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のっぺらー ★ 転載ダメ©2ch.net
坊主 ★ 転載ダメ©2ch.net
【福島】ネコ駅長「ばす」天国へ 会津鉄道の人気者[04/24]©2ch.net
【島根】石見空港の敷地で蜂蜜…瓶詰め販売や機内で提供計画 益田市[04/25]©2ch.net
【京都】悼む:歴史学者・京都大名誉教授 上田正昭さん=3月13日死去・88歳[04/25]©2ch.net

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【福島】ネコ駅長「ばす」天国へ 会津鉄道の人気者[04/24]©2ch.net
1 :のっぺらー ★ 転載ダメ©2ch.net[ageteoff]:2016/04/25(月) 12:37:15.19 ID:CAP_USER
福島県会津地方を走る会津鉄道の芦ノ牧温泉駅(会津若松市)で、
乗客の出迎えや見送りをする初代ネコ駅長として親しまれた「ばす」が死んだことが24日、分かった。
推定18歳の雌で、人間の年齢に換算すると約100歳。

会津鉄道によると、22日午後10時47分、芦ノ牧温泉駅の事務室で駅員にみとられながら息を引き取った。
数日前から体調を崩し、小林美智子駅長(58)が駅に泊まり込んで面倒を見ていた。
死因は老衰という。
会津鉄道は献花台やメッセージボードを設置するとともに、5月1日に同駅で社葬を執り行う予定。

写真:死んだ会津鉄道芦ノ牧温泉駅の初代ネコ駅長「ばす」
http://giwiz-nor.c.yimg.jp/im_siggRIn_b_VLqr7cIYUYSUThrw---exp3h/r/iwiz-nor/ch/images/96877433682214914/origin_1.jpg

以下ソース:共同通信 2016/4/24 16:56
http://this.kiji.is/96869937896556026?c=39546741839462401
【島根】石見空港の敷地で蜂蜜…瓶詰め販売や機内で提供計画 益田市[04/25]©2ch.net
1 :のっぺらー ★ 転載ダメ©2ch.net[ageteoff]:2016/04/25(月) 19:46:40.83 ID:CAP_USER
石見空港(島根県益田市)の敷地を活用して養蜂に取り組む「ミツバチプロジェクト」が24日に始まった。

空港ビルを運営する第3セクター「石見空港ターミナルビル」などが、国内の空港で初の試みとして実施。
蜂蜜を採取して販売し、空港のPRなどにつなげる。

プロジェクトの主体は、同社と、同空港で運航する全日本空輸のグループ会社「ANA総合研究所」(東京)。
東京・銀座のビルの屋上でミツバチを飼う農業生産法人「銀座ミツバチ」の提案で、
欧米で広がっている空港での養蜂に取り組むことにした。

同空港は周囲を山林や公園に囲まれており、蜂を飼うのに適しているという。
高校生らが養蜂に取り組む広島県のNPO法人「nina神石高原」に技術指導を依頼し、
同法人を通じて購入した西洋ミツバチの巣箱10箱(約20万匹)を敷地内の空き地に置いた。

ミツバチは半径2キロ・メートルを飛び回り、夏に蜂蜜を採取できる。
今年は6月に初めて採取し、年間200キロ程度の生産を目指す。
瓶詰めにして空港売店などで販売や、機内で提供したりすることを計画している。

この日の記念式典には、関係者ら約200人が出席。

同ビルの本橋春彦社長(58)は
「環境に恵まれた空の玄関口であることをアピールして、利用者増につなげたい。
 地元産の果物を使ったスイーツなど、加工品への利用なども考えたい」と話した。

写真:石見空港敷地の空き地に置いたミツバチの巣箱
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20160425/20160425-OYT1I50003-L.jpg

以下ソース:YOMIURI ONLINE 2016年04月25日 18時03分
http://www.yomiuri.co.jp/national/20160425-OYT1T50005.html
【京都】悼む:歴史学者・京都大名誉教授 上田正昭さん=3月13日死去・88歳[04/25]©2ch.net
1 :坊主 ★ 転載ダメ©2ch.net[sageteoff]:2016/04/25(月) 23:51:40.31 ID:CAP_USER
引用元:毎日新聞 2016年4月25日 東京朝刊
http://mainichi.jp/articles/20160425/ddm/005/070/085000c

 人権問題に目を向け 上田正昭(うえだ・まさあき)さん=胸部大動脈瘤(りゅう)破裂のため、3月13日死去・88歳

 最後の著書「古代の日本と東アジアの新研究」について昨年12月、京都府亀岡市の自宅でインタビューしたとき、「これが最後の論文集になると思う」と語り、自身の研究の特色を四つ挙げた。

 一つには、日本の歴史を東アジアの中で考えた。二つ目は、大和中心の中央史観ではなく、出雲など地域の独自性に注目したこと。三つ目は、神話や祭り、芸能を取り上げたこと。四つ目は、人権問題に目を向けたことだ。

 戦争の影響下で青春時代を送り、戦後学んだ京都大の卒業論文では天皇制の成立を問うた。戦後の学界の主流となった社会経済史の重要性は認めつつ、それよりも政治と文化に研究の重点を置いた。

 主義主張ではなく、厳密な史料の解釈に基づいた歴史学は、いつも親しみやすい語り口で市民、社会とつながっていた。京大3回生で教壇に立った京都府立高校で差別事件が起きたのがきっかけで部落史を研究し、史実に即して差別の起源論の誤りを正した。

 作家の司馬遼太郎さんとともに雑誌「日本のなかの朝鮮文化」(1969年から50号を刊行)の顧問となり、在日朝鮮人実業家、鄭詔文(チョンジョムン)さんが祖国の美術品を集めて創設した高麗美術館(京都市)の館長を務めた。

 日本神話論や河内王朝論など、文献史学に文学、考古学、言語学、民俗学などの研究成果も取り入れたダイナミックでスケールの大きな史論は99年、著作集全8巻として完結したが、その後も大病を患いながら最新の研究を織り込んで次々と新著を刊行した。

 戦後の古代史ブームだけでなく、出版不況の時代にも著書が読まれたのは、社会の矛盾を見据えつつ、いかに生きるべきかを探し求めた歴史家だからなのだと思う。【専門編集委員・佐々木泰造】

=京都府亀岡市で、竹内紀臣撮影
http://cdn.mainichi.jp/vol1/2016/04/24/20160424dd0phj000131000p/9.jpg


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