- うみねこのなく頃に part111
151 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/06/20(金) 01:14:40 ID:tp9JHmzZ - >>137
そういう種類の「信じなさ」は、「俺達」とか言っちゃうほどここでは主流じゃないと思うけどな。
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154 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/06/20(金) 01:23:37 ID:tp9JHmzZ - >>142
ハンターハンターの「密室念魚」的な。
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171 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/06/20(金) 03:13:49 ID:tp9JHmzZ - >>165
あの場所に飾られている肖像画は変わらないのでは。
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172 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/06/20(金) 03:16:49 ID:tp9JHmzZ - >>170
まぁ、西村京太郎の読点よりはマシだろうけど、 確かに小説にすると(一度に複数行が目に入る仕様だと)目が突っかかるかもなぁ。
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272 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/06/20(金) 21:08:45 ID:tp9JHmzZ - 真相解明読本発売、を意識して自説書いたら長くなったんだけど、貼っていい?
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277 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/06/20(金) 21:19:18 ID:tp9JHmzZ - 考え切れてはいないんだけど、真相解明読本と張り合いたくてw書いてみた。
本のどこかと内容的にダブってたらごめん。 [1/6] うみねこの「本編」には、以下のような形で、少なくとも3種類の「シナリオ」があるんじゃないかと思ってる。 | 10月4-5日 | GG|BNBNBNBN.....|G B: 戦人のリアルタイム視点。すべて戦人から見た真実。 N: ノート片から再現された場面。真里亞が「本人的には真実のつもりで」書き残したもの。 G: 前話で黄金郷に到達した者の、10月4-5日の外の経験を、魔女幻想で彩ったもの。 別に黄金郷があるとかいう話じゃなく、前話をルーレットに見立てて人選する心情公開ドラマ(魔法付き)、みたいな感じ。 シナリオBとGについては特に説明することはないので、シナリオNについて。 いわゆる「何者かの創作・証言」というタイプの説だけど、このタイプは概要だけではもう飽きられてるんで、 これを使った細部の辻褄合わせを頑張ってみる。 たとえば、2話の夏妃の部屋の殺害シーンがああもマジカルなのは、その後のシーンで真里亞が見ることになる 「ドアの滅茶苦茶な汚れ」と「3人の死体」が、真里亞にそういう確信を持たせたから、ということになる。 つまり、「ドアと死体がああいう風だった」→「きっと魔女がこういうことをしたんだ!」というのが、本当の順序ってことだ。 同様に偽嘉音のシーンも、客間に戻った使用人達の「最初嘉音だと思ったがそうではなかった」という曖昧な報告を 脇で聞いていて、真里亞が「思いついた」ものということになる。別のことを聞いていたら、その内容になっていたのだろう。 夏妃のサソリの御守り、金蔵に頼まれた筆耕、といった描写も、真里亞の前で「一言だけ」話題に出ているので、 それによって「遡ってそれ絡みのシーンが作られた(書かれた)」可能性を考えても良いと思う。 地味なところでは、浜辺で碑文を辿々しくしか読めなかった(シナリオB)真里亞が予告状をスラスラ読めたのも、 予告状を読むシーンが三人称=シナリオNに入っていて、主観的なイメージだったからだろう。 要するに、魔女幻想を思い描く余地のある「結末」を真里亞が見聞きすると、真里亞はそこから想像を膨らませて、 自分がこうだと信じたいだけの「過程」を盲信し、ノートに書いてしまう・・・という流れだ。 我々はこうして生まれた「真里亞のエア回想」を、時系列に沿って、「戦人のリアル体験」と区別の無い形で 見せられているのではないか?
