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783 :ノーブランドさん (ササクッテロレ Sp99-64YH [126.245.199.52])[sage]:2018/02/04(日) 11:36:36.63 ID:yeCXAluop - 『般若心経』で述べられている「空」の思想は、思想として勉強するためのものではなく、「観」の瞑想をするための指針です。
つまり、小乗仏教では「アビダルマ論」に沿って「観」の瞑想を行うのに対して、『般若心経』では「空」の思想に沿って「観」の瞑想を行うのです。
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784 :ノーブランドさん (ササクッテロレ Sp99-64YH [126.245.199.52])[sage]:2018/02/04(日) 11:36:53.19 ID:yeCXAluop - ちなみに、南伝アビダルマ(上座部)の修行道は『清浄道論』に、北伝アビダルマ(説一切有部系)の修行道は『阿毘達磨倶舎論』に、大乗仏教の般若経系の修行道は『現観荘厳論』にまとめられています。
般若経系の修行道は、北伝アビダルマの修行道を、空思想と菩薩の利他主義の観点から組み直したもので、「五道」という形にまとめられています。 ただ、『般若心経』は後半部で「真言(呪文・マントラ)」を称えて紹介しています。 具体的な説明はしていませんが、「般若波羅蜜多」の修行は「真言」を繰り返し唱える「念誦法」と呼ばれる方法を使った修行なのでしょう。 しかし、「真言」を唱えるからといって密教ではありません。
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785 :ノーブランドさん (ササクッテロレ Sp99-64YH [126.245.199.52])[sage]:2018/02/04(日) 11:37:12.97 ID:yeCXAluop - 智慧を得て解脱するためには「観」の瞑想を行うのですが、深い智慧を得るためには、まず、何か一つのものだけに集中し続けて、言葉による認識のない状態でその対象との一体化を目指す「止」の瞑想が必要なのです。
小乗仏教でも、まず、呼吸など40種類の対象(四十業処)に集中する「止」を行って集中力を高め てから「観」に移ります。 「止」を行う際、集中する対象を指す言葉を繰り返し唱えながら集中することもあります。 例えば、呼吸に集中する場合は、「息を 吸った、息を吐いた」と繰り返し唱えます。
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786 :ノーブランドさん (ササクッテロレ Sp99-64YH [126.245.199.52])[sage]:2018/02/04(日) 11:37:34.56 ID:yeCXAluop - これに対して『般若心経』が説いている「般若波羅蜜多」の瞑想法は、「真言」を繰り返して唱えてそれ自身に集中する方法でしょう。
まず、「真言」を唱え ながら心を「真言」に集中し一体化します。 その後、おそらく「真言」を唱え続けながらも、自分が体験していることや外界の存在などの現実を対象にして観察 します。 日常的な主観を排除して、『般若心経』で述べられている「空」の教説に沿って、自分がそれらに対して妄想や執着を持っているけれども、実際にはそ れらが存在しないこと、つまり、「法」も含めてすべては「空」であると理解します。
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787 :ノーブランドさん (ササクッテロレ Sp99-64YH [126.245.199.52])[sage]:2018/02/04(日) 11:37:56.11 ID:yeCXAluop - 「五道」の修行の階梯にそって智慧の深まりを簡単に紹介しましょう。
最初の「資糧道」では、空の思想を言葉によって知的に勉強します。 次の「加行道」では、それを言葉を使いながら「観」の瞑想の中で理解します。 分析を進め、集中力もついてくると、しだいに言葉のない状態で洞察を行う「止」と「観」が一体の瞑想になり、直観的にあるがままを認識する「空」の智慧が生じます。 そして、瞑想をやめて言葉の世界に戻っても、空の認識が生きた「後得智」が働きます。 この段階が「見道」です。 さらに瞑想修行を進めて、先天的な煩悩まで取り除いていくのが「修道」です。 最終的に、一切の煩悩がなくなると、言葉のない直観と言葉のある認識が一致して、すべてを知る仏の智慧が生まれます。 この最後の段階が「無学道」です。
