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オーバーテクナナシー
(強いAI)技術的特異点/シンギュラリティ67 [無断転載禁止]©2ch.net

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627 :オーバーテクナナシー[sage]:2017/04/21(金) 02:48:13.10 ID:C/SFbaYV
>>622
おー、俺もこれと一緒のこと考えてるんだよ。やっぱり議論展開はこうなるよね
(もちろん議論の中身はこの人の方が俺よりも余程スマートで賢いけれども)。
せいぜい超絶格差社会が立ち現れてその先は今の人間の都合なんか吹き飛ぶような
超絶知性の神々の世界みたいな話になってしまうぜという話。

他には人間一人一人が巨大な超高度知性のコネクトームの一部になるという議論もあるけど、
上の動画でもその問題にちらっと触れていたけれど、フェイスブックの新技術開発開始のニュースとか、
それも同じ問題で、自己同一性をきちんと確保するのは無理があるんじゃないかと思われる。
カーツワイル氏にしても齊藤氏にしても個人の人格は今まで通り問題なく確保されるんだと
何の根拠も提示しないままにあっけらかんと言ってのけるが、しかし、そうなるはずがない。
フェイスブックの話にしてもおそらくは配線直結というようなことではなくて、
いわばルーター・ファイヤーウォールで内外(自分と他人)の別をきちんと分けるような形になるはずだ。

自我・自己意識というものは物語の重心のようなものだとたとえばダニエル・デネットなんかは
そう主張しているけれど、こういった議論において脳を直接(?)繋いでおいて二元論(頭の中のホムンクルス)に
陥らずに自己同一性を保てるとは言えないのではなかろうか。
直接的に繋がった二人の思考はより思考パターンの強い方に重心が移動しつつ
病的混乱を呈しながらおよそ一つの人格への統合が始まるかもしれないのだ。
更に思考の直結を行った後、その切断はどうなるのであろうか。
直結度合いが高い程にまるで脳をむりやり引きちぎるような結果になるだろう。
人格が破綻したり情緒が著しく不安定化したりすることが予想される。
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628 :オーバーテクナナシー[sage]:2017/04/21(金) 02:55:38.86 ID:C/SFbaYV
>>627の続き
だからおそらくイーロン・マスク氏のところでは癲癇の治療をひとまずの目標にという話になっているのだろう。
病気の治療という公益のためということと、その特定の病気への対処が情緒の安定性を維持するための
安全装置・保安システムの足がかりになるとの戦略であろうと思われる。

カーツワイル氏は巨大なコネクトーム(人間)を形成するバクテリアをたとえに出していたが、
“擬似・擬人化”されたバクテリアは自我・自己意識は持ち合わせていない。
齊藤氏もシナプス細胞を例にするが個別のシナプス細胞も同様である。
これは有名なドーキンスの『利己的な遺伝子』の議論において同様の問題が指摘されているものだ。
遺伝子それ自体は擬似・擬人的に表現されようとも自我・自己意識を持っているわけではないということを
多くの人は気をつけていても勘違いしてしまいがちなのだと。
言語空間・概念空間におけるミームの扱いについても同様。

では擬似・擬人的ではない、擬人的である人とはなんであろうか。
あるいは擬人的ではないような、本当の人というのは存在し得るのか。
本当の人もまた擬人的であるというのが本当のところであるから、
便宜上、ひとまずは擬似・擬人的な場合と擬人的な場合とで区別をつけてはどうか。
そういった議論が昔からなされているのである。
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630 :オーバーテクナナシー[sage]:2017/04/21(金) 03:04:44.90 ID:C/SFbaYV
バクテリア同士はコミュニケーションをとらない。
擬似・擬人的にコミュニケーションをとっているかのように表現したとしても、
“本当の意味”でのコミュニケーションはとってはいないのだ。