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279 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/06/20(金) 21:20:09 ID:tp9JHmzZ - [2/6]
こう考えると、どう捉えていいかわからなかった幾つかの事柄を、劇中に出てきた要素で説明できるようになる。 (1) なぜ1話と2話では、魔法描写の度合いがまるで違うのか? 二つの理由が考えられる。 一つは、2話の真里亞が「19人目」に出会ったから。もう一つは、真里亞が直に目撃した惨劇・・・つまり 「現場状況」と「死体」の数&苛烈さが、1話と2話で段違いだったからだ。 1話には、黄金蝶が集まって襲いかかる描写が二箇所あった。被害者は、ボイラー室の嘉音と、肖像画前の夏妃。 で、真里亞が1話で目にする「別の場所でやられた、さっきまで生きていた人間」も、ちょうどこの二人だったりする。 真里亞は薔薇倉庫には行っていないし、絵羽夫妻の死体は見ていない(廊下に居た)し、客間には自分自身が居た。 金蔵の死体(?)をじっと見つめていたけど、今回(1986年)は本人に会わなかったし、人相の判別が付かず 魔女的な演出が薄い焼死体だったこともあって、いくら眺めても特に金蔵の死の幻想には繋がらなかったのだろう。 死に際の状況について、真里亞に幻想の余地を与えた二人だけが、「意志を持った黄金蝶」と相対しているわけだ。 一方、2話の真里亞は1話とはまるで違って、結果的に嘉音以外の全ての死体と、殆どの現場を見ている。 しかもそれらの現場は、破壊的なドアの血糊があったり、密室密室密室の連続で極めて「魔女的」であったりし、 おまけに使用人達の曖昧で奇怪な「嘉音発言」まであった。1話と比較して、暴力的な幻想を広げるきっかけがありすぎる。 つまり、描写が激しいのは、真里亞が真里亞なりに「現場や証言との整合性を取った」結果なのではないか? ちなみに嘉音ブレードは、嘉音発言と、南條&熊沢の傷から真里亞が思い至ったもので、紗音シールドは 夏妃の部屋の惨状を見て、嘉音ブレードの応用で真里亞が発想したものだろう。 1話の嘉音が手にした鉈と、2話の嘉音が出したブレードの差が、そのまま真里亞の「使用人像」の違いだと思う。
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280 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/06/20(金) 21:20:34 ID:tp9JHmzZ - [3/6]
また、2話では「19人目」=肖像画の女に会っている。 真里亞からすれば「この人こそベアト」ってなもんだし、当然その後の殺人もすべて「彼女がやってるんだ」となるだろう。 おまけに他の人間達の間にも「19人目」の話は浸透していて、六軒島の共通認識だった。 だから2話は「実行者が描かれている」のではないか? それに対して、1話の真里亞には、魔女がハッキリ具現化し歩き回るという想像は無かったのだと思われる。 浜辺のシーンで、紗音から「見えないベアト」の噂を色々と聞かされ、それを魔女の証拠として当たり前のように 聞いていた感じからして、真里亞にとってベアトは本来、見えないのがデフォなんだろう。 それが19人目の共通認識化で「姿を現した」のが2話なら、つまり1話では、見えない設定が続行していたはずだ。 1話で嘉音や夏妃がベアトと対峙する描写の、「蝶が集まる肝心の所から具体性が消える」点も、その反映だろう。 むしろ、次の例を見る限り、「見えるようになる」ことこそ、1話の真里亞にとっての第九の晩だったフシがある。 > 「いずれ、お前のような、波長が全然合わない人の目にもベアトリーチェは見えるようになる。………もうじき、蘇るんだよ」 翌朝との整合性が取れていないことで多くの人から疑われている、2話の4日夜の礼拝堂の描写も、 「親達はみんな、ベアト(19人目のこと)を見た!」「次の朝、礼拝堂で死んでた!」「しかも、ニンゲンは誰も入れないのに!」 を組み合わせて、そこから安直に遡って作り上げた幻想だろう。 大人達の誰にも信じてもらえずに泣いてた、1話の真里亞には無かったモチベーションだ。
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281 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/06/20(金) 21:20:56 ID:tp9JHmzZ - [4/6]
(2) なぜ戦人は魔法を見ないのか? たぶん、考え方をスライドさせるべきなのだと思う。 これまでの諸説では、「戦人が居るシーンか・居ないシーンか」という分け方が主流で、戦人は魔法を見ない、 という仮定が多かったように思う。 でもこの説では、魔女幻想は「真里亞が真実と確信して書いた幻想」なので、つまり、次のようになる。 「魔法に出会うことが無いのは、戦人ではなく、(書き手の)真里亞である」 この前提でシナリオを読み返すと、「この辺りが、竜ちゃんの言う卑劣さかな?」というトラップ候補が幾つか見つかる。 例えば、ベアトがお菓子を復元するシーン。一見すると、魔法描写に真里亞が立ち会っているように思える。 これが真里亞の書いた内容なら、魔法が実在するか、真里亞は嘘も書くかのどちらかじゃないか・・・となりそうなものだが、 実はこの時、真里亞は目を瞑っている。なら、蝶が舞うことや、楼座の驚きは、真里亞のイメージなのだということになる。 つまり、真里亞は現実も嘘も書いてはいないことになる。現実だと信じていることを書いただけだ。 これは「本人は居たが、現象を知覚できない状態だったから"目撃談"ではない」というトラップになれる。 他には、楼座無双。あの場面で真里亞はハッキリ山羊頭や黄金蝶と関わっていて、今度は「見なかった」では済まされない。 でも、あそこは10月4-5日の外側・・・つまり今回の説では、シナリオNではなく、シナリオGの真里亞パートってことになる。 シナリオNの中で真里亞がオカルトに出会っているわけではない。つまり、ノートの中身ではない。 これは「物語に混入する虚構のタイプが複数(NとG)あって、一方を"他方の破綻"のように見せる」というトラップになれる。 これらによって、「魔法から離れた存在」を、戦人しか思いつけないようミスリードされているのではなかろうか?
