呼んでるのに、 それでもWikipediaのほうを信じる理由はたぶん無い。
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881 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/08/12(火) 19:51:42 ID:ILsCq2/b - >>878
ファンタジーが上位なの?
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883 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/08/12(火) 20:18:20 ID:ILsCq2/b - >>864でもちょっと触れたけど、現在のところ
ミステリ的なテイストと、ファンタジー的なテイストが敵対的に両方備わった作品があったら、 それは大抵「ミステリに着地することを期待されてしまう」し、「そうでなければ糞だ」みたいな声も、 「一部の過激派」で片付けるにはちょっと多すぎる割合で聴けるんだよね。 両者がただ並んでいるだけでは、明らかにミステリのほうが「強い」。そういう風潮。 映画の世界だと、そのへん割と成熟してるというか、受け手がもっと自由なんだけど。 うみねこも、本スレでは今でこそそれなりに大らかだけど、他の板でちょっとニュースが出たりすると、 「もう一度超常現象が出たら07thも終わりだな」みたいな声が、今でも結構見られるんだよね。 うみねこは、ミステリと断言していないどころか、逆にデモムービーでもインタビューでも 「ミステリではない」とまで言ってる。それでもそういう、「ミステリに着地しなければならない」 「ミステリが上位に来なければならない」という力が幅を利かせる。 ファンタジーサイドは消えて当たり前、そうでなければおかしい、という、一種の宗教的立場。 アンチファンタジーというのは、この思考(嗜好)のことだろう。 俺からしてみると、ハッキリいってそれは「ビョーキ」なんだけど(望むのが、ではなく、当然と思うことが)、 ともあれそういう力関係がある。 そこで本当の本当に「ファンタジーがタメを張る」ものを見てみたいという気持ちは、少なくとも俺の中にはあるなぁ。 まぁ>>796みたいなのを書くわけだから、俺も人間説に立ってはいるわけだけども、 最後の最後の本当に最後まで、ファンタジーには頑張ってもらいたいし、この作品は基本的には 「本当にファンタジーが勝つかもしれないと思いながら追う」ことで楽しくなるんじゃないかと思ってるからね。
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896 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/08/12(火) 22:13:04 ID:ILsCq2/b - >>893
うー自体が一種の詠唱かもしれないよ。ポイント制の。 17うー = 水野店長の色紙 200うー = 傷を治す 500うー = ホウキで空を飛ぶ みたいな。
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914 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/08/12(火) 22:48:35 ID:ILsCq2/b - でも信じがたいネタって、現状でどんなのがあるかなぁ。
キャラ設定的には、既に何でも起こりうる土壌ができてるし・・・。 ああ、演出的なことなら、あるかもしれないね。 急に戦人が実写になったら、さすがに仰け反らずにはいられないw
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