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991 :名無しに人種はない@実況はサッカーch[sage]:2010/11/04(木) 00:09:02 ID:9yYjooJiP - 次スレ
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/football/1278212056/l50 こっちの埋めよろしくな
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19 :テンプレ2[sage]:2010/11/04(木) 07:45:27 ID:9yYjooJiP - >>18の続き
〜2000年代前半〜 2001-2002シーズン以降はミランとユーヴェがタイトルを独占するようになっていく。 モッジは時にその強引な手腕が批判を集めたが、ユヴェントスはもとよりイタリアサッカー界に絶大な権力を発揮し、その裏で組織的に審判(主審、副審)を買収、脅迫し、 自チームに有利な判定を行うよう指示していた。特に、反モッジ派のクラブに対しては不利な判定を行うようになり, 2004-2005シーズンのフィオレンティーナのように残留争いに巻き込まれるクラブも少なくなかった。 セリエAの多くの選手と契約していた、スポーツの代理人業務をマネジメントする「GEAワールド」のオーナーが、息子のアレッサンドロ・モッジであることから、 セリエAの複数のクラブに影響力を発揮していのは公然と知られた事実である。 2006年には、当時イタリア代表監督を務めたマルチェロ・リッピの弟がこの会社に所属していたことから、 代表選考に圧力がかけられたのではないかと言われていたが、モッジおよびリッピは共にこれを否定した。また、複数の移籍に関しても疑惑が取りざたされていた。 ドーピング疑惑も浮上したことがある。 〜スキャンダル発覚〜 2005年頃から多くの不正疑惑が浮上するようになる。 2006年4月、2004-2005シーズンの審判選出に関してイタリアサッカー連盟 (FIGC) に圧力をかけることで、ユヴェントスに有利な判定を引き出したことや、 他チームの試合結果を操作したことなどが盗聴により明るみにでた。これはイタリアサッカー界を揺るがす大スキャンダルへと発展し、 選手の自宅も含めた家宅捜索が頻繁に行われた。2005-2006シーズン終了後、ルチアーノ・モッジやアントニオ・ジラウドら主犯格とされた人物が次々と辞任し、 フランコ・カッラーロやトゥッリオ・ラネーゼをはじめとしたFIGC関係者、AIA関係者、審判員が次々にイタリアサッカー界から去っていった。
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21 :テンプレ4[sage]:2010/11/04(木) 07:47:12 ID:9yYjooJiP - 【“蟻の一穴”フィーゴ、カルチョ・スキャンダルを語る】
http://sports.livedoor.com/article/detail-3644051.html 05−06季開幕前にレアル・マドリーからインテルに電撃移籍を果たしたルイス・フィーゴ(33)が波乱万丈に満ちたセリエA一年目を振り返った。 4日付のガゼッタ・デッロ・スポルト紙の特集インタビューに応じたフィーゴは「ようやくスキャンダル判決が下された。 真のスポーツ界からかけ離れたスキャンダルが暴露され、今後は同じ轍を踏まない為にも真実を追究する姿勢が必要だ」と語った。 セリエA初年度を好発進したフィーゴに2月12日、突然カルチョの闇が襲った。頂上対決ユベントス戦に敗れたフィーゴは試合後、 ユベントスGMモッジ(当時)に対し「モッジが試合前、審判の更衣室で何をしていたか教えてもらいたい。 彼がどうしてカルチョ界のオーナーの様に振舞うのか理解不能。他国で彼の様な態度の人間には出会ったことがない」と審判との癒着を痛烈に批判した。 この発言がモッジの逆鱗に触れ「フィーゴの発言は事実無根、聞き流すことは出来ない」として14日、フィーゴはモッジ率いるユベントス側から FIGC(イタリアサッカー協会)に告訴される辛酸を嘗めた。 全国区人気のユベントスB降格(4日現在)に「サポーター、選手達、クラブにとっては厳しい現実。一部の人間のミスにより、彼らまで被害をこうむった事は残念だ」 と同情するフィーゴ。一選手として前例がない勇気あるモッジ批判が世論を巻き込み、闇の城砦を崩す現場からの初手となった。「今後はピッチ上だけで勝敗が決まる」 と笑顔で締めくくったフィーゴ、セリエA2年目は誰からも邪魔される事はない。 2006年08月05日 08時20分
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23 :テンプレ6[sage]:2010/11/04(木) 07:48:55 ID:9yYjooJiP - 【20年以上も実力で勝っていないユベントス】
ユベントスの最後のセリエA制覇がいつかご存知だろうか? 05-06?ふむ、君は往生際が悪いタイプだね。02-03?ふむ、君はなにも知らないんだね。 実はトラパットーニ政権下の85-86シーズンにさかのぼるのだ。 プラティニや、カブリーニ、シレアなどが所属していた頃だ。その後は凋落の一途を辿る。 サッキのミラン、インテルをはじめナポリやサンプドリアにも優勝を浚われ続け、醜態を晒す。 そこでご存知ルチアーノ・モッジを94年に雇い入れるわけだが、この暗黒面の男が 最初に手を付けたのがドーピングによる戦力増強だった。 ※補足 ttp://number.goo.ne.jp/soccer/world/serie_a/20041207.html ttp://www.tifosissimo.8m.com/blog/B1848614205/C699914641/E20080222001216/index.html これによりユベントスは、3回のスクデットとチャンピオンズリーグ優勝を掠め取ることに成功した。 ゼーマンに暴露された98年以降またタイトルから遠ざかるあたり、いかに薬の効果があったかを良く示している。 この間ミラン・ローマ勢相手に苦杯を舐めた犯罪者軍団は、以前より進めていた新戦略の拡大に乗り出す。 審判の買収によるリーグの試合操作だ。数人の審判買収は以前から行われていたが、 ドーピング無しではあまりにもユベントスが弱く、それだけでは上位に立つことができなくなってしまった。 業を煮やしたモッジら首脳は、組織的に審判団を買収し犯罪者集団へと変貌させる。 ユベントスに有利な判定はもちろん、順位を争うミラン・インテルへの不当な判定、 有力選手の移籍に了承しなかったプロビンチアを降格させるなど。 結果として、その後5年間でユベントスは4度リーグ制覇するという異常事態となる。 06年2月のルイス・フィーゴによる告発、それと前後する通話記録調査からそれらが暴露されたことについては 説明する必要もないだろう。 いずれにせよ、メキシコワールドカップの年以来ユベントスがセリエAで獲得したタイトルは一つもない。 ある意味呪われたクラブといえるのではないだろうか。 (2008年04月27日)
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25 :テンプレ8[age]:2010/11/04(木) 07:50:37 ID:9yYjooJiP - 八百長「カルチョ・スキャンダル」
http://www.soccer-futsal.com/main/other/other16.html
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- 痛いバルサオタの発言を晒すスレ part2
421 :名無しに人種はない@実況はサッカーch[]:2010/11/04(木) 07:53:18 ID:9yYjooJiP - 「頼むバルサ」のインテル戦の直前に
『インテルの選手に、サッカー選手になった事を後悔させてやる!』ってカメラの前に言った奴がいたよね?
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