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282 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/06/20(金) 21:21:21 ID:tp9JHmzZ - [5/6]
(3) では、なぜ戦人「も」魔法を見ないのか? ・・・と同時に、なぜ2話ラストでは魔女の宴に参加しているのか? 前述したように、うみねこは戦人の居る居ないで区分けされることが多いわけだけど、この「戦人が居るシーン」というのは、 往々にして「戦人の一人称パート」と同一視されがちだ。 でも、実際には「戦人の居る三人称パート」というものが、1話にも2話にもかなり登場している。 この説では、それらのパートはシナリオNの一部で、そこでの戦人はつまり「真里亞にとっての戦人」だ。 戦人が魔法を見ない理由はここにあるのではないかと思う。つまりこういうことだ。 シナリオBで戦人が魔法を見ないのは、「それが現実だから」である。 シナリオNで戦人が魔法を見ないのは、「魔法の才能が全く無い」と真里亞に思われている上、 真里亞と別行動を取ることが殆ど無いからである。 このうち、後者の縛りがなくなったのが、2話のラストなのではないか? 2話のラストで、戦人は泣きながら真里亞の目の前で魔女の存在を認めている。お前の勝ちだとベアトに叫び、 頼むから姿を現してくれと懇願までしている。 それを見て、真里亞が「この戦人になら、魔女が見える」と考えた、というのは、十分ありうる話だと思う。 また、あのラストは、2話の惨劇開始以降、初めて戦人と真里亞が別の部屋で過ごす時間でもあった。 つまり、戦人と魔法との相性を抜きにしても、戦人が魔法に出会う幻想を作る機会がずっと無かったことになる。 その機会が、ラストで初めて巡ってきただけ、という見方もできる。 そして実際、その辺りの戦人の描写・・・食堂で呑んでる場面から魔女の宴までの一連のシーンは、 源次の言葉を聞いて「酔いが吹っ飛ぶ」ところから、金蔵の部屋で「祖父さまの背中」を見るまでを除いて、 すべて三人称である。だからあれは、真里亞が書いたものなのだろう。その後、何かを見て。 ちなみに、この説に従う限り、「蝶」は存在する。戦人はシナリオBの最後でそれを見ている。集まって人型にはならないが。 そして「祖父さまの背中」と「祖父さまの向こう側に誰かいる」のも見ているが、前者が金蔵か否か、後者が誰かは不明だ。 前者が金蔵だとしても、一人称の範囲では一言も喋らないので、極端な話、防腐処理された古い死体でも不思議ではない。 また、23:59に礼拝堂でインゴットをかっさらう楼座親子の短い描写も、この説に従えば真実である。
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283 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/06/20(金) 21:21:48 ID:tp9JHmzZ - [6/6]
まとめに入るきっかけが無いので、強引にまとめ。 この説に従って考えると、うみねこという作品の肝は、物語の半分ほどを占める描写の設定が、 その話ごとに真里亞が仕入れるネタの違いで、ガラッと形を変えてしまうところにあるのだと思う。 ベアトの設定すら根本から変わる。「儀式が済むと姿を現す」のが1話で、「姿を現して儀式を進める」のが2話だ。 真里亞は魔術知識は一貫しているけど、六軒島の物事はどの本にも出ていない。事前にどう考えていようが、 現地で見聞きすることだけがソースだ。だから体験次第で、その内容が簡単に揺れてしまうのだろう。 逆に、些末なことが不変でありうる。たとえば七姉妹は、真里亞の昔からのイメージの流用だろうし、 六軒島滞在中に形を変えるきっかけがあるとも思えないから、恐らく全話通して、出る時は同じ設定で出るだろう。 ベアトの設定や、使用人の設定が変わるのに、七姉妹の設定が不変だろうというのは、凄い話だ。 「各話で違う展開をするが、どれも同じルールで動いている」というのが「なく頃に」シリーズの基本だけど、 今回は、その「ルール」を「設定」と混同していると、絡め取られてしまうんじゃないかと思う。 真里亞の体験が物語の半分を決めるなら、「設定の半分が、各話で変化する」というルールだってことだからだ。 突破口はやっぱり戦人の視点ってことになるけど、人称には注意が必要だ。 三人称になったら、戦人がどうのではなく、真里亞と同じものを見聞きしている人物を追いかけるのが大事だろう。 極端な話、戦人が気を利かせて真里亞の前で一切魔女を否定せず、しかも真里亞と別行動を取る話があったら、 戦人にも何が起きるかわかったものではない。戦人の「対魔能力」を信用しすぎる人は、そこで屈服する危険がある。 また、魔女幻想が出てきたら、そのシーンの元ネタが後から出てくるかもしれない、と身構えておくべきだろう。 