トップページ > ファッション > 2018年03月10日 > OMDuyaXXp

書き込み順位&時間帯一覧

36 位/899 ID中時間01234567891011121314151617181920212223Total
書き込み数0000000000050000000000005



使用した名前一覧書き込んだスレッド一覧
ノーブランドさん (ササクッテロレ Sp91-3uWj [126.245.150.27])
【ライダース】街着 レザースタイル 76【ブルゾン】

書き込みレス一覧

【ライダース】街着 レザースタイル 76【ブルゾン】
150 :ノーブランドさん (ササクッテロレ Sp91-3uWj [126.245.150.27])[]:2018/03/10(土) 11:39:14.38 ID:OMDuyaXXp
『般若心経』で述べられている「空」の思想は、思想として勉強するためのものではなく、「観」の瞑想をするための指針です。
つまり、小乗仏教では「アビダルマ論」に沿って「観」の瞑想を行うのに対して、『般若心経』では「空」の思想に沿って「観」の瞑想を行うのです。
【ライダース】街着 レザースタイル 76【ブルゾン】
151 :ノーブランドさん (ササクッテロレ Sp91-3uWj [126.245.150.27])[]:2018/03/10(土) 11:39:34.24 ID:OMDuyaXXp
ちなみに、南伝アビダルマ(上座部)の修行道は『清浄道論』に、北伝アビダルマ(説一切有部系)の修行道は『阿毘達磨倶舎論』に、大乗仏教の般若経系の修行道は『現観荘厳論』にまとめられています。
般若経系の修行道は、北伝アビダルマの修行道を、空思想と菩薩の利他主義の観点から組み直したもので、「五道」という形にまとめられています。
ただ、『般若心経』は後半部で「真言(呪文・マントラ)」を称えて紹介しています。
具体的な説明はしていませんが、「般若波羅蜜多」の修行は「真言」を繰り返し唱える「念誦法」と呼ばれる方法を使った修行なのでしょう。
しかし、「真言」を唱えるからといって密教ではありません。
【ライダース】街着 レザースタイル 76【ブルゾン】
152 :ノーブランドさん (ササクッテロレ Sp91-3uWj [126.245.150.27])[]:2018/03/10(土) 11:39:52.39 ID:OMDuyaXXp
智慧を得て解脱するためには「観」の瞑想を行うのですが、深い智慧を得るためには、まず、何か一つのものだけに集中し続けて、言葉による認識のない状態でその対象との一体化を目指す「止」の瞑想が必要なのです。
小乗仏教でも、まず、呼吸など40種類の対象(四十業処)に集中する「止」を行って集中力を高め てから「観」に移ります。
「止」を行う際、集中する対象を指す言葉を繰り返し唱えながら集中することもあります。
例えば、呼吸に集中する場合は、「息を 吸った、息を吐いた」と繰り返し唱えます。
【ライダース】街着 レザースタイル 76【ブルゾン】
153 :ノーブランドさん (ササクッテロレ Sp91-3uWj [126.245.150.27])[]:2018/03/10(土) 11:40:11.99 ID:OMDuyaXXp
これに対して『般若心経』が説いている「般若波羅蜜多」の瞑想法は、「真言」を繰り返して唱えてそれ自身に集中する方法でしょう。
まず、「真言」を唱え ながら心を「真言」に集中し一体化します。
その後、おそらく「真言」を唱え続けながらも、自分が体験していることや外界の存在などの現実を対象にして観察 します。
日常的な主観を排除して、『般若心経』で述べられている「空」の教説に沿って、自分がそれらに対して妄想や執着を持っているけれども、実際にはそ れらが存在しないこと、つまり、「法」も含めてすべては「空」であると理解します。
【ライダース】街着 レザースタイル 76【ブルゾン】
154 :ノーブランドさん (ササクッテロレ Sp91-3uWj [126.245.150.27])[]:2018/03/10(土) 11:40:31.75 ID:OMDuyaXXp
「五道」の修行の階梯にそって智慧の深まりを簡単に紹介しましょう。
最初の「資糧道」では、空の思想を言葉によって知的に勉強します。
次の「加行道」では、それを言葉を使いながら「観」の瞑想の中で理解します。
分析を進め、集中力もついてくると、しだいに言葉のない状態で洞察を行う「止」と「観」が一体の瞑想になり、直観的にあるがままを認識する「空」の智慧が生じます。
そして、瞑想をやめて言葉の世界に戻っても、空の認識が生きた「後得智」が働きます。
この段階が「見道」です。
さらに瞑想修行を進めて、先天的な煩悩まで取り除いていくのが「修道」です。
最終的に、一切の煩悩がなくなると、言葉のない直観と言葉のある認識が一致して、すべてを知る仏の智慧が生まれます。
この最後の段階が「無学道」です。


※このページは、『2ちゃんねる』の書き込みを基に自動生成したものです。オリジナルはリンク先の2ちゃんねるの書き込みです。
※このサイトでオリジナルの書き込みについては対応できません。
※何か問題のある場合はメールをしてください。対応します。