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788 :ノーブランドさん (ササクッテロレ Sp99-64YH [126.245.199.52])[sage]:2018/02/04(日) 11:39:08.98 ID:yeCXAluop - 「真言」は、それをただ唱えれば何かがかなえられるという魔法の言葉ではありません。
本来、「真言」は経典や 仏の智慧を心の中に呼び起こして保持するための言葉です。 「真言」を唱える瞑想の中で、集中力の高まった直観的な智慧の体験を何度も経験していて初めて、「真言」を唱えることが条件反射的に智慧の体験を導くのです。 一般に「真言」の内容は、教説を凝縮した象徴的な言葉であったり、祈願や帰依の言葉ですが、「真言」は日常の言葉とは異なっていることが望ましく、言葉の意味よりも響きが重要とされます。 そのため、『般若心経』の「真言」も音訳されることが多く、上の訳では、インドの原典の発音をカタカナにしました。
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789 :ノーブランドさん (ササクッテロレ Sp99-64YH [126.245.199.52])[sage]:2018/02/04(日) 11:39:26.95 ID:yeCXAluop - 「波羅蜜多(パーラミター)」は、「完全な」「完成」という意味だと書きましたが、語呂合わせ的には「パーラ」=「彼岸(悟り)」に「イター」=「到った」と解釈できるので、仏教の伝統ではこの解釈もされてきました。
この解釈は「般若波羅蜜多」を擬人的に表現したものですので、自然に「般若波羅蜜多」を人格的に考えるようになりました。
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790 :ノーブランドさん (ササクッテロレ Sp99-64YH [126.245.199.52])[sage]:2018/02/04(日) 11:39:43.10 ID:yeCXAluop - 真言の「ガテー」は「行く」という言葉の過去受動分詞、女性単数の呼格と思われます。
『般若心経』のテーマである「智慧(般若)」はインドの言葉では女 性名詞です。 ですから「ガテー、ガテー、パラガテー」は「彼岸に到った貴女よ」と「般若波羅蜜多」に呼びかけています。 「パーラミター」と同じ意味の 「パーラガテー」を掛けているのでしょう。 つまり、 『般若心経』の「真言」は「般若波羅蜜多」の智慧に呼びかけるものであり、修行の目標そのものを意味しています。 もともと「真言」というものは智慧を導び き、智慧に等しいものですから、 『般若心経』の「真言」は「真言」そのものであり智慧そのものだと言えます。 そして、過去にも菩薩達がこの「真言」を唱えた結果、実際に智慧を完成させて 悟りを得て目標を達したのだから、この「真言」はその言葉の内容を実現する力がある真実のものであるということになります。 ですから、「般若波羅蜜多」の 神髄は「真言」であり、「般若波羅蜜多」=「真言」であるというのが 『般若心経』の主張なのです。
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791 :ノーブランドさん (ササクッテロレ Sp99-64YH [126.245.199.52])[sage]:2018/02/04(日) 11:40:06.05 ID:yeCXAluop - 「智慧」は女性名詞であり、「智慧」によって仏が生まれるということから、『大般若経』では「般若波羅蜜多は諸仏の母」と書かれ、密教の時代には「般若 仏母」と呼ばれる女性の仏であると考えられるようになりました。
『般若心経』は密教が盛んになり始めた頃に作られたものだと推測されているので、「智慧」 を女神のように考えていたという側面がすでにある程度あったのでしょう。
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792 :ノーブランドさん (ササクッテロレ Sp99-64YH [126.245.199.52])[sage]:2018/02/04(日) 11:40:22.72 ID:yeCXAluop - ただ、密教以前でも、大乗仏教が生まれた当時のインドは、ヘレニズム文化圏の東端にあたり、ギリシャ、イラン(ペルシャ)系の王朝が次々と支配し、その 文化の影響を受けていました。
仏像が生まれたのはギリシャ彫刻の影響ですし、救いや光の性質を持ったたくさんの仏・菩薩が生まれたのはイランの神々の影響 です。 当時のヘレニズム文化圏では宗教を超えて霊的な「智慧の女神」に対する信仰が広がっていましたので、『般若心経』にもその影響があったかもしれません。 ギリシャの智慧の女神ソフィアの影響を受けて、イランでは河の女神アナーヒターが智慧の女神となりました。 アナーヒターは観音菩薩の誕生にも影響を与 えたと言われています。
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