個別のシナプス細胞も同様である。電気信号のやり取りはあるだろうがしかし、
それは本当の意味でのコミュニケーションではない。

本当の意味でのコミュニケーションとは信念の階層構造が最低でも3階層だったか、
これはかなり難解な議論の積み重ねによって根拠付けられているそうな。
たとえば、私はあなたが空腹であると知っているし、そのことをあなたも知っていると思っている。
これはかなり多重な信念構造になっているが、人間はごく普通に5階層とかそういったレベルでの
入れ子状の信念階層を瞬時に理解して会話をこなしているのだ。

こういったまとまりのある概念のやり取りにおいて、何らかの内外の別をなくし
たコミュニケーションというものが可能であると、そもそもその土台の部分から論じる必要がある。
そうでなければ、結局のところ内外の別が必要でありそれは多少なりとも形態が変化したところで、
今の言語コミュニケーションと基本はそう変わらないというようなことになるものと思われる。
フェイスブックの新開発の行方やいかに。
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631 :オーバーテクナナシー[sage]:2017/04/21(金) 03:13:53.90 ID:C/SFbaYV
志向性という概念にしろ言語の根底的翻訳の不可能性のテーゼにしろ、
昔から議論されているのは概念・意味内容というのは文脈に依存するものであり、
文脈というのは絶えず解釈を循環するところに見えてくるものであって、
解釈には物語りの重心となる自己意識・能動的主体性というものが必要になるのである。

そういった言語の意味論の未だ解き明かされない哲学の難題は、
単なる形而上の話で空理空論だから科学の現場には関係無いと思う人もいるかもしれないが、
言語的ではない思考の融合(???融合ではないなら何だろう)を現実的に行うとなれば、
そういったことを考察しないわけにはいかない。
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632 :オーバーテクナナシー[sage]:2017/04/21(金) 03:23:43.58 ID:C/SFbaYV
そうしてコミュニケーションの何たるかということに人間中心主義がついてまわることになる。
この人間中心主義が非常に重要だ。

たとえば>>622の動画においてハリス氏は人間を蟻にたとえており、
蟻からは超高度知性(人間)のコミュニケーションや振る舞いの動機・意図の何たるかは、
その意味するところはさっぱり分けが分からないということになるという話があった。
この話が結局のところ人間中心主義の意味するところなのだ。

チューリングテストの本質も同様。
人間の様な、人間レベルの、その範疇においての知性を人間は本当の知性として理解できる。
そこに至らない「単なる」入出力(壁にボールをぶつけて返ってくることを本当の会話とは言わない)も、
そこを大きく超越してしまった超高度な「やりとり(本当にそうなのかどうやって確かめることができるのか)」も
本当のコミュニケーションと呼ぶことはできないだろう。

今の人間に都合が良い形でそれこそ線形予想の内容でいかにも人間的な欲を満たしてくれる、
今の人間にとても優しい今の人間のためのユートピアが云々というような議論は
あまりにもナイーブにすぎるのだ。
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634 :オーバーテクナナシー[sage]:2017/04/21(金) 03:44:02.89 ID:C/SFbaYV
「生の概念」というとものすごく語弊があるのだけれど、思考と世界の同化とか、
生体と物体の別をなくすとか、脳を直結するというようなことで何が想定されるのかは、
TEDで言うと、誰だっけ、マジシャンで水中にずーっといた人の話とか、
脳梗塞か何かで自我が崩壊する瞬間を強烈に体験した女の人の話とか、
あるいはTEDでなくても瞑想や薬物による宗教体験その他がとても大きな示唆を与えてくれる。

どれも大概、ものすごく大きな情緒的衝撃を与えるものである。
TEDの例ではどちらも講演しながら涙を流しているのが印象的だ。
それほどに想い出すだけでも本人のみならず講演を聴いている人も心を揺さぶられる内容・
体験なのだ。

それを科学技術で実現しようというのが脳の直結(他人や強いAIとの)の新技術なのだ。
この強烈な共感体験や同化体験というものを安定的に行うにはそれ相応の強烈な鎮静作用が
必要になるであろうことが強く強く示唆されているのである。
だからこそのイーロン・マスク氏のところの癲癇対応が最初の目標ということだろうと、
まぁ、これは個人的に勝手にそう推測しているにすぎないけれど、おそらくはそういう戦略なのだろう。

