- 【東京】未明のメトロ駅、ホームドア41個を一気に設置 九段下駅[10/01]©2ch.net
1 :のっぺらー ★ 転載ダメ©2ch.net[ageteoff]:2017/10/01(日) 10:22:44.25 ID:CAP_USER - 東京メトロは30日未明、転落を防止するホームドアの設置作業を、
報道陣向けに初めて公開した。 同社は、2025年度中に全9路線の179駅全てにホームドアを設置する方針で、 30日現在、89駅に設置している。 30日にドアが設置されたのは、終電後、利用客がいなくなった東西線九段下駅。 ドアを積んだ列車が到着すると、約50人の作業員が、 高さ1メートル35、幅1メートル80、厚さ28センチで重さ600キロにもなるドア41個を 次々と手際よくホームへ運び出し、ボルトで固定していた。 同社計画課の井上篤史課長補佐は 「社員一丸となってホームドア設置を進め、 利用する人たちの安全を守っていきたい」と意気込みを語った。 写真:作業員によって設置されるホームドア http://www.yomiuri.co.jp/photo/20171001/20171001-OYT1I50000-L.jpg 以下ソース:YOMIURI ONLINE 2017年10月01日 09時36分 http://www.yomiuri.co.jp/national/20171001-OYT1T50010.html
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- 【福島】富岡漁港で震災後初釣り大会、大型ヒラメが次々ヒット[10/01]©2ch.net
1 :のっぺらー ★ 転載ダメ©2ch.net[ageteoff]:2017/10/01(日) 10:51:38.29 ID:CAP_USER - 東日本大震災で大きな被害を出した福島第1原発と同第2原発に挟まれる立地の
富岡漁港で9月30日、震災後初めてとなる釣り大会が実施された。 地元だけではなく関東地区も含め釣り人20人が集結した。 同漁港から漁船も含めて、出漁するのは震災以降6年半ぶりになる。 富岡漁協に所属する「長栄丸」「正栄丸」の2隻に参加者が分乗して、 第1原発から約10キロの海域でルアー・フィッシングの「ジギング」でヒラメを狙った。 「富岡復港釣り大会」と銘打って行われた。 釣り開始から約30分でほとんどの参加者がヒラメを釣り上げた。 長栄丸の石井宏和船長(40)は70センチ以上のヒラメが次々にヒットして、釣り上がっていく様子を見て 「震災前のヒラメは平均50センチだった。このヒラメをもっと多くの釣り人に知らせたい」と話した。 釣り大会では神奈川県から参加した男性の釣った90センチ(6・4キロ)のヒラメが最大魚だった。 大会で釣れた魚は、表彰式で検体され、残留値は計測されなかった。 写真:福島第1原発からおよそ10キロの海域では大型ヒラメが簡単に釣れる https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/img/201710010000158-w500_0.jpg 以下ソース:日刊スポーツ 2017年10月1日9時31分 https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201710010000158.html
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- 【兵庫】史上唯一 2軍だけのプロ球団が兵庫にあった![10/01]©2ch.net
1 :のっぺらー ★ 転載ダメ©2ch.net[ageteoff]:2017/10/01(日) 11:23:35.00 ID:CAP_USER - 創業110年を迎えた山陽電気鉄道にかつて、プロ野球チームがあった。
史上唯一、2軍だけの球団で、その名は「山陽クラウンズ」。 ウエスタン・リーグの前身「関西ファーム・リーグ」にも参戦したが、わずか2年半で解散した。 10月で解散から65年。 関係者の多くが鬼籍に入った。 資料も乏しい中、4月に亡くなった元選手の遺族が「父の足跡を知りたい」と情報を集めている。 (小西隆久) 球団創設は1950(昭和25)年5月。 当時のデイリースポーツによると、 正式名称は「神戸クラブ山陽野球団」で、2軍を持たない球団から委託された選手を育成した。 明石球場を本拠地に、兵庫県内外の選手約20人が所属。 監督は早稲田大野球部OBの村井竹之助氏らが務めたという。 エースとしてチームを支えたのが浮田逸郎さん(享年85)。 長崎県の佐世保北高を卒業後、福岡県が本拠地の西日本パイレーツに入団したが、 50年6月ごろに山陽へ預けられたという。 当時のプロ2軍についての著作がある野球史ライター松井正さん(37)=東京都=は 「セ、パの2リーグ制に移行直後で選手の引き抜きに大金が飛び交う中、 山陽は無名の若者や他球団から預かった選手を育成するという隙間産業に目を付けた」と解説する。 山陽は50年11月、2軍初の公式戦「第1回マイナーチーム選手権大会」に出場。 52年4月、阪神など6球団と日本プロ野球初の2軍組織「関西ファーム・リーグ」を結成し、 50年には3試合だった対外試合が52年には29試合に増えた。 一方で「養成した選手を他球団に移籍させる」ことで見込んだ収入はほとんどなかった。 山陽電気鉄道100年史によると、「旅客誘致に多少の効果はあったが(中略)経営が成り立たなく」なり、 52年10月、わずか2年半で解散した。 一部の選手は他球団に移り、浮田さんは大洋松竹ロビンス(後の大洋ホエールズ)に移籍。 わずか1年で引退したが、母校の野球部監督などを歴任。 今年4月、「ひつぎに野球帽を入れてほしい」と言い残して亡くなった。 長女の和田祥子さん(57)=大阪府岸和田市=は「野球を心から愛していた」と振り返る。 一方で、野球人生をあまり語らなかった父が短いプロ生活について書いた手紙が 「悔いはない」との言葉で結ばれていたことを最近知ったという。 当時の情報を集めたいと、数少ない父の知人らを訪ねる日々。 解散から65年。 歴史に埋もれた小さな球団に、再び光が当たる。 ■鉄道会社ゆかりのプロ野球チーム 阪神電鉄が1935(昭和10)年に 「大阪野球倶楽部(くらぶ)」(後の阪神タイガース)を創設したのを皮切りに、 阪急が「大阪阪急野球協会」(後の阪急ブレーブス)を、南海も38年に球団を結成。 50年ごろには、セ・リーグに阪神、国鉄スワローズ、 パ・リーグに阪急、南海、東急フライヤーズ(東急電鉄)、近鉄パールス(近畿日本鉄道)、 西鉄クリッパース(西日本鉄道)などが存在した。 写真:山陽電気鉄道が創設したプロ野球チーム「山陽クラウンズ」の選手ら https://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201709/img/b_10603323.jpg 写真:山陽クラウンズの球団旗 https://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201709/img/b_10603324.jpg 以下ソース:神戸新聞 2017/10/1 06:00 https://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201710/0010603322.shtml
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