- ひぐらしのなく頃に part540
355 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/07/16(水) 01:19:44 ID:57O3HrMW - >>351
皆殺し編の梨花や圭一たちは、 大なり小なり以前の世界の過ちや教訓を反映した形で登場してたわけで、 つまりはシリーズ通しての一貫性を持った文脈上理想的な仲間たちだった それが結局は予定調和の終末作戦で幕を閉じた 読み手が、報われなかった梨花たちの先行きを案じるのが当然の文脈だ そして続く祭囃子・・・あろうことか梨花が黒幕の情報だけでなく皆殺しの記憶全体を失ってしまった もちろん圭一やレナ、詩音の記憶も失われている 羽入以外の誰もがあの皆殺し世界での奇跡や結束、顛末を覚えていない その羽入も黒幕鷹野という即物的な情報以外は皆殺し編を反映した立ち回りを見せてくれなかった これでは、どう繕ったところで皆殺しの梨花たちと祭囃子の梨花たちは完全に別人に見えてしまう 皆殺しで“あの”梨花たちに心酔した読み手としては、 やはり昭和58年の夏を乗り越えて欲しかったのは皆殺しの梨花たちだったわけで、 結果的には羽入が覚えていたから鷹野を倒せたしそれでいいじゃないか、と納得はできないわけだ 祭囃子はそういう意味で煮え切らないんだ >>353 羽入は祭囃子では活躍していないと思う 竜ちゃんにそういう意図があったとしたならそれは読み手に伝わっていない 賽殺しでリベンジしてくれた辺り、竜ちゃん自身もそれは分かってるんじゃなかろうか 赤坂にはもっと役割に見合った活躍を期待してた だからこそ物語の文脈を曲げてまで赤坂の活躍に拘ってほしくはなかったな 祭囃子は、そういう意味でも皆殺しまでのひぐらしの世界観から連続性が感じられず浮いてるように思える これも賽殺しでキッチリ演出を押さえてきたことから察するに、やっぱり竜ちゃん時間がなかったのかもしれない いつの日か、祭囃子とは異なる「ひぐらし最終章」を竜ちゃんの手で書いてほしいものだ
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359 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/07/16(水) 01:54:56 ID:57O3HrMW - >>357
そこがちゃんとメインで描かれていればそれで良かったんだがな 残念ながら祭囃子の演出の中でそうした部分は埋没している 確かに、よく目を凝らしてみれば皆やるべき“義務”は何らかの形でこなしているだろう だが、これまでの文脈に乗せてキチンと描かれていたのは地下祭具殿でのやり取りくらいで、 他は取って付けたような展開の中に散在してしまっている つまり文脈、文章の見せ方としての問題だ 鬼隠しから皆殺しまでの怒涛の展開を描いてきた竜ちゃんだったなら、 仮に文脈・世界観的見地で浮いてる最終章を描いたにしても、 そこは読み手を満足させてくれたはずだと思ってしまうんだ、どうしてもね 記憶だけが全てじゃないというのは確かにそうだが、 祭囃子の魅せ方では辻褄を合わせることはできても納得はできないんだ
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361 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/07/16(水) 02:12:57 ID:57O3HrMW - つまりこういうことだ・・・言い方は悪いが、
100年を生きて“私”と“梨花”を区別するような魔女の超越的見地からすれば、 自分や仲間たちが昭和58年を乗り越えることができればそれでいいのかもしれない 「梨花」や「圭一」や「沙都子」という名前の殻が幸福になってくれればそれで満足できるのかもしれない だが鬼隠しから皆殺しに掛けて、圭一や詩音、梨花に感情移入してきた身としては、 祭囃子は「圭一」や「詩音」や「梨花」という名前の殻だけが立ち回っていたように思えてしまう 演出の都合上、祭囃子では圭一や詩音の描写は少なく、 さらにその行動や描かれた方からも彼らへの感情移入は困難だ そしてさらに設定上も以前の世界との連続性がほとんどないとくれば、 そうした殻に宿るべき魂が不在だったように見えてしまうということだな ひぐらし全編を通して祭囃子だけ 竜ちゃん以外の誰かが作った二次創作に見えてしまうという感じかな
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369 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/07/16(水) 04:00:43 ID:57O3HrMW - >>363
その意味じゃOPの鷹野は良かったんだがな 本編鷹野にはいまいち連続性が感じ難いところではある 単純に本編鷹野の描写不足なのが原因だと思うが >>364 つまり、皆で惨劇に打ち勝とうとする意志が 祭囃子の本筋にちゃんと引き継がれたのだから ひぐらし全編を通して物語としての筋は通っているということか まぁ仮にそうだとしたら、それはそうだろう 例えばルールXやZが解明され物語の主題がルールYとの戦いに移行した以上、 今更あえてルールXやZを持ち出すのは蛇足というのは理解できる 仲間たちとの絆の描写も、祟り殺しから皆殺しに掛けて延々描写されてきたのだから 今更必要ないという意見も同じことかもしれない だが、それなら果たして祭囃子で描かれたのは何だったのか、と俺は悩んでしまうわけだ 祭囃子を理解し楽しんでいる人達に見えているものが俺に見えていないだけだとするなら、 一体それが何なのか読後二年経った今でも分からないことになる 結局、読み手の求めるものも様々ということか ひぐらしにはあくまで人の手によるサスペンスとしての完成度を求め、 超常的存在の介在を排除したがってた人達は祟り殺しのラストと皆殺しの冒頭で去っていった 残る主な層は、物語としてのひぐらしを楽しもうとする人達だろう 単純に犠牲を出さずに惨劇回避というテーマ性だけを求めるなら、 祭囃子で既存の登場人物を掘り下げるのはむしろ邪魔に成る可能性はある だが、俺は取って付けたようなトリッキーな展開で お茶を濁すかのようにテーマ性を語るようなことはして欲しくなかった 同じ結論を描くにしても、もっと地に足の着いた描き方はあるだろうに、な 記憶継承の有無は最もそれを如実に顕すものだが、いずれにしてもそうした焦点の一例に過ぎない その点、賽殺しはその辺、深いながらも簡潔な描写に成功していた、祭囃子でこそやってほしかったものだ