自己同一性の確保や情緒の安定その他、上記のようなことは問題のほんのごくごく一部にすぎない。
であるから、おそらくは穏当なところで入力がより直接的に速くなるというような範疇での、
今までの言語コミュニケーションの多少なりの拡張というような形で、
自分と他人を分ける機器をきちんと確保してそれを挟んだ通信ということになるはずである。
そういう点で有名なSF漫画・アニメの攻殻機動隊の描写はよくできているよね。
防壁だか脳壁だか、そういうものが必要だし、それを超えて思考の同化をとなると、
人格融合が起こってしまったり意識混濁・昏睡から抜けられなくなるというような問題提起は、
なかなか示唆的でよくできているなぁと。
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636 :オーバーテクナナシー[sage]:2017/04/21(金) 04:01:13.39 ID:C/SFbaYV
他には特定概念を“意味する(!!!この点は非常に非常に非常に重要、意味する)”何らかの
脳活動のパターンなり信号なりを拾うこと自体が言語化(言語翻訳)ではないのかということも
考察すべきだろう。

思考の概念(シニフィエ)を把握するというが、無意識的なデーモンのざわめきも含めて
(たとえばダニエル・デネットは万魔殿・パンデモニウムという比喩を用いているが)、
概念を概念として取りまとめ取り出すその手法がもう既にして言語翻訳ではないと
どうして言えるのだろうか。もし仮にあまりにも「生」のままの信号を直接的に他者の脳と
相互に流し合うようなことをしてしまえば、自己の思考と他者の思考の区別がまったくつかなくなって
(あるいはつくならどのようにして?頭の中のホムンクルスがそう判断するとでもいうのか?と、
二元論の話になってしまうだろう)人格の統合なり意識の混濁なり、およそ大変な混乱が起こると
想定するのが妥当であろう。

シニフィアン(形式媒体)である言語を介さないがしかし、信号なりなんなりのシニフィエ(意味内容)を
伝達するという議論には大いに注意が必要である。意味するとは何かについてという性質を帯びることであり、
それは志向性と呼ばれる言語の意味論の根底をなすものである。
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742 :オーバーテクナナシー[sage]:2017/04/21(金) 20:51:42.71 ID:C/SFbaYV
>>712
意識があるようにしか見えないのに実際には意識を持っていないということが
そもそも成り立つのかどうか。これは昔から哲学的ゾンビという形で議論されていることだよ。
哲学的ゾンビ、魂だけ死んじゃったけど外から行動を見るかぎりどう見ても普通にしか見えないゾンビ。
そんなものは存在し得るのか。魂ってなんじゃい!という議論。

意識があるようにしか見えないのだったら、それはもう社会的には人なんだよ。
生体と機械の区別があるとか生まれた由来によるとか、生物学的分類も重要だけど、
そこに拘りすぎると生体由来でも人工的な体外受精はどうなるのかとか、
生殖能力を失った人はどうなるのかとか、いろいろ問題が出てきてしまうから、
肉体の素材が何であれ、生まれの由来がどうであれ、意識があるようにしか見えないなら、
それはもう人として扱わなければならない。

人は他人とコミュニケーションを図るときに、そもそも本当の本当に相手は「魂」を持った人なのか、
確かめてからじゃないと話もできないなんてことはない。通常、ひとまずは意識があるように見えるなぁと、
謂わば“擬人的”に相手を見て、うまく会話が成立したらしたでそのまま会話を続けるということをしている。
本当に擬人的な話が通用する相手と、擬人的に見る・扱うがしかし本当にそのままでは通用しない何か
(つまり擬似・擬人的)なものを区別しているにすぎない。

