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オーバーテクナナシー
(強いAI)技術的特異点/シンギュラリティ96

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(強いAI)技術的特異点/シンギュラリティ96
462 :オーバーテクナナシー[]:2017/12/01(金) 18:19:57.87 ID:0fEerXhH
論理は言葉なのか

“人間は言葉で考える”
これはあちこちで言われる定説のようなものですが
子供の頃は、これに対して非常な抵抗がありました
同じように感じる人もおられるかもしれない
思考というのは言葉に限定されるようなものじゃなく、もっと広いものだ
言葉にできない“思い”はいっぱいある
と、そんな感覚というか確信があったわけです

ところがそこそこ歳をとって、浅知恵がついてまいりますと
言葉で表現できないようなものはそもそも思考ではない
それは単に上手く説明できない自分に対しての悶々とした気分にすぎないのだ
などと思うようになりました、いい加減なものです

しかし子供の頃に感じたあの確信は、果たしてそのままゴミ箱に捨ててよいものなのか
たとえば、計算はそれ自体、言葉なのか
それがもし言葉でないとするなら計算は思考ではないことになるが、そうなのか
(強いAI)技術的特異点/シンギュラリティ96
464 :オーバーテクナナシー[]:2017/12/01(金) 18:32:48.12 ID:0fEerXhH
不在への態度

たとえば、ぎっしりと未知の文字が書いてある石盤が見つかったとして
それが何を表現しているのか、現代の誰一人分からないとするなら
この文字列は何かを表現していると言えるだろうか

論理の実在を信じるなら
その意味を理解していた古代人がいたかもしれないこと
そのことを理解することは可能である

なぜなら、未知の記号の羅列そのものをいくら調べても、
それに意味があるのかないのかすら分からないが故に
記号の羅列は常に、それに意味があるかもしれない可能性を残してしまう
ゆえに現代の我々が知らない記号を使っていた古代人が存在したことは
まず間違いないこととして承認されることになる

過去に存在したこととして想起される何ものか、何ごとかが、いまここに存在しないことは
その何ものかを虚無として葬り去るための根拠としてははまるで足らないのである
ゆえに「いまここ」に根拠を求める独今論の類は、蛙の独り言にしかならない
「いまここ」は"一般化されない現象”ではあるが、世界の全てではないからである

論理を支える普遍、すなわち常在不変は時空を超えて存在しているようだが
残念ながらそれがどのようであるかについては分かりようがない
よって我々としては、論理学やら言語学やら数学やら物理学やら工学やら
哲学やら、によってそれに近づけるような錯覚を楽しむより外にやれることはない
(強いAI)技術的特異点/シンギュラリティ96
466 :オーバーテクナナシー[]:2017/12/01(金) 18:52:36.75 ID:0fEerXhH
量子力学は確率の力学です
しかし確率論ではありません
確率論は、「簡単で納得しやすい基本的な確率」を最初に決めてから論を展開する
虚構上の公理系のようなものです
一方で量子力学は、基本的な「変動する確率」の振る舞いを決定論的に計算する、という
なんとも妙竹林なしろものです

そもそも虚構でしかなかった確率が、それ自体の振る舞いを与えられ、
実体化しているわけです
そうして、むき出しの確率が成立します

空間も重力も、そもそも幽霊のようなものだったわけですが
似たような経緯で実体の地位を得たわけです

確率は未だ、その地位を得るまでには至っていないようです
『確率は一般化にほかならない』(ウィトゲンシュタイン)
(強いAI)技術的特異点/シンギュラリティ96
468 :オーバーテクナナシー[]:2017/12/01(金) 18:55:31.35 ID:0fEerXhH
真理と証明

フェルマーの最終定理は、わりと最近まで証明がなされていませんでした
ワイルズが証明するまでフェルマーの定理は真理ではなかったのか
「そう、真理ではなかった」とほざく“哲学者”も、世の中にはまあ多分いるわけですが
フェルマーの予想が偽であった時代など、太古から一瞬として存在しません
そもそも、証明したという事実が、れ以後はもちろん、それ以前にまで遡及して
真理を支える効力を持つものでなければ、証明の普遍性はゆらぎ
証明することの意義などなくなってしまうでしょう

そうすると、数論に於いても、まだその内容が予想されてもいない『真理』が存在しても良いし
まず間違いなく存在するわけです

しかし証明とは何でしょう


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