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374 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/07/16(水) 04:45:49 ID:57O3HrMW - >>370
祭囃子の主題を鷹野の意志の強さに求めるのは 確かにプロットの土台の指向としては正しいな だが、祭囃子本編での描き方ではそれが成功しているようには見えない OPの鷹野は正に神懸かっていた とくに「私の絶対の意志が絶対の未来を紡ぎ出す」「サイコロの目は私が決める」といった台詞は 明らかに皆殺しの梨花の対比として描かれていたので高揚したものだ さぁ、ここでいよいよ、「私は魂に刻み付ける、私は絶対忘れない」とまで誓った梨花との 意志比べ、サイコロの奪い合いが見れるのかと興奮も一塩だった それが蓋を開けてみれば梨花は記憶を失い羽入に尻を蹴られて初めて動き出す始末 皆殺しでの誓いも当人は何一つ覚えていない 対する鷹野も、鼻っ面を叩かれただけで子供のように駄々を捏ねながら自滅していくだけ それでも全体としてみれば確かに梨花と鷹野の戦いではあったのだが、 消沈気味の主役二人を差し置いて傍流の脇役が異様に派手な活躍をして 物語の見せ場を奪ってしまう さらに本来最も深く描かれるべき羽入の描写は消化不良のままご都合主義で終わってしまった >>372 俺は祭囃子は前述の理由で楽しめたものではなかった 勿論、独立したシーン毎にであれば素晴らしいシーンが満載だったのだが、 全体として、とくにひぐらし最終章として納得のいく出来ではなかった 梨花、鷹野、羽入の描写をもっと太く描くことで全てが変わっていただろうにな プレーヤーとの対決という言葉一つで作品のレベルまで落とされているにも感じる そういう意味では、竜ちゃんが祭囃子は解の一つだと念押ししてたのも、 執筆時間が足りなかったのではないかという心配にさせられたものだな まぁ竜ちゃんには竜ちゃんのスタンスがあるんだろうが、 皆殺しまでのひぐらしや賽殺しが素晴らしい出来だっただけに 祭囃子のスタンスには尚更納得がいかない それに、読み手からすれば原作者の作品こそが唯一のひぐらしだ 澪尽くしの完成度ではそれ以前の話になるが、 仮に澪尽くしの出来が良かったとしても、二次創作である以上受け入れられないものがある 竜ちゃんのカケラ紡ぎを引き合いに出した二次創作への煽りは却ってその傾向を強めた感はあるな
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426 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/07/16(水) 21:46:39 ID:57O3HrMW - >>387
俺は、竜ちゃんは祭囃子OPの鷹野編を書き終えたところまでは、 祭囃子本編で、皆殺しの記憶を継承した梨花と絶対の意志を誇示する鷹野の 最終決戦を描くつもりだったのだと思う というのも、先にも書いたが、祭囃子OPの鷹野は明らかに皆殺しの梨花との対比として描かれていた 「私の絶対の意志が絶対の未来を紡ぎ出す」「サイコロの目は私が決める」だからな サイコロ任せの自堕落魔女だった梨花、それでも最期に鉄の意志で記憶を持ち越そうとした梨花 鷹野の過去編は皆殺しのラストと完全に文脈が繋がっていた 誰の目にも鷹野、梨花ともにお互いに全身全霊を賭けて戦うことになるだろうと いやがおうにも期待させてれる流れじゃないか それだけに、文脈が断ち切られたかのような祭囃子本編で呆気に取られたのも無理はなかろう 祭囃子のOPと本編の間に何があったのか 話そのものだけ見れば、どちらとも取れないカケラ紡ぎが挿入されるわけだが、 果たしてその裏で竜ちゃんに何が起きていたかのかいなかったのか 俺は、上で言われてるようなファンの突き上げの有無・真偽などどうでもいい 竜ちゃん本人がどういう理屈・意図に基づいてあの祭囃子本編を描いたのかが気になる では、あくまで俺の推測に過ぎないが、OPの鷹野編を書き終えたそのままのノリで 竜ちゃんが祭囃子本編を書き上げていたとしたら、そこにはどんなテーマが描かれただろう? 俺には、皆殺しのテーマの後には賽殺しのテーマが来るのがシックリくると思う そしてそこから祭囃子のテーマに至るとすれば、それは文脈上も描写上も大団円だ つまり俺は、竜ちゃんは結局、梨花・羽入そして鷹野の三者が、 賽殺しのように自分の存在自体に疑問を持ち罪を認めた上で 敗者を出さないジジ抜きを選ぶことを本編の結論としたんじゃないかと思う
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440 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/07/16(水) 23:59:31 ID:57O3HrMW - まぁ疑問に思ったことは堂々と書くさ
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