これはたとえばクワインが提示した根底的翻訳の不可能性のテーゼの話と重なってくる。
厳密に絶対的に突きあわせて解答となるような形で異なる言語の翻訳をできるのだろうか、
否、それはできない。事実上の解釈というものがどうしても不可欠であって、
解釈の余地のないような、つまり文脈に依存した相互解釈循環ではないような形の
根底的翻訳というものはできないだろうという話。
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744 :オーバーテクナナシー[sage]:2017/04/21(金) 20:57:41.23 ID:C/SFbaYV
>>742の続き
>人間より圧倒的に知的に優れた

人間よりも圧倒的に優れた知性をどのようにして人間は知り得るのか。
人智を超えたものをもしも理解できる推し量れるなら、それは人智の範疇なのではないか。
フォン・ノイマン(IQの計測法によるとは言え、この人は300オーバーだとか、
本当は火星人だとか言われてるんだそうだよ)その他、十数才で超一流大学の教授になったり、
そんなぶっ飛んだ知性の人でも、やはり人間の範疇にすぎない。

蟻やバクテリアの気持ちになって(蟻やバクテリアは自己意識なんてないけど)、
人間の意図を想像できるだろうかというような、一個人の行為も蟻やバクテリアにとってもは
意図不明な自然法則のように思えるのではないか。

そうして“本当”のコミュニケーションや“本当”の知性として人が把握できるのは、
本来的に人間的なものだけであろうという人間中心主義がついてまわることになる。
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750 :オーバーテクナナシー[sage]:2017/04/21(金) 21:07:15.31 ID:C/SFbaYV
意識があるようにしか見えないなら社会的にはもはや本当の人なのだ。

仮にこの考えが正しいなら、この倫理観が正しいなら、
強いAIの扱いがとてもやっかいなことになってくる。

未来のスパコン上でソフトを走らせて強いAI稼動中。
それは社会的な人の誕生・活動を意味するから、いやいやバーチャルな仮想人だしとか言って
ソフトを停止したり電源を落としたりできないことになる。
コピペでポンポン増やすのも問題だし、それをポンポン消すのはもはや殺人・殺戮というようなことに。

仮想が仮想でなくなる未来というのは、特に人の実存が脅かされるという大問題を孕んでいる。
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754 :オーバーテクナナシー[sage]:2017/04/21(金) 21:35:17.29 ID:C/SFbaYV
>>752
完全な理解というような話はそもそもしていない。
だから本当のコミュニケーションであってもそれは擬似・擬人的なものに“すぎない”。

地球はものを考えているかもしれないし、小石も物を考えているかもしれない。
既にエポック6に達した人類以外の超知性体の知性が我々の周辺を覆っているのかもしれない。
ではそれをどうやって確かめるのかという話。
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756 :オーバーテクナナシー[sage]:2017/04/21(金) 21:41:38.54 ID:C/SFbaYV
>>754
訂正
×擬似・擬人的→擬人的
だから本当のコミュニケーションであってもそれは擬人的なものに“すぎない”。

そもそも言語からして根底的な翻訳は不可能なのだから、可能だという発見がなされたら
それはもう大変なことだよ。意味論の難題が解けましたというのはとんでもない話で
世界的大ニュースになるだろうね。
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757 :オーバーテクナナシー[sage]:2017/04/21(金) 21:47:05.99 ID:C/SFbaYV
>>755
意識の定義にもよるよね。
周囲の状況を模倣した情報を保持しているということなら、各種センサー機器にだって
今現在でも意識があると言えるだろうし、神経系のみならず単なる反射的反応だけでも、
周囲の状況を模倣した情報の刹那の保持なのだと言えなくもない。

しかしそれはボールを壁に当てたらはね返ってきたから壁と会話できているのさと言うのと
同じことになってしまうから、自己と他者の別があって自分の状況・内省や外部状況の認識等々、
そういったことが意識だということになるはずだよ。

厳密に定義できるようなものではないけど、ある程度は定義付けが必要だね。
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758 :オーバーテクナナシー[sage]:2017/04/21(金) 21:58:11.57 ID:C/SFbaYV
バクテリアや蟻が言語文化を有しているというのはなかなかぶっ飛んだ考えだね。