2話でいうなら、「偽嘉音」の作った傷が、嘉音の武器を決めた、みたいなことが、これからも起きると思う。 以上。この説を踏まえて、3話でチェックしたいのは以下の項目。 (1) 真里亞がオカルト要素も死体も目撃しない殺人は、殺害の瞬間が描かれないか、あるいは地味なはず。 (2) 今度もやはり真里亞が10月4-5日の中で魔法を見ることは無いはず。 (3) 同様に、真里亞と一緒に居る人物も、真里亞が目を瞑ったりしない限り、魔法を見ることは無いはず。 (4) もし途中で真里亞が死ぬなら、そのシナリオには一切(最低でも死亡以降は)魔法が登場しないはず。 (5) セーラー服の立ち絵が過去絵羽や過去楼座なら、シナリオGの金蔵パートか源次パートとなるはず。 (6) 今回、できるだけ「現実的に」10月4-5日を説明する為にシナリオGを二日間から追い出したんだけど、 そのせいでサタンの「あんた、また私に殺されちゃうの?」とかのこじつけがあぶれたw 3話に良いネタ無いかな。
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- うみねこのなく頃に part111
284 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/06/20(金) 21:22:41 ID:tp9JHmzZ - おしまい。
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- うみねこのなく頃に part111
289 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/06/20(金) 21:39:38 ID:tp9JHmzZ - >>287
> ラムダデルタは鷹野の面影が一切無いから でも、面影がまったくないキャラを同じ声優が演じるから面白い、ってのもあると思う。 役作りからしてこんなにも違うのに、あえて地続きをアピールする配役ですか! みたいな。
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- うみねこのなく頃に part111
331 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/06/20(金) 23:56:00 ID:tp9JHmzZ - >>288
俺としては、真里亞が夏妃の部屋で抱いたのは、「戦ったかのような有様だ」って感想だけだと思ってる。 何かを見てシールドを連想したのではなく、紗音の人柄なども加味して、嘉音が攻撃なら紗音は防御、 くらいに発想した結果が、あの戦闘シーンなのではないかと。 男女の「能力者」が、それぞれ攻撃と防御を司っているというイメージは、非常に安直というか、 特に想像力を必要としない「設定」だと思うんだ。 実際、その安直さが、2話発表直後に巻き起こった「なんじゃこりゃ」って感想の一部を担ってたと思う。 嘉音がブレード出したあと、紗音がシールド出したのを見て、「よく考えたなぁ」とか感心した人は居ないはずw むしろ「子供が考えたみたいな組み合わせだなぁ」って思った人が多いのでは? だから俺は、まさにそのまま、六軒島に居た唯一の「子供」が、ブレードの後シールドを出したんだろう、って思った次第。
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- うみねこのなく頃に part111
332 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2008/06/20(金) 23:56:49 ID:tp9JHmzZ - >>306
実は正月に、シナリオBとGだけで構成された説を書いたことがある(うみねこwikiに貼られてる)。 だから順序としては一応、Gの多機能ぶりが気に入らなくて、あとからNを考えた、というのが正しくて、 Nに詰まってGを捻り出した・・・ってわけではない。 個人的には、うみねこは「二日間に何が起きたのか」について考える物語だという確固たる気持ちがあるんで、 その外側の時間が描写されていること自体に、どうしても「おまけ臭」というか、贅肉的な印象を持ってしまう。 何かこう、構造的な茶目っ気がそこにあってもおかしくないのではないか、って思っちゃうんだよね。 ただ、説として、Gが「取って付けたように見える」のは確かだと思う。自分でもそう思う。 だからここについては、正直「3話待ち」という感じ。 もし3話に登場する10月4-5日の外のパートが、金蔵・源次・真里亞とそのパートナー、という組み合わせだったら、 取って付けたような感じを引きずりつつも、とりあえず信憑性は増すだろう、みたいな期待。 逆にそこで全然違う人物がクローズアップされたら、一度崩して考え直さなくちゃいけないよね。
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