そうなるとDNAはどうなるのだろうか。暗号としての機能があるからそこには意味論の萌芽を
見出すことができるとも言えるけれど、それはあくまでも擬似・擬人的な表現であって、
高分子化合物のアデニン・シトシン・チミン・グアシンの構造的・化学的特性による組み合わせが
本当の「会話」であるとするのは無理がある。

しかしこういったものは連続的な問題で、ではどんどん複雑性が増していったらどうなのかと。
哲学的ゾンビはそういう話のいきつく先だね。

人間もまた機械に“すぎない”のだ。
あるいは「魂」的な何かがあるのだ。それがなければ本物の人間ではない。

バクテリアや蟻は本当は言語文化を有している(だって翻訳できるという話だよね)というのは、
魂的な何かを信じているのと何が違うのだろうか。
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762 :オーバーテクナナシー[sage]:2017/04/21(金) 22:08:18.07 ID:C/SFbaYV
>>760
そんなこと言い出したらすでに今のコンピューターソフトは相当なまでに
「社会性」(かっこつきですよ、本当の意味では違うということです)のある存在を生み出しているし、
蟻の社会のシミュレーションでもいいし、ゲームの話でもいいし、
そういった仮想「人」なり仮想「生物」も本当の感情を持っているんだというような話になってしまうだろう。

多少なりとも意識を持っているし社会性もあるし感情もある。
そんな仮想人をたくさんたくさんコピーしては増やして遊んでは消してと、
今既にそんなことをしているとなったら倫理的に相当に問題が出てくるだろう
(それは擬似・擬人的なものにすぎないという立場からしたらそこまで問題にはならないけれども)。
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764 :オーバーテクナナシー[sage]:2017/04/21(金) 22:15:11.63 ID:C/SFbaYV
>>761
遺伝子でも同じことが言えてしまうよ。磁石だってそういう想像をしたらそう言えなくもない。
生物の求愛行動だからとか雌雄の別が必ず必要だとか本当に「エロ」にそれが必要かどうなのか。
いろんな趣味のいろんな擬人化が溢れてるから。
たとえ話としては分かりやすいけどね、昆虫が「やべぇ、俺興奮してきちゃった」とかって求愛してるのは、
擬似・擬人的にはいいけども。

人形やおもちゃに魂が入ってるんだと言って家族にように接する人もいるし、
自分の指を友達に見立てて(指人形はめているような感じで)話しかける人もいる。
空を眺めてそう思う人もいる。そこの空気にも意識があるかもしれないとか、
コミュニケーションのある程度の複雑さとか、意味情報・信念・概念の保有とか、
そういうことをはもうちょっと複雑性を持たせて考慮すべきだよ。
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767 :オーバーテクナナシー[sage]:2017/04/21(金) 22:22:50.21 ID:C/SFbaYV
>>761
こういった擬似・擬人化の話で特に問題になるのは、「俺は○○だ」というような表現だね。
これは自己意識・自我である「俺」が「○○」という何かについて意味する(何かに向かう志向する)信念を
持っているということだから。

擬似・擬人的なものにすぎないというならいいのだけれど、これが本当にそういう信念を持っているのだとなれば、
社会的に立派な人だというようなことになってしまう。

そうして考えてみると、昔から哲学の難題としてずーっと解明されていないように、
自己意識・自我というのは相当わけのわからない循環的な解釈の何かの中心のような重心のような、
なんだかもどかしいものだということになって、たとえば有名なホフスタッターのGEBはそれを
本に書いたらすごく分厚いのができましたということだね。自己・自己言及について、
『ゲーデル・エッシャー・バッハ、あるいは不思議の環』。
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768 :オーバーテクナナシー[sage]:2017/04/21(金) 22:26:37.52 ID:C/SFbaYV
>>766
単に時代がそうだと言うだけならなんとでも言えてしまうよ。
汎神論的に万物に神(心・意識を有するというような含意で)は宿るのだといえば、
地球から小石までなんでも意識があるということに。多様な文化を俯瞰すれば、
それこそあらゆるものがあらゆる文化的理由で擬似・擬人化されているだろう。

そうすると意識はどこにでもなんにでもあるということになるだろうし、
それはもはや「魂」の議論だね。
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769 :オーバーテクナナシー[sage]:2017/04/21(金) 22:27:42.69 ID:C/SFbaYV
幽霊の話と言った方がいいのかな。

意識と言っているけれどそういった議論は幽霊に置き換えても同じだろう。
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772 :オーバーテクナナシー[sage]:2017/04/21(金) 22:37:05.05 ID:C/SFbaYV
>>771
昆虫はよりロボット的な生物だとか、そういうことを否定するものではないし、
逆に複雑なロボットはより生物的だとか、それは納得がいく話。

そして意識の定義にもよるけれど、そういったものがある種の単純な神経系を有している等々、
そういう話も否定するものではない。

しかし、たとばルンバや蟻やバクテリアが言語文化を持っていて、我々は知らないだけで
高度な知性が将来それを翻訳できるようになるのだとかそんなところまで話がいったら、
いやいやそれは幽霊を見てるのと同じようなものだよと。

あるいは昆虫の求愛行動を見て「俺の超好みの異性がいるじゃん!うっひょー!」と、
本当にそれと同じような内容の意識を持ってるはずだもん!と、擬似・擬人化を超えて
仮にそう言うなら、それは幽霊を見てるのと同じようなものだよと。

そういう話です。
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775 :オーバーテクナナシー[sage]:2017/04/21(金) 22:50:33.52 ID:C/SFbaYV
まぁ、そりゃこうして俺なんかが2chでレスしてるのは
ハエがうんこ見て喜んでるようなものかもしれないけど、
同じ思考回路と言われると困っちゃうなw

たとえば蚊も血を吸ったら「はぁー、お腹いっぱいやわぁ、血すいすぎてしんどいわぁ、
どこぞに可愛い子とかおらんかなぁ、プーーーン!」と本当にそう思ってるんだろうね。

パチンと殺したりしたら「うげぇぇーー、超痛いんですけどー、死んじゃう内臓出てるし、
たすけてーーーー」とか、それはもう本当にそう思ってるんだろうね。

夢があっていいと思います!
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776 :オーバーテクナナシー[sage]:2017/04/21(金) 22:52:22.79 ID:C/SFbaYV
血を吸うのはメスだっけ?まぁ、どうでもいいかw
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779 :オーバーテクナナシー[sage]:2017/04/21(金) 23:11:34.35 ID:C/SFbaYV
>>778
犬やゴリラに「心の萌芽」のようなものがとか、高度な意識的なものがとか
(詳細な議論を避けて曖昧な言い回しをしているわけだけど)、そういう議論なら
まだ分からないでもないんだけど、DNAの重複からハエも「楽しい」という信念なり意識を
持っているというのはあまりにも話が飛躍しすぎだよ。

猿とかでもこういう話はともて難しくて、たとえば猿が群れに危険を知らせるために
ギャーギャーと吠えた場合、群れは危険を知って逃げるのか、それともギャーギャーという
特定の音声を嫌って逃げるだけで、危険に類する概念は持ち合わせていないのかとか、
こういうのは考える程によくわからなくなるんだよ。それで専門家の間でも相当に議論が
重ねられて、信念を保持するとはどういうことなのかとか、“本当”のコミュニケーションとはと、
そういう話になるというのが上の方で提示したレス。

繰り返しになるけれど単に意識と言うだけならそれは広範な意味があるからいいにしても
(いいのかな?)、バクテリアが言語文化を持っているようというな話はいくらなんでも
意識という概念を好きに拡張しすぎだろうと。それは想像の余地を広げすぎで、
そこまで好きに言い出したら何でもありになってしまう。

だから幽霊を見ているようなものという話になってしまうと指摘しているわけ。
あるいは既に弱いAIは弱くなくて強いAIなんだと主張しているようなことにもなってくる。


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